第28話:荒廃する王都
長い旅路の末、ついに王都の正門を潜ったエカテリーナ一行を待っていたのは、かつての栄華が嘘のような、灰色に沈んだ光景だった。
「……これが、わたくしの愛した王都ですの? まるで洗顔を怠って酸化した皮脂がこびりついた肌のように、街全体がひどくくすんでいますわ」
エカテリーナは、汚れ一つない絹のハンカチで鼻先を覆い、険しく眉を寄せた。大通りを行き交う人々は一様に虚ろな瞳で足元を見つめ、その肌は生気を感じさせない土色に沈んでいる。
「エカテリーナ様、見てください。あちこちで配られている、あの白いパンを……」
アンが指し示す先では、国からの施しとして「聖なるパン」と銘打たれた真っ白なパンが配られていた。人々はそれを、救いを求めるように無表情に口へと運んでいる。
ハチは巨大なリュックを揺らしながら露店へ近づき、パンの欠片を指先で検分した。
「これ……ただのパンではありません。この独特の青臭い残り香……。隣国ヴァルキュリア産の『忘念草』の粉末が練り込まれています!」
ハチの指摘に、雷牙が眉をひそめる。
「忘念草だって? 確か、家畜を大人しくさせるための薬草だったはずだが」
「その通りです。微量なら多幸感を与えますが、摂取し続ければ意欲を奪い、判断力を麻痺させる中毒物質……。そんなものを食べ続けたらみな死んでしまいます!」
「どうやらマリアはこれを使って王都全体を死の街にしているようですわね」
アンが冷徹な声で疑問を口にした。
「……理解に苦しみます。民を無気力にし、国を荒廃させれば、聖女としての彼女自身の基盤も揺らぐはず。国を支配したいのであれば、これではマリア自身に利がありません。彼女は一体……」
「利、ですって? アン、あなたは少しマリアという女を買い被りすぎていますわ」
エカテリーナは扇子を鋭く閉じ、氷のような視線をギルドの建物へと向けた。
「美学のない人間にとって、支配とは『自分より美しいものを壊し、自分と同じレベルまで汚すこと』に他なりませんの。彼女は国を繁栄させたいのではなく、単に管理下に置きたいだけなのではないかしら。……ただの、極度のコンプレックスが生んだ八つ当たりですわ」
「エカテリーナ様、わたくしには想像が及びません。八つ当たりで国を滅ぼそうとするなど……」
アンが動揺しその瞳が震える。
「アン、安心なさい。わたくしが王都に帰っているのです。まずは不純物が混じったパンなど、皿ごと叩き割って差し上げますわ。ハチ、リュックに『解毒作用』のある薬品、薬草の備蓄はありますかしら?」
「もちろんです!」
「よろしい。すべてリズに渡してちょうだい。リズはこれから別行動よ。急ぎ王都内のあなたの屋敷へ戻って皆を元に戻すための研究にとりかかりなさい」
「えー、それ時間がかかりますよー……あ! わかりましたー」
「よろしい。……アン、雷牙、シオン、ハチ。わたくしの王都に溜まったこのおぞましい澱を、根こそぎ成敗しに行きますわよ」
物流の要所、商業ギルド。そこを拠点に毒を撒き散らす不純物共を排除するため、エカテリーナの一行は、迷いなく踏み込んだ。
ギルド敷地内の巨大倉庫前。本来なら屈強な男たちや商人の活気で溢れるはずのそこは、今や異様な静寂に包まれていた。入り口には、マリアに従う「清貧騎士団」の衛兵が、死人のような無機質な瞳で立っている。
「害虫が入り口にこびりついていますわね。アン、雷牙。手早く排除なさい」
アンの抜刀と同時に、雷牙が地面を蹴る。連携の乱れを克服した二人の動きに迷いはない。衛兵が声を上げる暇もなく、アンの居合い抜きが首を刈り、雷牙の豪腕が鎧ごと肉体を沈めた。
倉庫の重厚な扉を雷牙が粉砕し、一行は広間へと足を踏み入れる。
「ようこそ、不浄なる毒舌姫。ここは今、聖女様の慈悲によって『清らかなる保管庫』となった場所ですよ」
広間の中央、贅沢な椅子にふんぞり返っていたのは、マリアの側近らしき法衣の男だった。彼の背後には大量の木箱が積み上げられている。
「……清らかなる保管庫? 笑わせないで。シオン。その汚物をすべて片付けなさい」
「お任せください。エカテリーナ様」
シオンは着火の魔道具を懐から出し、端の木箱へ放り投げた。火が広がっていく様を見てパニックに陥った法衣の男が叫ぶ。
「何をしている! そのパンは聖女様が下された奇跡だぞ! ……出ろ! 清純なる断罪者よ! この不潔な女を討て!」
その叫びに応じるように、天井から一人の少女が舞い降りた。
真っ白な法衣を纏っているが、その顔色は土色。額や頬には酷いニキビと肌荒れが広がり、人体の限界を超えた魔力の放出によって、彼女の肉体はミシミシと悲鳴を上げている。
「私は……断罪者。不浄なる、エカテリーナを……ここで、討つ……っ!」
少女の顔を見てエカテリーナの表情が一瞬曇る。
彼女が短剣を構えた瞬間、空気の振動が変わった。アン、雷牙、シオンが即座に陣形を組む。
「あら、ナディア、ごきげんよう。アン、わたくし、あの惨めな姿を至近距離で視界に入れるのは耐えられませんわ。網膜が汚染されてしまいます。軽く懲らしめておやりなさい」
「承知しました」
アンが淀みなく居合の構えをとる。気持ちとは裏腹に眼鏡の奥の目が笑っていた。




