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第2話:正義の忍! 雷牙の襲来と、泥だらけのパン

王都を出て二日目。一行はハチの案内により、最初の目的地である「ベルン領」への街道を歩んでいた。

「お嬢様、見てください! あのなだらかな丘を越えれば、王国内で最も甘い香りを放つと言われる『ベルン小麦』の産地ですわ!」

巨大な荷物を背負いながら、ハチがよだれを拭いつつ指差す。


「……ふん。景色は悪くありませんわ。わたくしの瞳を汚さない程度の価値はあるようですね」

エカテリーナが扇子を広げ、優雅に歩を進めた、その時だった。


「お命頂戴するぜぃ、お姫様ぁ!」


頭上の木々から、どす黒い殺気と共に影が舞い降りた。

露出度の高い装束に、引き締まった筋肉。無精髭を蓄え、渋い色気を漂わせた男――雷牙である。

彼は空中で鮮やかに回転し、エカテリーナの喉元へ鋭いクナイを突き出した……はずだった。


キィィィィィィィン!


鼓膜を突き刺すような金属音。

雷牙のクナイを止めたのは、アンが鞘から抜き放った、細く鋭い剣だった。


「……姫様に、泥臭い殺気を向けないでくださる?」

アンの眼鏡が冷たく反射する。一ミリの無駄もない抜刀術だ。


「え、あ、速……っ!?」

驚愕する雷牙の足元に、リズがふわりと指先を向けた。

「逃げちゃダメですよー。重力、三倍ですー」

「ぐはぁっ!?」

見えない不可視の圧力が雷牙を地面に叩きつける。重力魔法の直撃を受け、雷牙は這いつくばったまま動けなくなった。


エカテリーナは、泥を舐めることになった男の前にゆっくりと歩み寄った。彼女は怯えるどころか、扇子の端で雷牙の顎をクイと持ち上げる。


「わたくしの認識阻害を突破した割にはあっさり負けましたわね。それにしても随分と……骨格が良いですわね。その広背筋、日々の鍛錬を怠っていない証拠。執念深く自分を追い込めるその資質だけは、認めてあげなくもありませんわ」


「な、なんだよあんた……。俺は、あんたが各地で民を苦しめている悪女だって聞いて……」


「わたくしが? ふん、そんな暇があるならお肌の手入れをしますわ。……いいでしょう。騙された愚かさには呆れますが、その筋肉の質に免じて命だけは助けてあげますわ。今日からわたくしの下僕として、荷物持ちと偵察に励みなさい」


「はぁ!? 俺は誇り高き忍び……」


「アン」

「はい。……首を、跳ねますか?」

「運びます! 喜んでお供しますお頭!」

アンの無慈悲な問いかけに、雷牙は秒でプライドを捨てた。


一行がたどり着いたベルン領の村は、しかし、ハチの事前情報とは裏腹に重苦しい空気に包まれていた。

村の広場では、代官の兵士たちが農民たちを取り囲んでいる。


「待ってください! それは冬を越すための、数少ない食料なんです!」


老いたパン職人が地面に這いつくばり、兵士の足にしがみついていた。その手からこぼれ落ちたのは、黒ずんだ硬いパンの塊だった。兵士はそのパンをあざ笑うように踏みつけ、泥の中にめり込ませる。


「うるさい! エカテリーナ姫は美食家なのだ。お前たちが食うような家畜の餌は必要ない。この小麦の種モミも、すべて姫様の『美肌を保つ美容薬』の資金にするために没収だ。文句は王都の姫様に言え!」


兵士は泥まみれになったパンを蹴り飛ばした。パンは無残にも転がり、エカテリーナの靴先に当たって止まった。

真っ白な刺繍が施された彼女の靴が、跳ねた泥で汚れる。


エカテリーナは、足元の「泥だらけのパン」を静かに見下ろした。

(……まあ。わたくしの名前を、このような不衛生で品性の欠片もない行為に利用するなんて。それに、このパン……。これほど泥にまみれてもなお、小麦の芯がしっかりしている。職人がどれほどの思いで捏ねたか、わたくしにはわかりますわ)


彼女は、泥のついた靴を気にする様子もなく、圧倒的な威圧感を纏って、兵士たちの前へと進み出た。


「ちょっと。そこの不細工な方々。その汚い足を今すぐ引きなさい。わたくしの視界が汚れて、視力が落ちてしまいますわ」


「あ、あんたは……エカテリーナ姫!? なぜこんな場所に……」


「アン、リズ。そして……そこの忍者。わたくしの名前を汚した不届き者に、本当の『身の程』を教えてあげなさい!」


次の瞬間、村の広場は修羅場と化した。

アンの神速の剣が兵士たちの鎧を紐のように切り裂き、リズの魔法が彼らを一箇所に固めて氷漬けにする。そこへ雷牙が先程負けた鬱憤晴らしの回し蹴りを叩き込んだ。


数分後、地面に転がる兵士たちを見下ろし、エカテリーナは奪い返した種モミの袋を老パン職人に手渡した。

「……おじいさん。その種モミで、最高のパンを焼きなさい。わたくしの舌を満足させられなかったら、今の兵士たちと同じ目に合わせますわよ?」


職人は、エカテリーナの瞳の奥にある「凛とした意志」を見た。泥を拭い、彼女はパンの破片を拾い上げて職人に突き出したのだ。

「……は、はい! 命を懸けて、黄金のパンを焼き上げます!」


夕暮れ時、村に香ばしいパンの香りが立ち込めた。

一口食べたエカテリーナは、不機嫌そうに扇子で口元を隠した。

「ふん。焼き込みが甘いですわね。……でも、素材の良さと職人の指のタコだけは、認めてあげますわ。少ないですけれどこれは褒美です」

エカテリーナは薬指に身に着けていた指輪を老婆の手を握って渡す。

老婆は驚きつつもエカテリーナに感謝を述べた。

「こ、こんな高価なものを……ありがとうございます」


その横で、ハチと雷牙が焼きたてのパンを頬張っている。

「これですお嬢様! このもっちり感!」

「……悪くねぇ。貴族の屋敷で盗み食いしたパンより、よっぽどうめぇ……」


エカテリーナは、パンを頬張る一同の姿を見ながら、小さく独りごちた。

「……さあ、次はどこの不届き者を跪かせに行きましょうかしら。わたくしの肌が荒れる前に、この国の膿を出し切りませんと」


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