EP 8
「特級魚魔獣・メガ・マグローザ出現」
ズゴゴゴゴゴゴッ……!!
海鳴りなどという生易しいものではない。
地球の底が割れたかのような、地響きに似た重低音が北の海を震わせた。
「……ッ!? 船が、持ち上げられてる!?」
俺は傾く甲板に必死にしがみついた。
見下ろした海面は、すでに海の色を失っていた。
船の全長を優に十倍は超える、途方もなく巨大な『黒い大陸』が、海の中からせり上がってきているのだ。
ザバァァァァァァァッ!!!
ナイアガラの滝が逆流したかのような、規格外の水柱。
俺たちの乗る木造漁船が、まるで木の葉のように空中に跳ね上げられた。
「ヒィィィィッ! 出たァァァッ! 北の海の死神……特級魚魔獣『メガ・マグローザ』だァァァッ!!」
ドワーフの船長が、操舵輪にしがみつきながら白目を剥いて絶叫した。
海面を割って姿を現したのは、山脈のように巨大な背びれ。
そして、鋼鉄のように黒光りする流線型の巨体。
深海から現れたその怪物は、ギラギラと血走った巨大な眼球をギョロリと動かし、リーザが放った『虹色でオーガニックな撒き餌』の香りを狂ったように嗅ぎ回っている。
「オーウ、シット! 規格外のホスタイル(敵)デス! ユーゴ、ミーたちの火力じゃ装甲を抜けマセン!」
「撃てニコラス! 弾薬は気にするな! 弾幕を張って、ヤツのヘイトを逸らせッ!」
ダダダダダダダッ!!
ズドォォォンッ!!
甲板に転がった元SWATの二人が、SCAR-HとベネリM4の引き金を限界まで引き絞る。
だが、彼らが放つ現代兵器の弾丸は、メガ・マグローザの分厚いウロコにカンカンと弾かれ、傷一つ、いや、痒みすら与えられていないようだった。
『ゴォォォォォォォォォッ!!』
メガ・マグローザが、大気を震わせるほどの咆哮を上げた。
その大口を開ければ、俺たちの船など丸呑みにできそうなほどの絶望的なサイズ感だ。
「だ、ダーリン……! 私のせいで……私のションベンと、ゲロのせいで……っ!」
まだ口元を押さえているリーザが、涙目で俺のジャージの裾をギュッと掴む。
アイドルとしての尊厳も、命の危機も、すべてが限界だった。
「終わった……。ワシらの船は、借金まみれの素人が吐いた『人魚のエキス』のせいで、伝説の怪物の胃袋に消えるんだ……ッ」
船長が、完全に生きることを諦め、甲板に突っ伏した。
だが。
怪獣映画のような絶望とパニックが渦巻く甲板で。
ただ一人、まったく別のベクトルで『限界』を迎えている男がいた。
――バシャァァァァァッ!!
メガ・マグローザが巨大な尾びれを海面に叩きつけた瞬間。
信じられないほど大量の波飛沫が、甲板を丸ごと洗い流すように降り注いだ。
「…………っ」
俺は、頭のてっぺんから足の先まで、完全にズブ濡れになっていた。
冷たい海水。
マグロの生臭い匂い。
そして……ほんの少しだけ混ざっている、リーザが放った『フローラルでオーガニックなゲロ』の香り。
「あ……」
リーザが、俺の姿を見て息を呑んだ。
ニコラスと鮫島も、発砲を止めて固まった。
「ボス……」
俺は、濡れた前髪をゆっくりと掻き上げた。
そして、自分のお気に入りの『芋ジャージ(上下セット2,980円)』に染み付いた、極上の異臭を嗅いだ。
「……おい」
俺の口から出た声は、荒れ狂う波の音すらも凍りつかせるほど、低く、冷たかった。
俺はただ、マイホームの最新型エアコンを守るために、真面目にロープを引いていただけだ。
それがなぜ、ギャンブル狂いのクズどもが招いた怪物のせいで、ゲロと魚の生臭い汁を頭から被らなければならないのか。
「てめぇら……」
俺の右手に、いつの間にか握られていたもの。
それは、ルチアナ(駄女神)から護身用に押し付けられた、三節棍――伝説の武具『王帝』。
「……俺の、洗いたてのジャージに……変な匂い、つけやがってェェェッ!!」
魔王軍の幹部を消し飛ばしたあの『小市民のブチギレ』が、北の海のド真ん中で、再び限界突破しようとしていた。




