第12話:暗殺者の洗顔
「……カイル、案内ご苦労様。あなたの指先、石の粉で随分と汚れていますわね。ですが、その汚れは逃げ出さずに戦った者の証……悪くありませんわ」
宝石美術館の隠し搬入口。エカテリーナはカイルを下がらせると、漆黒のドレスの裾を揺らしながら、冷え切った地下通路へと足を踏み入れた。
「エカテリーナ様、前方から不浄な殺気を感じます」
アンが鋭く警告を発すると同時に、闇の中から数条の鋼糸が走り、エカテリーナの首筋を狙う。だが、その糸はエカテリーナに触れる直前、アンの抜き放った白刃によって、火花を散らして弾き飛ばされた。
「……鼠が一匹。マリアに尻尾を振る、卑しい暗殺者ですわね」
現れたのは、顔の半分を包帯で覆い、影に溶け込むようなボロを纏った女暗殺者だった。彼女はヴァルキュリアが送り込んだ刺客であり、この地下拠点を守る「番犬」である。
「……ここから先は、聖女様の敵が通る場所ではない。死を以て償え」
暗殺者が再び影に紛れ、超高速でエカテリーナの死角からナイフを突き出す。しかし、エカテリーナは動じない。
「リズ!」
リズが杖を地面に叩きつけた瞬間、物理法則を無視した圧倒的な重圧に、暗殺者は床に叩き伏せられ、ピクリとも動けなくなる。
「ぐ、あぁっ……!?」
「あは、やっぱりお嬢様はこっち(生け捕り)ですよねー。今の『リズ!』って呼び方、殺しちゃダメって意味だと思って、ちゃーんと骨が折れない程度に重力マシマシにしときましたよー」
リズのいつものゆるい口調にエカテリーナは満足げに鼻を鳴らすと、優雅な足取りで、地に這いつくばる彼女の傍らまで歩み寄った。そして、扇子でその顎をクイと持ち上げる。
「……ひどい顔ですわね。復讐か、あるいはマリアへの狂信か知りませんが……。憎しみで顔を歪め、ろくに手入れもしていない肌。毛穴には毒薬の粒子が詰まり、髪は埃で死んでいます。これでは魂が曇るのも当然ですわ」
「な……何を……殺せ……!」
「殺す? わたくし今はそんな気分じゃありませんの。磨けば光るその容姿に感謝なさい」
エカテリーナは懐から、一瓶の極上な洗顔水を取り出した。それは北領の温泉成分をリズが凝縮し、エカテリーナが香りを調合した特製品である。
「アン、この者の拘束を。そしてリズ、適温の清浄水を用意しなさい。……あなたには敗北した暗殺者の末路として、相応しい『刑罰』を与えて差し上げますわ。まずはその汚らしい洗顔から始めなさい。顔の汚れも落とせぬ者に、わたくしと対等に言葉を交わす資格などありませんわ」
無理やり顔を洗われ、あまりの清涼感とエカテリーナの場違いな言動に毒気を抜かれた暗殺者は、呆然と聖女の敵を見上げる。
「汚れを落として少しはマシな顔になりましたわね。さあ、その清潔になった頭で考えなさい。マリアという偽物のために、その磨けば光るかもしれない命を捨てる価値があるのかどうかを」
エカテリーナの圧倒的な「教育」によって、暗殺者の瞳から狂信の曇りがわずかに晴れる。
「……さあ、この奥に鎮座する『鉄の化け物』、まとめてスクラップにして差し上げますわよ」
エカテリーナは暗殺者を背後に残し、堂々と奥の格納庫へと向かう。その後ろ姿は、もはや制裁者ではなく、迷える魂を導く女王のようであった。
エカテリーナが格納庫の巨大な扉を開け放つと、そこにはパレードの山車に偽装された、ヴァルキュリア製の自律型魔導兵器が数十機、不気味な鈍色の光を放って並んでいた。
「……ふん、鉄屑の分際でわたくしの街を闊歩しようなど、片腹痛いですわ。リズ、この『醜悪な置物』たちを、本来あるべき塵の姿に戻して差し上げなさい」
「はーい! 宝石の街に鉄屑は似合いませんもんね。一気に大掃除しちゃいます!」
リズが杖を高く掲げると、広範囲の分解魔法が展開され、魔導兵器の装甲は音を立てて砂へと崩れ落ちた。その静寂を切り裂くように、雷牙が音もなく現れた。
「お頭、ビンゴだ。領主の屋敷を覗いてきたが、領主とギルド長の野郎、マリアからの親書を前に、王都が火の海になった後の利権配分についてニヤニヤ笑いながら話し合ってやがったぜ。ヴァルキュリアとの契約書もバッチリこの目で拝んできた」
「……なるほど。単なる無能かと思えば、私欲のために国を売る不潔な害虫でしたのね。雷牙、よくやりました。褒めてあげますわ」
エカテリーナは満足げに頷くと、通路で拘束され放心している女暗殺者の前で立ち止まった。
「さて、そこのあなた。顔を洗って少しは頭が冷えましたかしら? あなたが信じていた『聖女』とやらは、豚どもと手を組み、この兵器で罪なき民を蹂躙しようとしていた……。これが、あなたの守りたかった美学ですの?」
「……あ、ああ……。私は、ただ……世界を浄化すると……」
「浄化を語るなら、自分の頭からはじめなさい。マリアの不潔な洗脳に当てられたその頭の中、きれいにしてあげますわ。リズ、研究の成果を見せて頂戴」
リズが得意げに胸をはってから手を暗殺者の頭にあて魔力を流し込んだ。
「はーい、任せてください。ベルン領を出て頭の中で大分研究が進みましたから多分いけますよー……。はい、できました。洗脳による脳へのダメージは回復させました。回復によって今までの暗示や刷り込みには無効になって耐性もついてますから、洗脳前より優秀な脳になってるはずですよー」
エカテリーナは満足そうに頷いてリズの頭を撫でた。
「素晴らしい研究成果ですわ。王都に帰ったらあなたの望む褒美を用意します。なにより、わたくしの為にここまでの成果をあげてくれたその気持ちに感謝しますわ。
リズは満足そうな笑顔で気持ちよさそうに撫でられている。
エカテリーナとリズの一連のやり取りを黙って見ていた暗殺者は、二人のやりとりが落ち着いてから口を開いた。
「……私の名は、シオン。エカテリーナ様……あなたの真の美しさに、この命を預けます」
「よろしい。ではシオン、雷牙。案内なさい。この街の汚れの源泉……領主の館へ、直接お掃除に伺いますわよ」
1時間後、領主の館。
「くくく、これで我らも王国の支配層に……」
――ドォォン!
豪快な音と共に、重厚な扉が粉々に砕け散った。
「――不潔な密談の最中に失礼。わたくしの鼻を突くほどの悪臭がしたので、換気をして差し上げましたわ」
「な、何奴だ!? 衛兵! 衛兵を呼べ!」
狼狽する領主たちの前に、エカテリーナが優雅に歩み出る。彼女は懐から、眩い光を放つ魔道具を取り出した。王家の魔法刻印である。
「王家の……刻印!? ま、まさか……本物の……」
「跪きなさい。わたくしはこの国の美しさを損なう『不純物』を取り除く権限を賜っていますの。あなた方がヴァルキュリアと通じ、マリアという偽聖女に魂を売った証拠は、既に我が下僕たちが押さえていますわ」
エカテリーナの冷徹な宣告と共に、アン、雷牙、そして新たに配下に加わったシオンが、領主とギルド長を瞬時に取り押さえる。
「……さて。シオン、アン。この街の不潔な元凶を広場へ引きずり出しなさい。明日の朝、本物の宝石の輝きと共に、彼らの罪を白日の下に晒しますわよ」
エカテリーナは窓の外、月明かりに照らされたオーロライトの街を見下ろした。
翌朝。オーロライトの広場には、街中の人々が集まっていた。
その中心で、昨夜まで贅の限りを尽くしていた領主とギルド長が、みすぼらしい姿で太い柱に縛り付けられ、晒し者にされていた。新領主監視の元、彼らの足元にはヴァルキュリアとの密約や、職人たちを不当に追放した証拠の数々が広げられている。
さらにエカテリーナの命により、倉庫に眠っていた「合成魔宝石」はすべて広場に運び出され、リズの重力魔法によって一瞬で粉々に粉砕された。
「あはは! 偽物は砂利にでもなっちゃえー!」
カイルたちが涙ながらに感謝の声を上げる中、エカテリーナは彼らに一瞥もくれず、次の目的地へと向かうのであった。
「この街にも本物の輝きが戻りましたわね。さあ、北領、そして宝石の街……。順調にクレンジングが進んでいますわね。次は、わたくしの舌が満足する場所へと参りましょうか」




