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第3話:猿の嗅覚と、社畜の生存戦略

次なる命令である「米価の安定」と「隠密網の再編成」。これを効率的にこなすには、現場の兵站を完璧に把握している男に接触するのが一番だ。


――羽柴秀吉。 


のちの太閤。人たらしにして、織田家の兵站を支配する男。


「おや、これは信長様の御子息、信正様ではございませんか! こんな汚い兵糧蔵の奥まで、どのような風の吹き回しで?」


陽気で、しかしその瞳の奥で瞬時に俺の「値踏み」をする男。

それが秀吉だった。


彼は俺の手を取ろうとしたが、俺はわざとらしく身を引いて、腰を低くした。


「羽柴様、ご足労をおかけして申し訳ありません。父上より、兵站と諜報の連携強化について意見を求められておりまして。……貴殿の『手際』を、学ばせていただきたいと思いまして」


「へえ、学びにですかな」


秀吉はニヤリと笑った。それは、獲物を見つけた狩人の笑みだ。


彼は俺を蔵の奥へ招き入れると、山のように積まれた帳簿を乱暴に叩いた。


「面白い。普通、信正様のようなお方は、俺たちのような『猿』を見下すものだが。……で、何が聞きとうございます」


「米価の操作についてです。近江の土豪を制圧した際、商人たちに風聞を流しました。羽柴様なら、これをどう最適化するか教えていただきたい」


俺の言葉を聞いた瞬間、秀吉の顔から笑みが消えた。

空気が凍りつく。


彼は、俺がただの「お飾り」ではないこと、そして「同じ穴の狢」であることを即座に見抜いたのだ。


「なるほどねぇ……。信正様、面白いことを考える。拙者が長年かけて築いた兵站のノウハウを、あっさりハックしようってわけだ」


「ハックとは穏やかではありませんね。協力です」


「協力ねえ。あんた、ワシを出し抜いて、その功績をすべて自分のものにするつもりでしょう?」


秀吉は俺の鼻先まで顔を近づけ、囁いた。


「ワシは、信長様の一番近いところで、一番役に立つ男でありたい。……たとえ、それがどこの誰であっても、邪魔するやつは蹴落とす」


強烈な殺気。


だが、俺は怯まなかった。

前世で、どれだけの狂ったクライアントと対峙してきたと思っている。


「邪魔などしません。私はただ、父上の天下布武を最速で終わらせて、早く隠居したいだけです。その過程で羽柴様が重用されれば、お互いにWin-Winではありませんか?」


俺の「隠居したい」という本音を混ぜた提案に、秀吉は目を丸くし、やがて腹を抱えて笑い出した。


「はっはっは! 隠居! 天下人になれるかもしれないのに、隠居ですか! あんた、本当に変わったお方だ」


秀吉は笑いながら、一冊の帳簿を俺に投げ渡した。


「いいでしょう。協力してやる。ただし、俺の邪魔だけはしないでくださいよ。……あんたが何を企んでいるのか、俺が一番近くで観察させてもらう」


「願ってもない申し出です、羽柴様」


俺たちは互いに笑顔で、しかし心の中では相手の弱点を探り合う。


織田家という組織は、光秀という「質実剛健なブレーキ」と、秀吉という「強欲なアクセル」で動いている。


その間で、俺は「調整役」という名の綱渡りを続けるしかない。


(よし。これで秀吉のルートも確保した)


帰り道、安土の空を見上げる。


着々と布石は打っている。


だが、どれほど根回しをしても、決定的な「本能寺」というリスクは消えない。


俺は歩みを速めた。

この巨大な組織が破滅へ向かうのを防ぐため、俺はもっともっと、歴史をハックしなければならない。



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