第6話:不穏の検知と組織の歪み
新しい文面の連絡網――いわば、安土にすべての情報を集約する仕組みが動き出してから、ひと月が経った。
日々、私の机上には各地の忍びから吸い上げられた紙片が山のように積み上がる。
やったことは前世の電脳の仕組みをひらがなと漢字に置き換えただけだ。
重要度を「一」から「五」の階層に分け、お家門の危機に直結する不穏な動きだけを、私が直接、父上や兄上に耳打ちする。
(やはり、急激な事業拡大の弊害が出ておるな……)
集まった文面を整理しながら、私はため息をついた。
織田家の勢力拡大は、日進月歩の勢いだ。
しかし、前世の巨大企業がそうであったように、急激な成長は必ず現場の疲弊と、組織の歪みを生み出す。
特に気になったのは、摂津(現在の大阪府北部)を任されている重臣・荒木村重の動向だった。
「「荒木分国にて、本願寺の兵糧舟を密かに見逃し候との風聞これあり候」」
忍びからの報告書には、そう記されていた。
歴史を知る私にとっては、心臓が跳ね上がるような一筆だ。
荒木村重の謀反。それは史実において、織田家を大きく揺るがし、のちの悲劇へと繋がっていく連鎖の始まりである。
「……信正様。少々、目立ちすぎではございませぬか」
背後からかけられた低い声に、私は肩を震わせた。
振り返ると、いつの間にか部屋の入り口に明智光秀が立っていた。
相変わらず足音ひとつ立てない、冷徹な立ち姿だ。
「これは明智殿。事前に声をかけてくだされば、茶の用意くらいはいたしましたものを」
「茶など結構。信正様、貴殿が各地の忍びの耳目を安土へ一本化し、家臣たちの動向を密かに探っているという噂、もはや隠し通せてはおりませぬぞ」
光秀の端正な顔に、あからさまな不快感が上書きされている。
彼ら方面軍の総大将にとって、自らの手足である忍びを実質的に召し上げられ、さらに自分たちの行動を安土から常時監視されるなど、耐え難い屈辱に違いない。
「お言葉ですが明智殿。これは父上から直々に仰せつかった『隠密網の再編成』にございます。私はただ、無駄な二重報告を省き、織田家全体の意思決定を最速にするための仕組みを整えたに過ぎません」
「仕組み、とな。言葉を飾るな。これは家臣団への『不信の証』だ。我ら前線の将を疑い、裏から操ろうとするそのやり方、断じて容認できぬ」
光秀が激昂に近い調子で一歩詰め寄る。
(これだから、一本気な生真面目上司は扱いづらい……。しかし、ここで引けば組織の統制は瓦解する)
私は机上の報告書を静かに伏せ、光秀の鋭い眼光を正面から見据えた。
「明智殿。ではお尋ねしますが、もし今、織田家の重臣の誰かが敵方と密通していたとして、それをいち早く察知し、未然に防ぐ手立てが今の織田家にございますか? 事が起きてから首をはねるのでは遅いのです。私は、無用な血が流れるのを防ぐために、この網を張ったのです」
「……誰かが密通しているだと? 戯言を」
「戯言かどうかは、間もなく分かります。この信正の泥臭きやり方、天下布武の『防壁』として、今しばらくは見逃していただきたい」
光秀は忌々しげに眉間を寄せ、しばらく私を睨みつけていたが、やがて何も言わずに背を向けて去っていった。強烈な胃の痛みが私を襲う。
またしても大物を敵に回した。
だが、これでいい。
光秀が私に敵意を向けている限り、彼の視線は常に私の「仕組み」に向く。
それは彼自身の謀反の機会を奪うことにも繋がるはずだ。
私は深呼吸をし、先ほどの荒木村重に関する報告書を再び手に取った。
(荒木の謀反を未然に防ぐか、あるいは最小限の被害で処理するか……。これが、本能寺という最大の破滅を回避するための、最初の関門だ)
社畜の危機管理能力のすべてを賭けて、私はこの戦国の闇へ、さらに深く楔を打ち込む決意を固めた。




