第32話:マリアの指示書
倉庫の柱に縛り付けられたエドワードは、猿轡越しに籠った声を出しながら、必死に胸元を指し示していた。
「……むぐ、むぐぅ!」
「エカテリーナ様、この男、懐に何か隠し持っているようですわ」
アンが眉をひそめながら、エドワードの懐から一通の書状を抜き取った。それはマリアの署名が入った、王室直属の軍を動かすための「指示書」だった。
エカテリーナがそれを広げ、内容を一読した瞬間、彼女の瞳に冷徹な光が宿る。
「……あなたはこれに従って、民を救えると信じていたのですか?」
猿轡を外されたエドワードは、喘ぎながら叫んだ。
「そうだ! それはマリアが、王都の不純物を一掃し、民に『永遠の安らぎ』を与えるための計画書だ! 私は、私は選ばれた執行者なのだぞ!」
「永遠の安らぎ、ですって? お兄様、この指示書にある『北東の廃村への民の移送』……移送した民をどうなさるのです?」
エカテリーナは怒りで握りしめた書状をエドワードの目の前に突きつけた。
「『神への生贄』として救済するのだ!」
「お兄様、それはただの虐殺ですわ」
「何を馬鹿なことを! マリアがそんな、残酷なことをするはずがない!」
「マリアは、あなたを救世主にするつもりなど最初からありませんわ。指示通りに民を殺害させた後、そのすべての罪をあなたに着せて処刑し、彼女自身が唯一の慈悲深い統治者として君臨する……。そんなところでしょう。これは『救済の指示書』ではなく、あなたの『死刑執行書』ですのよ」
「嘘だ……嘘だ! 彼女だけは、私を理解してくれているんだ!」
エドワードの目から、溢れんばかりの涙がこぼれ落ちた。未だに己の愚かさと、愛した女に最初から使い捨ての道具としてしか見られいないことに気付かない狂信者の目だった。
「……この国はわたくしに任せて、ゆっくり時間をかけて正気にお戻りください。さようなら、お兄様」
エドワードは力強く首を振り、柱に縛られたまま、獣のような慟哭を上げた。王都を、民を、そして妹を裏切ったことにすら気付かずに。
「お兄様はこのままここに。……さあ、行きましょう。民の命を弄んだ代償……マリア本人に、きっちりと支払わせて差し上げますわ」




