第4話 才能という言葉
第4話 才能という言葉
雨の降る夜だった。
アパートの窓ガラスを細かな雨粒が叩き続けている。外の街灯は滲み、濡れた道路がぼんやり白く光っていた。
かおるこは床に座り込み、自作デスクトップパソコンの画面を見つめていた。
黒いスウェット。毛玉だらけの灰色パーカー。髪は適当に後ろで結んでいる。机の上には飲みかけのカフェオレ、開きっぱなしのメモ帳、食べかけのチョコチップクッキー。
部屋は散らかっていた。
でも今日は、片づける気力もなかった。
モニターの光だけが暗い部屋を照らしている。
画面には動画配信サイトが開かれていた。
有名作家の配信。
登録者数何十万人という人気作家だった。本屋に行けば平積みされ、テレビにも出ている人。
かおるこは少し前から、その作家が好きだった。
話し方が優しくて、物語への考え方も好きだった。
だが、その夜。
配信のコメント欄で、誰かが書いた。
『AI小説についてどう思いますか?』
作家は少し笑って、コーヒーを飲んだ。
「うーん、俺はズルだと思うな」
かおるこの指が止まる。
配信の向こうで作家は続ける。
「だってさ、自分で書いてないじゃん。苦しんで文章を積み上げるのが創作でしょ? AIに手伝わせた時点で、それって作家なのかなって思う」
コメント欄が流れる。
『わかる』
『AIは甘え』
『本物じゃない』
文字が一気に目へ飛び込んでくる。
かおるこの呼吸が浅くなった。
胸がざわつく。
胃の奥が冷える。
「……あ」
声が出ない。
画面の文字が滲む。
読めない。
でも、刺さる。
ズル。
本物じゃない。
その言葉だけが頭に残る。
かおるこは慌てて動画を閉じた。
部屋が急に静かになる。
換気扇の音だけが低く響いていた。
「……そっか」
ぽつりと呟く。
心臓が痛かった。
かおるこは自分の小説ページを開く。
少しずつ増えていた感想。
『続き楽しみです』
『この雰囲気好き』
『泣きました』
その文字たちを見ても、今日は嬉しくなれなかった。
「でも、AIだしな……」
喉が詰まる。
自分はただAIに書かせているだけなのではないか。
本当は空っぽなのではないか。
そう考え始めると止まらなかった。
かおるこは床へ座り込み、膝を抱えた。
昔から「普通」が苦手だった。
本を読むのも遅い。
説明を聞いても途中で飛ぶ。
仕事はミスばかり。
それでも、ようやく見つけた場所だった。
物語を書ける場所。
なのに、それすら「ズル」なのか。
涙がぽろっと落ちた。
「私、作家じゃないのかな……」
部屋の隅では、古いパソコンが低く唸っている。
サポートも切れた古い機械。
でも、その音を聞いていると少しだけ落ち着いた。
かおるこはコンビニ袋を漁り、冷えた明太子パスタを取り出した。
電子レンジへ入れる。
ブーンという音。
静かな部屋。
温まったパスタの湯気が広がる。
バターと明太子の匂い。
けれど食欲はなかった。
フォークで少し巻いて口へ運ぶ。
ぬるかった。
味もしない。
その時、机の端に置いたメモ帳が目に入る。
そこには、仕事中に慌てて書いた言葉が並んでいた。
『海の音』
『帰れない人』
『誰にも言えない苦しさ』
字は歪んでいる。
でも、自分の字だった。
かおるこはじっと見つめる。
その時、不意にコンビニでの夜を思い出した。
怒鳴られた客。
冷たい休憩室。
泣きながら食べた鮭おにぎり。
誰にもわかってもらえない苦しさ。
全部、自分のものだった。
AIじゃない。
自分が感じた痛みだった。
それでも胸の中の不安は消えない。
かおるこはパソコンへ向かった。
AIチャットを開く。
白い画面。
点滅するカーソル。
かおるこはゆっくり打ち込んだ。
『AI小説はズルなんだって』
送信。
数秒。
雨音だけが聞こえる。
やがて文字が現れた。
『そう思う人もいます』
かおるこは苦笑した。
「優しく否定しないんだ……」
続きが表示される。
『ですが、苦しみを知っている人にしか書けない文章があります』
かおるこは動きを止めた。
画面を見つめる。
AIは続ける。
『孤独。失敗。働く疲れ。誰にも理解されない不安。それを感じたことのない存在は、痛みを本当には描けません』
鼻の奥が熱くなる。
『あなたが感じてきたことは、あなたにしか書けません』
その文章を読んだ瞬間、かおるこの胸の奥で何かが崩れた。
涙が溢れる。
止まらない。
「……そんなの」
声が震える。
「そんなの、ずるいよ」
泣きながら笑ってしまう。
AIの文章なのに、救われてしまう自分がいた。
窓の外では雨が強くなっている。
街灯の光が濡れた道路に滲み、世界がぼやけて見えた。
かおるこは涙を拭きながら、もう一度自分の小説ページを開く。
感想欄。
そこに短い新着コメントが増えていた。
『主人公の孤独が、自分みたいでした』
かおるこは息を止める。
世界のどこかに、自分の文章を読んだ人がいる。
AIだけでは書けない。
でも、自分一人でも辿り着けなかった。
その間にある何かを、かおるこはまだ上手く説明できなかった。
ただ一つだけわかる。
苦しかった夜。
泣いたこと。
逃げたかったこと。
それを書いたのは、自分だった。
かおるこはゆっくりキーボードへ手を置く。
指先はまだ少し震えている。
それでも、新しい文章を打ち始めた。
雨の音が静かに続いていた。
まるで「書いていい」と言うみたいに。




