表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/9

第三話 辻に百の目 02

 夜になれば、鬼が出る。

 そう信じられていた時代の、話です。


 平安京。都でいちばん広い朱雀大路でも、夜になると誰も歩きません。歩けば、何かに遭うから。

 それは物の怪か鬼か、それとも……。


 この物語の主人公は、その大路を、二十年、歩きました。

 誰にも、見つからずに。


 派手な術も出ますが、この話の芯にあるのは、もっと別なもの。


 ――どうか、最後まで。


 この小説は実在の人物・事件をモチーフにしたフィクションです。

 この作品はカクヨムでも同時投稿しております。

四 見えないものを、見る


 忍は、辻の隅で、身を伏せていた。

 戦わなくていい。見てこい。晴明の言葉が、耳に残っている。

 だから忍は、見た。目ではなく――気配で。

 そっと息を沈め、輪郭を溶かし、自分を辻の闇へ紛れ込ませる。隠形。消えた忍の内側で、辻の“気配の地形”が、じわりと描かれていく。

 そして、すぐに気づいた。おかしい。

 この化け物、気配が、薄い。


 あれほどの巨躯である。あれほどの目玉が、こちらを睨んでいる。なのに、気配としては、驚くほど希薄なのだ。まるで、大きな影法師を見ているような。実体の重みが、ない。

 では、この巨躯を動かしている“重み”は、どこにある。

 忍は、地形を辿った。塊の胴。違う。首。違う。無数の目玉。どれも、違う。どこにも、核がない。

 もっと、下だ。

 忍の意識が、辻の地面を、井戸を、地蔵を舐めていく。そして、

 あった。

 辻の中央、朽ちかけた地蔵の足元。そこに、ぽつりと。ひどく小さいのに、ひどく重い、気配の“芯”があった。塊が動くたび、その芯から、細い糸のようなものが伸びて、巨躯の隅々へと張り巡らされている。

 巨躯は、囮だ。あれは、殻。この芯こそが、本体。


 忍は、消えたまま、じりじりと辻の中央へ這い寄った。

 だが、百の目のうちのいくつかが、ぎょろりと動き、忍のほうを向いた。

 忍の胸が、詰まった。

 あの夜と、同じだ。人ならぬものには、隠形が通じない。

 いや。

 忍は、歯を食いしばった。あのときと、今とでは、違う。あのときは、ただ震えて逃げるだけの子供だった。今は、この半月、来る日も来る日も、庭の気配を読み続けた。晴明の式神の、隠れ方さえ見抜いた。

 通じないなら、通じるやり方に変えるまでだ。

 だが、どう変える。

 忍は、迫る目玉を見ながら、必死に考えた。こいつには、何が“見えて”いる。人には見えない何かを、こいつは見ている。それは、なんだ。

 目玉が、辻を舐めていく。

 そのとき、忍は、あることに気づいた。

 化け物の目は、忍を見る。綱を見る。金時を見る。貞光を見る。……だが、足元に散らばった壺の欠片は、見ていない。踏みつけている錆びた鍋も、見ていない。それらは、こいつの体の一部であるはずなのに。

 こいつは、“いらないもの”を、見ない。

 当たり前だ、と忍は思った。こいつ自身が、捨てられた器物の塊なのだ。捨てられたものが、捨てられたものを見て、どうする。こいつが見ているのは、自分たちを捨てた側――今も誰かに必要とされ、温もりを持って生きている、そっちだけだ。

 人は、人を見る。だから忍は、人の目から消えられた。

 なら、こいつは。

 こいつは、“まだ数えられているもの”を、見ている。

 忍の背に、震えが走った。答えが、そこにあった。

 消えるのでは、だめだ。こいつの目は、消えた気配すら追ってくる。だが、

 見る値打ちが、なくなればいい。


 忍は、自分を消すのをやめた。かわりに――自分の気配を、辻に散らばる“器物”の側へ寄せた。捨てられた壺。錆びた鍋。忘れられた沓。誰にも顧みられず、そこに“ある”だけのもの。忍が、路地裏でずっとそうであったように。

 いないふりを、するのではない。

 “もう、要らないもの”に、なる。

 それは、隠形とは似て非なるものだった。消えるのではない。そこに在りながら、“見る価値のないもの”に落ちる。人の目に対しては、忍はずっと、消えることで生き延びてきた。だが、この化け物が見ているのは、人ではない。捨てられた器物の側から、世界を見ている。ならば――器物の同類になればいい。

 忍の気配が、辻に転がる無数の古物と、見分けがつかなくなった。

 百の目が、す、と忍から逸れた。


*  *  *


五 芯


 忍は、地蔵の足元に、辿り着いた。

 そこにあったのは、一本の、櫛だった。

 黄楊つげの櫛。歯が幾本か欠け、漆はほとんど剥げ落ちている。だが、その背には、丁寧に彫られた花の文様が、まだかすかに残っていた。誰かに、大切にされていた櫛だ。長く、長く、使い込まれた櫛だ。

 そして、その櫛から、細い糸が――百の目を持つ巨躯へ、無数に伸びていた。

 忍は、震える手で、櫛を拾い上げた。

 その瞬間、忍の頭の中へ、なだれ込んできたものがあった。


 声だ。

 言葉ではない。もっと、かたちのない、感情の塊。

 寂しい。寂しい。寂しい。

 なぜ、捨てた。なぜ、忘れた。あんなに、毎朝、髪を梳いてくれたのに。あんなに、大事にしてくれたのに。ある日、ぽい、と。いらないものとして。

 毎朝、鏡の前で。まだ暗いうちから、あの人は私を手に取った。長い髪を、丁寧に、丁寧に。歯が一本欠けたときも、捨てずに使ってくれた。漆が剥げても、笑って使ってくれた。私は、その手の温もりを、覚えている。ずっと、覚えている。

 なのに、ある日。新しい櫛が来た。それだけのことで、私は、塵の山へ。

 どうして、誰も、私を数えてくれないの。

 忍は、息を呑んだ。

 その嘆きを、忍は、知っていた。

 骨の髄まで、知っていた。

 名を呼ばれず、数えられず、いてもいなくても同じものとして、路地裏の隅に転がっていた、あの日々。凍えて死んでも、誰も気づかない。それが当たり前だと、思っていた。忍にとって、この櫛の嘆きは、他人事ではなかった。


「おい、小僧! 何をしている、離れろ!」

 貞光の声が、遠くで聞こえた。百の目が、いっせいに忍を向く。巨躯が、ぐるりと身をよじり、闇の触手が、いっせいに忍へ殺到した。

 忍の懐で、緋が、爆ぜるように身を起こした。もう、抑えきれない。飛び出そうと羽を広げる。翠が、必死にそれを押さえようとしている。

「(――緋、まだだ!)」

 忍は、叫んだ。だが、それは緋に向けた言葉であって、迫る触手を止めるものではない。

 逃げろ、と本能が叫んでいた。消えろ、と。それが、忍の生き方だったはずだ。危ういときは、消える。何も見ない。何も背負わない。そうやって、十年以上、生き延びてきた。

 だが、掌の中の櫛が、震えていた。まるで、泣いているように。

 消えたら、こいつは、また誰にも数えられないまま、斬られて終わる。

 忍は、櫛を、ぎゅっと胸に抱いた。そして、逃げなかった。

 かわりに、彼は、口を開いた。


「お前、名前は」

 触手が、止まった。

 ぴたり、と。ほんの、一瞬。

 だが、百の目が、その一瞬、いっせいに瞬いた。まるで、聞き間違いを疑うように。

「捨てられたんだろう。忘れられたんだろう。知ってる。俺も、そうだった」

 忍の声は、震えていた。それでも、続けた。

「誰にも数えられないのが、どんなに寒いか、知ってる。だから――教えてくれ。お前の、名前は」

 辻に、しん、と沈黙が落ちた。百の目が、忍を見つめていた。

 そして、

 巨躯が、崩れはじめた。


ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

次話もお楽しみにしていただけると嬉しいです。

感想やご指摘をいただけると、今後の励みになります。


(更新:毎日22時投稿予定)

隠岐群青

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ