第24話:善人の定義
アバンダンの街の最高級宿舎。偽エカテリーナこと詐欺師のミラは、ふかふかの長椅子に寝そべり、取り巻きの男たちが街の有力者から巻き上げてきた金貨の山を眺めていた。
「ふふ、チョロいものね。王女の肩書きと、この裸同然の服と金にものを言わせた装飾。男なんて、これだけで勝手に財布の紐を緩めてくれるわ」
ミラは似顔絵以上に際どい、薄い絹布を纏っただけの姿で、葡萄を口に放り込む。その様子を、認識阻害の魔法で姿を消した本物のエカテリーナとシオンが、部屋の隅から冷ややかに見つめていた。アン以外の従者は宿に待たせようとしたところ、シオンがどうしても自分がついていくと頑なに態度を崩さないので、エカテリーナとアンが折れる形になった。
そこへ、部屋の扉が控えめに叩かれた。現れたのは、煤けた服を精一杯整えた、生真面目そうな中年男――下級役人のトーマスだった。
「姫様! お忙しいところ恐縮ですが、どうか、どうかお聞き届けください!」
トーマスは床に額をこすりつけ、必死に訴え始めた。この街の領主が孤児院への予算を打ち切り、行き場を失った子供たちが飢えに苦しんでいること。自分一人の給与では到底養いきれず、子供たちが一人、また一人と病に倒れていること。
「……はぁ。それで、わたくしにどうしろとおっしゃるの?」
偽物は爪を磨きながら、心底退屈そうに答えた。トーマスが「領主の不正を正し、子供たちに救いの手を!」と涙ながらに叫ぶと、彼女は適当な相槌を打つ。
「ええ、ええ。善処しますわ。わたくし、可哀想な子供たちは見過ごせませんもの。……ねえ、もういいかしら? 次の来客を待たせてるの。あなた一人だけの話をいつまでも聞いていられないのよ」
扇子で顔を隠し、追い払うような仕草。トーマスが去った後、ミラは鼻で笑った。
「ケッ、金にもならない孤児の話なんて。あんな小汚い男の相手をするだけで、こっちの格が下がるわよ。……ねえ、今夜は羽振りのいい商人と楽しめそうないい男を呼びなさい」
その言葉に、取り巻きの男たちが下卑た笑い声を上げる。
「へへ、そうですね。ガキなんて放っておけばいい。姐さんの魅力で骨抜きにして素寒貧にしてやりやしょうぜ」
そのやり取りを聞いていたシオンの周囲に、凄まじい殺気が渦巻いた。
(……救いようがない。あの男たちも、あの女も。欲望のために女を利用し、己の利益のために弱者の魂を踏みにじる)
シオンは、トーマスの去り際の絶望に満ちた背中と、それを見送る男たちの不潔な笑みが、暗殺者時代に見てきた「最悪の景色」と重なり、吐き気がした。
自身の五体を躊躇なくあらゆる用途で使うよう命令され、いつしか心が壊れてしまった頃の自分と。
しかし、エカテリーナは冷静だった。扇子の陰で、偽物の爪を観察している。
「……面白いですわね。あの詐欺師、口ではあんな不潔なことを吐き捨てながら、先ほどの男が置いていった数少ない銅貨だけは、金貨の山とは別に、そっと布に包んで隠しましたわ」
「エカテリーナ様……?」
「シオン。紛い物のメッキが剥がれる瞬間は、外からの衝撃ではなく、内側の矛盾から始まるものですわ」
その時、廊下が騒がしくなった。
「エカテリーナ姫様! 我らアバンダン商業組合の者たちも、不正の告発に参りました!」
「姫様が動いてくださるなら、我らも領主への納税を拒否する覚悟です!」
トーマスの必死の訴えが、「慈悲深い姫が来た」という誤解を街中に広めてしまったのだ。
次々と押し寄せる有力者たちと、引くに引けなくなった詐欺師のミラ。
「……ちょっと、これ、どういうことよ……!?」
狼狽する偽物の顔が、冷や汗で薄化粧を崩していく。
本物のエカテリーナは、その「計算違い」を愉しむように、闇の中で静かに微笑んだ。




