喧嘩を売りましょう(上)
遅くなり、まことに申し訳ありません
その日はずいぶんと日差しが強かった。まだ春だとは言え、もうすぐ夏になるのではないかと思うくらいで、学園内ではちらほら半そでの人たちが見受けられた。
……一年生限定で。
校則を読んでいない人たちだな、と、アリーは見当をつける。
(ま、寮内だとはいえ知らないうちの校則を破るのはよくないことだよねえ)
隣に居たイリィムがアリーの耳元でこそっとささやいた。
「アリー、彼らはまだ服装移行期間ではないことを知らないのでしょうか?」
アリーも声を潜めた。
「じゃなければ彼らに喧嘩を売ろうとは思わないでしょうよ」
「そうよね」
エレインの笑みが深くなった。
「ざまあみやがれ、われらがアリーを見下した付けが来たのよ」
「ふふふ、そうですね」
イリィムも嗤った。
アリーは頭を抱える。とてもとてもこの二人のブレーキ役となるのに自分ひとりで良いとは思えなかった。
――アリーを見下した。そのことは入学早々の事件として、学園中の人々に認識されていた。
ことは一ヶ月前にさかのぼる。
*****
新たな仲間を作るために、教室が騒がしくなっていた。
エレインは同士ができたとご機嫌な様子である。
「またへんなほうに走らないでよ……」
アリーとしては心配でたまらないところだ。
むふむふと笑っていたエレインはその言葉に憮然として返した。
「変なほうってなによ! 変なほうって!」
アリーは無視した。
「ねえ、エレイン。さっきのイリィムって子、見覚えない?」
「イリィム……?」
エレインはきょとんとした。首をかしげると、豊かなブロンドがファサッと流れる。
右手の人差し指を耳の上でとんとんと跳ねさせていたが、その指が唐突に止まった。
ぎょっとした目がアリーに向けられ、ガラスのような瞳とぶつかる。
まさかとは思うけど、とエレインは首を振った。
「あの、イリィム?」
「私もまさかと思うよ」
「ありえないわ! あの子は、あの子は小さいときに私たちが……!」
アリーはエレインの頤をそっと包んで言った。
「それが現実でなかったとしたらどう? 私の目には少なくとも彼女にしか見えない」
「私の目にもそうみえたわ! でも、」
食って掛かるエレインの肩を後ろからエルティナがつかんで揺すった。
「ねえ、あたくしにも分かるような言葉で言ってくれませんこと? 蚊帳の外では寂しいですわ。よければ相談に乗りますわよ?」
「「わたくしたちもです!」」
後ろのギャラリーたちもそう言って、好奇心満々の目を向ける。
エレインは額を押さえた。
「だからってあなた方に分かるとは思わないわよ……」
「そうでもないかも」
アリーは呟いた。
(第三者の目から見て、彼女がどう映ったのか聞けるかもしれない)
「ねえ、エルティナ。さっきのイリィムという子についてどう思ったのか教えてくれない?」
「さっきの見たところ天才少女ですわね? そうねえ、官僚の娘くらいのできでしたわね。素晴らしい秀才さを感じましたわ。でもそんなに幸せそうな感じではありませんでしたわね……。まるで小さいころの何かを引きずっているような」
アリーとエレインの表情が固まった。
小さく唇が動き、それだ、という。
「は、あたくし、何かへんなこと言いましたの?」
「いえ、むしろ全然!」
「エルティナ、私、あなたを尊敬するわ!」
二人はがしっとエルティナの手を握り、ぶんぶんと振り回した。
「これなら彼女だという証拠になる! 私たちの陣へ引き込めるかもしれない!」
「え? え?」
エレインは花のような笑顔で微笑んだ。
「アリー、エルティナの引き込みは私がやるわ。あなたはイリィムをお願い」
「もちろん承知」
アリーは、イリィムの席まで駆け出した。
危ういようなお嬢様走りに見えるが、机やいす、はたまた人にまで当たらない。
突然走り出した黒髪の娘を、走る軌道の周りに居たものたちはなんだなんだと目を丸くした。
転ばせようと足を出されても、アリーは飛び越えるどころか全力で踏みつけて走る。
居室が辺に広いのが幸いして、踏みつけられたクズが倒れる先には誰も居なかった。
たどり着いた机で、静かに一人本を読んでいたイリィムは、息も切らさないアリーを間じかで見て、こまたように微笑んだ。
「アリー、でしょう」
アリーは大きく息をついた。
それは今まで息を止めていたからか、安堵のせいだったのか、その両方なのか、二人には区別がつかない。
「ええ、そう。アリーよ。……リィ」
「その呼び方、なんて懐かしいんでしょう! 私が施設に居たころの話ですから、ずっと忘れかけておりました」
「うそつき」
アリーは小さく唇を吊り上げた。
「リィ、貴女うそつきね」
え、とイリィムは目を見開いた。
アリーはトントン、と彼女の左手の中指の根元を触った。
そこには鈍く光る銀の指輪が。
息をするのも億劫そうに、震える声で、イリィムはそっと呟いた。
「忘れたことなんて、」
「うん?」
「忘れたことなんて、片時もありませんでした」
「……」
アリーは黙って先を促した。
「私が引き取られたのは七歳のころでしたが、それからずっと、貴女のことや、先生のこと、忘れたことなんてありませんでした。私にとってあの施設は、つらいことの集大成……というのは変な表現ですね……でもそれ以上につらいことがないくらい、苦しみの場所でした」
「……リィがここに入学すると知っていればこっちからまた手を打てたのに」
「そうしたかったのですが、あの時以来、私はすでに死んだものでしたから」
「……骨を見たときには本当に驚いたよ」
「私の骨、どうでしたか」
「焼死体だってさ。私の能力は過去にまでは遡れないから、信じてしまった」
そうでしたか、とイリィムは目を伏せた。
「あの施設、どうなりましたか?」
アリーの感情がふっと消えた。
「無くなった、よ」
「アリー?」
不振そうにイリィムはアリーを見上げた。
はっと我に返ったアリーは、顔の前でひらひらと手を振った。
「なんでもない」
「そうですか……? それで、アリー」
「なに?」
「まだあそこに付属しているんですか」
地を這うようなイリィムの声にややたじろぎながらもアリーは首を縦に振った。
「うん。――それでさ、リィ、私に協力してくれないかな」
イリィムはぱちぱちと瞬きした。
「え?」
「いや、リィが嫌なら別にいいんだけど」
「やります」
イリィムは微笑んだ。
「どうせこの学園にはこびって居るアレを正しにきたのでしょう」
「ワカッテクレテウレシイデス……」
拍子抜けしたアリーはどうにか笑みを浮かべた。
「これからよろしく、リィ」
「こちらこそ、アリー」
さて、だれに喧嘩を売ると思いますか?




