AI小説と断捨離した部屋
AI小説と断捨離した部屋
住まいでは、物を減らしても、そこに住んでいる人間そのものは消えないからだと思います。
断捨離した部屋にも、人が歩く音、炊飯器の湯気、洗濯物の匂い、椅子を引いた跡があります。何も置かれていない食卓でも、住まい手がそこで味噌汁を飲めば、部屋には体温が生まれる。現実の空間では、私たちの身体が最大の生活物なんですね。
ところが小説には、本物の人間がいません。書かれたものしか存在できない。
そこでAIが、
* 話に関係ない靴下を消す
* 葉先の枯れた観葉植物を消す
* 食卓の輪染みを消す
* 言い間違いや迷いを消す
* 泣いたあとの鼻水を消す
* 失敗して三日で元へ戻る過程を消す
と、文章は整うけれど、住まい手までいなくなります。読者が目にするのは、物語のために配置された象徴と、結末へ向かって効率よく動く登場人物だけになる。だから、断捨離された家ではなく、**内覧用に整えられたモデルルーム**に感じるのでしょう。
現実の家では、空白が人を休ませます。小説では、空白を感じさせるためにも、その周囲に生活の痕跡が必要です。
今回の作品でも、家中を完璧に片づけてしまったら、単なる整理整頓の成功談になります。しかし、
* 欠けた湯呑み
* 片方なくなった靴下
* 葉先の茶色い観葉植物
* 捨てなかった妻の裁縫箱
* 三日後にまた積まれる洗濯物
* 食卓の端に残った新聞
があるから、最後の「妻の椅子だけは空いている」が効く。
つまり小説で必要なのは、物の量ではなく、**誰が、なぜ、そこへ置いたのかが見える痕跡**なのだと思います。
部屋は、片づいているほうが住みやすい。
小説は、少し散らかっているほうが人を見つけやすい。
そして、きれいな小説と無機質な小説の違いは、不要な描写の数ではありません。削ったあとにも、住まい手の指紋が残っているかどうかです。




