EP 6
「船内通貨と悪魔のチンチロ」
「ぜぇ、はぁ……っ。なんで俺が、魚の血と内臓まみれに……」
マグローザ漁船の薄暗い船倉。
俺はゴム製の前掛けを血で赤く染めながら、氷の上に次々と放り込まれる魚魔獣の仕分け作業を行っていた。
すでに全身から生臭い匂いが染み付いており、マイホームのフローリングの香りがひどく恋しい。
『ピィーッ! 午前の部、終了ォッ! 休憩だ野郎ども!』
甲板から、ドワーフの甲板長の怒号が響く。
俺はフラフラと階段を上り、潮風の吹き抜ける甲板へと出た。
「オーウ……ハードなミッション(重労働)デス。腕の筋肉が悲鳴を上げてマース」
「ああっ、私の美しいアイドルの指先が、ロープの摩擦でボロボロですぅ……」
甲板の隅では、ロープ引きで体力を削られた鮫島、ニコラス、リーザの三人が、幽鬼のように座り込んでいた。
「おう、新入りども。よく働いたな。これ、今日の分の『前借り(日当)』だ」
そこへ、ドワーフの船長がニヤニヤと嫌な笑みを浮かべながら近づいてきた。
彼の手から配られたのは、金貨や銀貨ではない。
粗末な羊皮紙の切れ端に、汚いスタンプが押された謎の紙切れだった。
「……なんだこれ? 『一万K』って書いてあるけど」
俺が首を傾げると、船長が葉巻の煙を吐き出した。
「ウチの船内だけで使える専用通貨だ。通称『K』。……ケツ拭き(KETSUFUKI)の『K』だよ」
「ケツ拭き!?」
「金貨の代わりだ。この船じゃ、現ナマは持ち歩けねえからな。ちなみに、俺がキンキンに冷やした『麦酒』と『焼き鳥』のセットは、五万Kで売ってやるぞ。……どうだ? 労働の後の冷たいビールは、悪魔的に美味ぇぞ?」
ゴクリ。
船長の言葉に、俺の横にいた三人の喉が、盛大に鳴った。
過酷な労働でカラカラに乾いた喉。そこに『冷えたビール』という単語は、あまりにも暴力的な誘惑だった。
「だ、だが、日当が一万Kじゃ、ビールは買えない……」
鮫島が、震える声で呟く。
「へっへっへ。そうだろう? だが、安心しな。ウチの船は福利厚生がしっかりしててな。……資金を『倍』にするチャンス(娯楽)を、提供してやってるんだよ」
コトッ。
船長が甲板に置いたのは、大きなどんぶり。
そして、その中に転がされたのは――三つの『サイコロ』。
「……チンチロリン、だと……?」
俺が嫌な予感に顔を引きつらせた瞬間だった。
「オーウ……」
「ボス、これは……」
「ダーリン……私、見えちゃいました……」
昨日、FXのロスカットで真っ白な灰になっていたはずの三人の目に、ギラリと、あの『ギャンブル中毒者特有の血走った光』が蘇っていた。
「やめろお前ら!! それは労働者を永遠に借金漬けにする、地下労働施設(某マンガ)の常套手段だ!! 絶対にやるなよ!!」
俺が全力で止めに入るが、もはや彼らの耳には届いていなかった。
「リソース(資金)が足りないなら、現地調達で補うしかない……。ニコラス、お前のアサルトライフルの水着スキン、諦められるか?」
「ノー、ユーゴ。ミーは、水着姿で戦場を駆け抜けたいデス! 行きマース!」
「私もですぅ! ここで大勝ちして、ビールと……新しいアイドル衣装をゲットするんですぅぅ!」
ダメだ。こいつら、根底にある欲望(クズ度)が深すぎる。
船長がニヤァと笑い、どんぶりの中にサイコロを放り込んだ。
「俺が親だ。さぁ、張った張った!」
「俺とニコラスの全財産(二万K)を突っ込む! 行くぞ! 突入!!」
鮫島がどんぶりの中に、親の仇のようにサイコロを叩きつけた。
カラカラカラッ!
カキンッ。
どんぶりの底で止まった三つのサイコロの目は――。
『1』『2』『3』。
「「…………」」
「ヒフミ(1・2・3)だァァァッ!! 倍付けのペナルティ!! てめぇらの借金、さらに二万K追加だァ!!」
船長が歓喜の咆哮を上げる。
「オーウ、シット! フレンドリー・ファイア(同士討ち)デス!!」
「……俺たちの、俺たちの冷えたビールが……」
元SWATの二人が、甲板の上に崩れ落ち、再び真っ白な灰と化した。
開始わずか十秒。恐るべき速さの爆死である。
「あーあ! 言わんこっちゃない! ほらリーザ、お前はやるなよ! 借金がさらに増えたら――」
「退けませんぅっ!!」
俺の制止を振り切り、リーザがミカン箱を踏み台にして、どんぶりの前に身を乗り出した。
「アイドルのステージは、一度マイクを握ったら最後まで歌い切るのがルールですぅ! 私の全財産(一万K)……全部、張りますぅぅっ!!」
リーザの美しい人魚の瞳が、サイコロの魔力に完全に濁りきっている。
船の激しい揺れ。潮の匂い。そして、極限のギャンブル・ストレス。
「さぁ、振れ! お姫様!」
船長の野次に煽られ、リーザは顔に脂汗を浮かべながら、三つのサイコロをきつく握りしめた。
「ダーリン(視聴者)たち! 今ですぅ! 私のサイコロに、スパチャ(念)を送ってくだ――ッ!?」
ドンッ!!
その瞬間。
マグローザ漁船が、巨大な波にぶつかり、甲板が大きく跳ね上がった。
(あっ――)
リーザの指先から滑り落ちたサイコロは、どんぶりの縁にカーン! とぶつかり、無情にも甲板の上へと転がり落ちていった。
ギャンブルにおける最悪のミス。
次話、人魚姫の尊厳が、北の海の藻屑と消える。




