第9話:湯煙の追憶
「ふふ……リズ、そんなに密着しては、せっかくの広いお風呂が台無しですわよ」
リズが『超重圧・地熱励起』で強引に掘り起こした特製露天風呂。 エカテリーナは、正面から抱きついてくるリズの桃色の髪を優しく撫でていた。リズの加湿障壁と、源泉から立ち上る素晴らしい蒸気が、砂漠のようだったエカテリーナの肌を瞬く間に修復していく。
「だって、エカテリーナ様が温かくていい匂いがするんですもん! アンさんもこっちに来てくださいよー!」
「リズ、エカテリーナ様を困らせてはいけません。……ですが、エカテリーナ様の角質層が無事に守られたことは、私にとっても至上の喜びです」
アンが背後に回り、ゆったりお湯に浸かるエカテリーナの肩を優しく揉みほぐすされ、二人の愛娘のような側近とその贅沢な温もりに身を委ねていた。
「……ハチ! 貴女も入りなさい。案内人の貴女が、この美容液のような湯ざわりを確かめなくてどうしますの」
エカテリーナが雪壁の向こうへ声をかけると、「よろしいんですか! ありがとうございます!」と、専属メイドのハチが勢いよく飛び込んできた。
ハチが初めてエカテリーナの目に留まったのは、素行の全てがここにふさわしくないとメイド長にクビを言い渡されているときであった。
涙目でメイド長と話す内容を聞いていると、王宮勤めには珍しく人格的にくもりがなさそうだったので、試しに1か月程自己保身と他人の悪口が大好きな現任の専属のメイドと入れ替えてみた。観光名所と名物の食べ物に目がないだけでなく、どこで仕入れたのかその知識量はエカテリーナが目を見張るものがあり、面白がられてそのままの扱いでいる。ちなみに無遠慮な行動はエカテリーナの教育によって、ある程度時と場所を選べるようにはなっている。
「はぁー、極楽ですー……。エカテリーナ様、このお湯、地脈の力が直接伝わってきて、体の芯から力が湧いてきます!」
「ハチ、温泉では暴れない! ……それにしてもリズの魔力は、本当に桁外れですわね」
エカテリーナはお湯を跳ねさせて喜ぶハチの無邪気な様子に目を細め、その後ふと懐かしそうにリズを見つめた。
「リズ。……貴女と学園で初めて会った時のことを思い出しましたわ。あの時、貴女は授業中、内容が理解できない振りをして、わざと的外れな回答ばかりしていましたわね」
「あはは! バレてましたっけ。あの時は、こっそり自室で魔法の研究を楽しみつつ、目立たずに静かに卒業できればいいかなって思ってたんです」
「ええ。でも、その後の実技テストで、貴女が魔法の威力を寸分狂わず平均点に抑え込んでいる不自然な結果を見て、わたくし確信しましたの」
「テストの結果が張り出されてる前でいきなり『なんて悪趣味な退屈しのぎかしら。その溢れんばかりの才能、わたくしが使いこなしてあげますわ』って、わたしの手を取ったんですもの。あのときはびっくりドキドキしちゃいましたよー」
リズが目を輝かせて振り返る。自分の本質を隠そうとしていた努力を見抜いたエカテリーナの審美眼が、二人の出会いだった。
「アン、貴女との出会いも、今思えば運命的でしたわね。学園の図書室で、司書でも解けなかった古の封印書を、貴女が『整理の邪魔です』と事も無げに解読して片付けてしまった時……」
「ええ。……わたしの出過ぎた行動をあの場にいた皆が嫌悪の目で見る中、エカテリーナ様はわたしの手をとり、その知識を褒めてくださるだけでなく、こう仰いました。『ところで、貴女のその無駄のない指先の運び、急所を寸分違わず貫く剣筋のように鋭く、美しいわ。わたくしの『剣』と『叡智』になりうるかもしれませんわね』と。私の動きに潜む『武』の匂いにも気づかれたことに驚きを隠せませんでした。女性は剣など学んでいると知られたらすぐに禁止されてしまいますから少し焦りもしました。私もリズさんもそうですけど、突出した女性の才……とりわけ戦闘に関わるものは世間では気味悪がられますから隠します」
アンが少しだけ口角を上げ、懐かしむように目を伏せる。その指先は今、エカテリーナの肩を解きほぐしているが、かつて主に見抜かれた通り、いざとなれば音もなく敵を屠る鋭利さを秘めている。
それを聞いていたリズがふと気付いた。
「わたしの時もそうでしたけど、エカテリーナ様って気に入った相手を見つけたらいつもの毒舌そっちのけで目を輝かせてその手をとる癖がありませんか? スキンシップってやつですー」
「そういえば! わたしが初めて各地の観光地や名物の話をしたときも、『ハチ、もっと教えなさい!』って手をとって目を輝かせてらっしゃいました」
「普段と全然違うから急にああこられると惚れちゃいますよねー」
エカテリーナは誰にも表情を見られない方へ顔を向けて咳ばらいを一つ。
「……コホン、それは置いておいて、わたくしの目に狂いはありませんでしたわ。今や貴女たちは、わたくしの隣にいるのが当たり前の、かけがえのない存在ですもの。……ハチ、貴女もですよ」
北領の夜空の下、リズが掘り当てた温かなお湯の中で、四人の笑い声が響く。それはこの湯煙の中でより深い絆へと変わっていく。




