理科系彼女の宝石
お題:「結晶になる」「映える」
付き合い始めてすぐ、初めてお邪魔する彼女の家。一体どんな部屋なのだろうか、わくわくした。
かわいいぬいぐるみが並べてあるとか、シックなインテリアで統一しているとか、色々考えるが、どんなものが出てきてもきっと素敵に違いない。部屋には人が出るのだから。
そうして開いたマンションの玄関。ふわふわした声で「あがって」と誘われて、俺は導かれるがままに中に入る。
パチンと電気がつけられて、玄関先が明るくなった。白い壁紙が目に眩しい。やわらかい色合いの靴箱も、汚れ一つ無く、清楚な印象だ。その上にはデフォルメされたトカゲのぬいぐるみ。なぜトカゲ? とは思ったけど、黒いビーズで造られたつぶらな瞳とにっこり笑った口元は、確かに愛嬌があってかわいい。彼女にぴったりだ。
そこまではよかった。しかし、次に目に入った妙なもの。お弁当に使うプラスチックカップに、黒々とした液体が注がれて、白い皿に乗せられ、トカゲの隣に置いてある。
「……ねえ、これ何?」
俺は思わず口走っていた。普通の家の玄関には無い物、いや、第一モノが何なのかすら見当がつかない。
もしや、怪しい宗教に傾倒しているのではないか。そんな疑念がよぎって、俺は一歩退いていた。
そんな俺を見て、彼女はあっけらかんとした顔で答えた。
「何って、ただの醤油だよ?」
「しょう、ゆ?」
「うん醤油」
何だそれ、と俺は呆然としていた。いや、醤油は知っている。しかし、醤油をこんな風に置いておく習慣など聞いたことがない。醤油はボトルに入っている物だ、あるいは醤油さしに入っている物だ。常識的に考えて、こんなカップに注いだまま蓋もしないで靴箱の上に置いておくものではない
やはり何かの儀式だ、怪しい魔術だ。俺はさらにもう一歩引いた。閉じかけていたドアにかかとが当たる。
「ね、ねえ。それ、何のためにここに置いてあるの?」
「結晶になるの」
「……は?」
「こうやってゆっくり蒸発させると、醤油の結晶になるんだ。楽しいでしょ?」
「え、いや」
「理科の実験でやらなかった? ミョウバンとか食塩の溶液に結晶つるして育てるの」
「……あー」
言われてみればやったことはある。小学校だったか中学校だったか定かではないが、懐かしい話だ。
しかし、なぜ家で。しかももう実験なんかしなくていい会社員なのに。
「それやって、何のためになるの」
「だって楽しいじゃない」
「……そうか?」
「うん。さあ、早くあがってよ。もっと色々あるから」
「お、おう……」
言われるがまま俺は靴を脱いで、部屋へ上がる。
「うわぁ」
理科系の彼女の部屋は、トカゲのぬいぐるみと醤油の玄関どころの話では無かった。
昆虫の標本がたんまり壁にかけてあり、棚には顕微鏡やビーカーフラスコなどと理科室でしか見たことが無いものがあれこれ鎮座している。本棚は植物野鳥鉱石キノコ他ありとあらゆる図鑑が網羅されていた。
「……研究者にでもなりたいの?」
「ううん、理科が好きなだけ」
くすくすと毒気なく笑う彼女、その向こうにあるベッドの寝具は古生物の化石柄。
――付き合っていけるだろうか。俺は引きつった笑顔を浮かべていた。
そんなことも一年前の話だ。俺はその理科系の彼女と真剣なお付き合いを続けていた。
楽しかったのである。彼女と一緒に博物館に行ったり、野外観察に行ったり。水族館や動物園も、普通のカップルとは少々趣の違う会話をしながら歩いたり。要は、彼女に合わせた理科的なデートが楽しかった。
なにより、好きなもののことを無邪気に熱心に語る彼女の朗らかな笑顔にやられた。時々なに言ってるのかわからなくなるが、見ているだけ聞いているだけも楽しい。
少々変わり者かもしれないが、だからと言って人間性が悪いということも無かった。礼儀正しいし、優しいし、料理はうまいし、いいヤツなんだ。
人として魅力を感じていて、なおかつ一緒に居て楽しい。俺は、結婚するなら彼女しかないと思っている。
……まだ、本人には言い出せていないが。
「どうしたの? ご飯足りなかった?」
「いや、十分だよ。それにうまかった」
指輪を買いに行かなきゃな。真面目くさってそんなことを思っていたことを隠すように、俺は慌てて笑って取り繕った。
しかし、彼女にはどんな石の指輪が似合うだろう。普通にダイヤモンドというのはつまらないかもしれない、真っ赤なルビーか、彼女の好きな緑のエメラルドか。
「あ、そうだ」
彼女はぱちんと手を叩いて立ち上がり、棚の引き出しを開けた。
「覚えてる? 初めて家に来たとき、醤油やってたでしょ」
「ああ、うん、覚えてる。結晶つくってたよな」
「そう! あれ、最後は冷蔵庫に移してて」
「どうりで見ないと思った」
「でしょ? それで、やっとこの前いい感じに出来あがったんだ。じゃーん!」
そう言って彼女が白い指先でつまんで見せたのは、琥珀色の美しい結晶だった。
「……醤油? それが?」
「そ。醤油」
「嘘だあ」
「ほんとだって。舐めてみる? しょっぱいよ」
彼女は冗談めかして言うが、にわかに信じられない。きらきらと光を反射させる四角い結晶体は、さながら宝石のように美しい。
いや、ダイヤやルビーやエメラルドや、他のどんな宝石なんかよりも美しい。彼女の笑顔によく映えるこの茶色い結晶の前では、どんな宝石も見劣りする。
「楽しいでしょ、理科って」
「うん」
俺は心から笑って頷いた。理科系の君といると楽しい。だから──。
「ねえ。今度さ、指輪を買いに行かないか?」
「指輪? それなら買うより、これで自分で作ったほうが面白いかも」
「いやあ。さすがに婚約指輪が醤油ってのはちょっと……」
「婚約指輪」
「あっ……しまった、言っちゃった……。うん、まあ。結婚したいなあ、って」
とんだ締まりのないプロポーズ。
それでも彼女はにっと笑って、立てた薬指に例の茶色い結晶を乗せながら、こくりと頷いてくれたのだった。




