第30話:愚兄との再会
ナディアが遺した白い灰が舞う中、商業ギルドの巨大倉庫は、シオンが放った火によって赤黒い炎に包まれていた。積み上げられた木箱がパチパチと爆ぜる音が響く中、そこへ駆け込んできた男の絶叫が木霊する。
「何をしている、すぐに火を消せ! マリアの慈悲が、聖なるパンが燃えているではないか!」
現れたのは、金の刺繍にまみれた贅沢な衣装を纏う男――エカテリーナの実兄、第一王子エドワードである。彼は中毒物質入りのパンを配布する「聖域」としてここを視察に訪れたのだが、目の前の惨状に、髪を振り乱して取り乱していた。
「ええい、司祭! 衛兵を呼べ! この神聖なパンは、明日には王都のすべての民の手に渡るはずだったのだぞ!」
その傍らで、ナディアへの悪魔付きの儀式に失敗した司祭ジョセフもまた、火に照らされて卑屈な顔を歪ませていた。
エドワードが炎の前に立つ妹に気づくと、その顔は驚愕から、沸騰するような怒りへと変わった。
「エ、エカテリーナ!? なぜ貴様がここに……! おのれ、やはり貴様の仕業か! 追放された不浄な身でありながら、マリアの慈悲を焼き払うとは……万死に値するぞ!」
「あら、ごきげんよう、お兄様。相変わらず……いえ、以前にも増して醜い自意識が隠しきれていませんわね。王家の血筋が泣いていますわよ?」
エカテリーナは扇子で煙を払い、蔑みの視線を投げかけた。エドワードの肌は、マリア推奨の食事のせいで以前の美しさは見る影もなくなっていた。
「黙れ! 貴様に何がわかる! 今の王都を見ろ! マリアのおかげで、民は争いという『心の脂』を落とし、静かに従順になっているのだ! このパンこそが平和の礎。それを壊す貴様こそが、王都を汚す不純物だ!」
エドワードは燃え盛る木箱を素手で引きずり出そうとしながら、半狂乱になりながらマリアを褒めちぎる。妹を追放し、国を毒に浸している自覚すらない、醜悪な「マリア自慢」……。
「……司祭。お兄様は、このパンに混入された『忘念草』のことを知っていておっしゃっているのかしら?」
エカテリーナの問いに、ジョセフが卑屈な笑いを浮かべる。
「これはこれは。殿下も、民を大人しく導くための奇跡のスパイスとして納得しておられますよ」
「……お兄様、あなた。わかっていて毒を配っていたのですか? 自分の民を、家畜以下の無気力な肉塊に変えるために?」
「毒だと? 言いがかりはやめろ! これは救済だ! お前のような、外面ばかりを磨き、実の兄を敬う心さえ持たぬ不浄な女には、このパンの価値はわかるまい! 消せ! 今すぐこの火を消して、私を褒めてくれたマリアへの忠誠を示せ!」
燃えるパンの山にしがみつこうとするエドワード。その浅ましい姿に、エカテリーナの周囲に、周囲を凍らせるような冷徹な魔力が渦巻いた。
「……お兄様。あなたのその濁りきった脳漿と、そこに寄生する聖職者を自称する汚物。まとめて浄化して差し上げますわ」
「な、何を……ひっ!? 司祭、こいつらを捕らえろ!」
「アン、雷牙。司祭は塵一つ残さず焼却を。……お兄様は速やかに拘束なさい。実の妹として、これ以上王都の地を汚させるわけにはいきませんわ」
「……承知しました。王家の恥部を処分します」
アンの眼鏡が冷たく光り、シオンが退路を断つ。炎に照らされたエカテリーナの冷徹な微笑が、エドワードとジョセフを絶望の淵へと突き落とした。




