EP 3
「月兎族の村長、リビングを占拠す」
「ひっ、ひぃぃぃ! 死んでる! この人、死んでますぅぅ!」
「落ち着けリーザ! まだ息はある!」
俺は血まみれの少女――キャルルを抱え上げ、リビングへと運んだ。
純白の毛並みをした兎の耳が、ぐったりと垂れ下がっている。
返り血で汚れてはいるが、彼女自身に大きな外傷は見当たらない。
「これ……全部返り血か。一体、外で何をしたらこうなるんだよ」
とりあえず、俺は『マイホーム』のスキルを発動させる。
「洗面所に、除菌シートと清潔なタオル、あと救急セット一式!」
念じると、脱衣所の棚に新品の備品がパッと出現した。
これだ。この「家の中なら何でも揃う」感覚。
35年ローンの地獄から授かった、唯一の希望。
俺とリーザは、手分けして彼女の顔や手足を拭いた。
しばらくすると、彼女の呼吸が徐々に安定し始める。
「……ん……っ」
長い睫毛が震え、真紅の瞳がゆっくりと開いた。
「……ここは……天国、か? 妙に、空気が涼しくて……香ばしい匂いがする……」
「起きたか。ここは俺の家だ。玄関、派手に壊してくれたな」
俺が声をかけると、彼女はバネのように跳ね起きた。
その動き、あまりに速すぎて残像が見える。
「なっ!? 男!? ……しまっ、武器は……!」
「落ち着いてください! この人は命の恩人、ダーリンです!」
「誰がダーリンだ。ほら、これでも飲んで落ち着け」
俺は冷蔵庫からキンキンに冷えた麦茶を差し出した。
キャルルは警戒しながらも、喉の渇きには勝てなかったようで、コップをひったくるようにして飲み干した。
「……っ!? なんだこの喉越しは! 冷たい! 魔導具でもないのに、これほど一定の冷気を保った飲み物など……!」
「麦茶だよ。それよりあんた、何があったんだ?」
彼女は少しだけ毒気を抜かれたようで、ふぅ、とソファに深く腰掛けた。
その瞬間、彼女の目が見開かれる。
「……っ!? な、なんだこの柔らかさは! 尻が、尻が吸い込まれる! この『そふぁ』なる椅子、もしや古代の癒やし属性を持ったアーティファクトか!?」
「いや、ニトリで三万九千円だ」
彼女の名前はキャルル。
このポポロ村の村長であり、元レオンハート王国の近衛騎士候補。
さっきまで、村を狙っていた野盗の拠点を「掃除」しに行っていたらしい。
「あいつら、しつこくてな……。全員再起不能にしてきたが、少し闘気を使いすぎたようだ。……む?」
キャルルの鼻がピクピクと動く。
視線の先には、リーザが食べていた残りの卵焼き。
「……食べてみるか?」
「ふん、私は村長だぞ? 見ず知らずの男が出した食い物など――」
パクッ。
俺が差し出した一切れを、彼女は反射的に口に含んだ。
「…………っ!!」
キャルルの兎耳が、ピンッ! と垂直に直立した。
「美味い……! なんだこれは、甘くて、しょっぱくて……力が、闘気が体の底から湧き上がってくるようだ! それにこの部屋……涼しい。夏のこの時期に、汗ひとつかかないだと……?」
「エアコンっていう魔法……みたいなもんだよ」
「えあこん……。ふん、気に入ったぞ。貴様、名は?」
「加藤真守だ」
「マモルか。よし、決めた! マモル、今日からここを私の『前線基地』とする!」
「はぁ!? 勝手に決めるなよ!」
「文句があるのか? 村長である私を保護するのは、村人の義務だ。それに……」
キャルルは、リビングに敷かれたフカフカのラグにゴロンと横たわった。
そして、リーザから「これ、人参ジュースです!」と手渡されたコップを飲みながら、テレビ(ルチアナが横流しした魔導通信版)に映るキュララの配信を眺め始めた。
「ここは良いな。……天国だ。もう、あの冷たい石造りの村長宅には帰りたくない」
「同感ですぅ、キャルルさん! ダーリンの家、最高ですよね!」
「おい、リーザまで……」
気づけば、俺のリビングは「底辺人魚」と「最強戦兎」に完全に占拠されていた。
挙句の果てに、二人は女子会さながらにファッション誌(なぜか本棚にあった)を読み耽っている。
平和だ。
玄関のドアがバキバキに壊れていることを除けば、あまりに平和すぎる。
だが、俺は忘れていない。
女神ルチアナとの契約を。
「……これ、月々のローン返済、どうすりゃいいんだよ」
金貨100枚。
こののんびりしたポポロ村で、そんな大金をどうやって稼げばいいのか。
その時、玄関(の残骸)から、コテコテの関西弁が響いた。
「ほっほー、えらい賑やかやなぁ。ここが噂の『家ごと落ちてきた聖域』でおまんな?」
煙管をくゆらせながら現れたのは、猫耳をつけた小柄な男――ゴルド商会のニャングルだった。
俺の異世界生活は、スローライフどころか、国家を揺るがす「経済戦争」の渦中へと突き進もうとしていた。




