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果てなき旅の、その果てで。  作者: 甘い卵焼き
第五章 トワイライト
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第53話『すべてを壊す鈴の音』

 朝七時、グランベリア北門。

 俺は早朝から外に出てそのまま家に戻る気にはなれず、朝飯を外で済ませた。

 皆には何も言ってなかったし、悪いことをしたと思っている。ただ……。

 ただ、きっと俺はあの空間に耐えられなかっただろう。あの精神状態でワイワイ食事するなんて、絶対に無理だった。

 シロは朝には家に帰っていたらしく、朝飯は俺を抜いた五人で済ませたと、アレクさんから報告があった。


「酷え雪……」


 五時頃の外は雪の一つも降っていなかったが、今になって吹雪のように降り出してきた。

 あの森に着くまでに雪がやめばいい。ただでさえ悪い視界がこの雪じゃろくな成果を得られないだろう。


「浮かない顔をしているな」

「……そうでしょうか」


 ソマさんから声をかけられる。

 頑張って平常心を装っているつもりだが、それでも俺は死んだ魚の目をしているんだろうか。

 そうでもおかしくない、自分でもそう分かっている。


「……もしそうだとしても、あなたに相談する気分じゃない」


 吐き捨てるような言葉、八つ当たりのような言い方にソマさんは怒ることも驚くこともなく、そうかと返事をした。

 直近、彼自身が俺のような精神状態に陥っていたからだろう。気持ちは分かるとでも言いたげな顔をしている。


(俺の気持ちを理解なんて、あんたにはできねぇよ)


 これは身近な人間を再起不能まで追い込まれたような怒りでも、人の死に対する絶望でもない。

 彼が体験したような感情とは全くの別物だからだ。


『全員、聞け』


 いつの間にかみんなの前へと移動していたソマさんの指示に従い、全員が一週間前と同じように竜車に乗り込んだ。

 出発の合図とともに、俺達は竜車に揺られながらあの深い森へと出発した。


ーーー

「なぁ、キバ。……シズク、こりゃだめだぜ」

「そうね……どうしたのかしら」


 景色を見るわけでもなく視線を外へ向けていた俺の耳に、遠くからそんな会話が聞こえてきた。

 実際は隣にいるリョウと、その隣にいるシズクの会話だった。


「ん……なんか用か」

「お前そんな冷たいキャラだったか?」


 彼らに視線を向けると、心配そうに俺を覗き込む姿があった。

 リョウは心配というより不思議そうな、どこか呆れたような顔をしていた。


「ねぇ、何かあったの? ウチ……私でよければ相談に乗るよ?」


 前に座っているサキからも心配されてしまった。

 俺は今、そんなにひどい顔をしているのか? 無心でいるように心がけていたんだがな。


「なんでもない」

「お前……そりゃないぜ」

「なにが」

「そんな突き放すような言い方じゃ、女の子は傷ついちまうだろうが」


 リョウに言われた通り、サキはなんともいえない顔をしていた。笑ってはいるが、その奥でどこか辛そうな顔。


「そんな言い方したつもりはない」

「じゃなくて?」

「……悪い。……俺に構わないでくれ」


 俺は謝る一言もここまで遠回りしないと辿り着けないような人間だったのか。

 情けない。これじゃまるで小さい子供じゃないか。

 自分のストレスや負の感情を周りに撒き散らす人間なんて足手まといになるだけだ。

 これなら、いっそ――。


「ま、何があったか知らねぇけどあんま思いつめんなよ」

「そうよ。別に、私たちは今じゃなくても、いつだって相談にのれるし、協力もできる。一人で背負い込むのは控えたほうがいいわ」


 いつか、このことを誰かに相談するときが来るのだろうか。

 そもそもここの皆はシロのことを名前くらいしか知りもしないじゃないか。

 ……それでも少し気持ちが軽くなった気がする。

 急かすような言い方じゃない、いつだって相談に乗れると、そう言ってくれた。

 ……きっといつか話そう。

 仲間の気持ちを無下にする気にはなれない。


「ごめん、変な空気にさせた。……もう大丈夫」


 ……そう、きっといつか。


ーーーーーーーーーー

 北大陸北西部、目的地の森林に着いたのは午前十一時前だった。

 前回よりも出発が遅かったため、午前中の調査は無し。今から早めの昼飯をとり、その後から六、七時間ほど調査という日程だ。

 変わらず班での調査。そのメンバーも前と変わらずだ。


「だいぶ顔色が良くなったんじゃないか?」

「……そうですね。俺みたいな奴でも大切に思ってくれてる仲間がいるって、そう思えたので」

「そうか。良い仲間をもったな」


 朝は合うことがなかった目が、今ようやく合った。

 彼の兄、ユリウスさんの一件については、もうすっかり心に整理がいったようだった。

 今はただ、どこまでも優しさで溢れたような顔をしていた。

 任務になれば、すぐ切り替えることができてしまうんだろうな、俺とは違って。

 ……この人を見習いたい。

 もうイヤな自分でいたくない。


 俺はソマさんとアレクさんと昼飯を共にすることになった。


「それで――」

「ユリウスさんも――」


 思い出話にふける二人を横目に、俺は黙々と昼飯を食べ続けた。

 食べ物の味が少し分かるようになり、手が進んで二人よりも早く食べ終える頃。

 持参した保存食のゴミを乗ってきた竜車に置きに行こうとしたとき。


「飯食い終わってんのに辛気臭い面だな」


 レイラが俺のもとへやって来た。

 二人で会話するのは久しぶりかもしれない。

 確か……第三小隊でサキとリョウが一緒だったか。


「まぁな」

「なんだそれ」


 ネオン街のときと変わらず、高めのテンション。

 言葉には謎の勢いがあった。


「俺の尊敬する人間がそんな顔してたら、俺に失礼じゃないか?」

「どういう理屈だよ」


 まぁ、別に言ってることは分からんでもないが。

 というか……。


「え、レイラって俺のこと尊敬してんの?」

「げ……」


 レイラはしまった、とでも口から出ていきそうな顔をして、口を手で押さえた。

 そうしてしばらくもごもごしたあと、どこか照れたように言葉を紡ぐ。


「試験のとき……一対一のときは俺に劣勢だったのにさ。ネオン街では大活躍だったし……そりゃ、すげぇと思うってゆーか。なんつーか」

「ふ」


 いつも堂々とした振る舞いのレイラが恥ずかしそうにしている姿を見るのは新鮮で、笑いがこみ上げた。


「わ、笑うなよ!!」

「ふはは……いや、悪い悪い」


 ……意図せず、レイラから元気を貰う形となったな。


「あー、ウザ! 俺帰るし!!」


 そうやってドスドスと足音をたてて帰るレイラを見送り、俺は昼飯を共にした二人の元へと戻った。


「キバ、強い魔物と遭遇して勝てなかったから落ち込んでんのか」

「え?」


 戻って二人の前に座ると、早々にわけのわからないことを言われた。

 発言者はソマさんだ。

 ある人間に勝てなかった事実は似ているかもしれないが、そんな事実はない。

 誰がそんなデタラメを……?


「まぁ、そんな日もあるさ」

「……! あぁ」


 なるほどな。アレクさんが言ったのか。

 アレクさんの顔を見ると、意地悪っぽく笑っていた。ただ、これは俺へのいたずらってわけじゃない。

 すぐに彼の行動の真意を理解した。


「誰にも言わないでくださいね、恥ずかしいんで」

「……あぁ、分かった」


 ソマさんは笑って、それ以上は追求しなかった。

 そうして、俺はアレクさんの隣に座る。

 周りに聞こえないように、小声で話した。


「ありがとう、助かる」

「大したことじゃない。誰にも……今は話したくないんだろ?」

「……うん」


 そう返事をして、竜車の皆には声に出して言えなかった言葉を紡ぐ。


(相談しろっては言わないんだな)


 この人は寄り添うわけではなく、ただ現状の解決をしただけ。

 でもそれは、今俺が一番欲しいものだった。


 ……この人なら。

 俺を理解してくれるこの人なら。


「でも、話します。近いうちに必ず」


 ほかでもないアレクさんを、俺の相談相手第一号にしようと、心に誓った。


ーーー

(まぁでも、ユリウスさんをあんな状態にした敵組織にシロが所属してるって……さすがに怒り狂ってもおかしくないけど)


 昼食から三十分後。調査開始から十分後。

 そんな考えが浮かぶ。

 アレクさんはソマさんに笑って欲しくてあの振る舞いをしているだけ。心の何処かでは奴らを憎んでいるかもしれない。

 ……これを話すのには勇気がいりそうだな。


「ん」

「来る、っすね」


 ソマさんとクロムが気付くと同時。俺も遠くの方から何かを察知した。

 強い威圧感……殺気とも呼べる何かが、俺達の背筋を凍りつかせる。


「戦闘態勢」


 アルバさん抜きの四人だが、戦闘力は申し分ない。

 クロムは自分の力不足に悩み、金属屑を持参して来たようだった。

 シロも冒険者側全員に正体を見せるわけにはいかないだろう。全力とまではいかなくとも多少貢献してくれると考えられる。


 あとは……俺がどこまでやれるか。

 前回の調査からの短い期間。俺個人の能力が爆伸びしたとは考えられない。

 足手まといにならないように動かなければ。


「来るよ……今」


 キィンッ!!

 ジリジリと、ソマさんの持つ剣から火花が散る。

 その先にはやはり、猫の仮面を付けた人間。短剣を所持している。


「う」


 瞬間、脇腹に強い衝撃が走った。

 このまま吹き飛ぶかと思ったが、クロムが金属の壁で俺を固定してくれた。


「二……いや、三人っすか」


 焦りを含むその言葉に、俺も身構える。

 前回とは違う。これが他の班でも起こっているなら……。

 今回は俺達を『殺し』に来ている。

 一つの班に襲撃してくる人数が前回の三倍になった。


「やるぞ」

「もちろんっす!」


 俺は付近の壁へと走る。

 この辺には地形の悪い箇所が多く存在する。

 それは時に不利をもたらす要因となるが――今回はそれを利用する。


(……よし、追ってきた)


 吹雪く中、ひときわ目立った風切り音が鳴ると同時に、壁を蹴り飛ぶ。

 俺がもといた位置に砂埃が舞う。予想通り、それは俺の蹴りによるものではないことを観測する。


「今!」

「うっす!」


 ヒュガガガッ!

 砂ぼこりの中へと無数の鉄屑が飛び、着弾した。


「おらっ!!」


 着地の勢いで、俺もそこに向けて踵を落とし、破壊音が鳴る。

 そこに敵の姿は無かったが、壁には血が飛び散った跡がある。

 クロムの攻撃は上手く当たったみたいだ。


 今回の敵。

 猫の仮面を被った集団はそのほぼ全員が異常な速度を持ち合わせている。

 前回の調査時、ソマさんが接敵した人間。

 今俺たちが戦っている人間に、先ほどソマさんと剣を合わせた人間。

 そして……シロ。


 俺が知るだけで四人中四人が、そうだった。

 だから目で追うことだけには執着せず、ほかの感覚も研ぎ澄ませることにしたのだ。

 風切り音……刃が身体に触れる寸前の嫌な感じ。

 

(ここ!)


 頭を思い切り下げ、俺の上を細く鋭い刃が通り過ぎる。

 ひやりと首筋が冷えるのと感じて、前に転がってそれを避ける。


(二撃目早すぎだろ……!)


 吹雪とは違う、鋭い風切り音。右の耳元。

 シュパッと首筋が切れるが、またもギリギリでそれを避けた。


「な――貴様……!!」


 初めて聞く、少し歳のいった男の声。


「目を閉じているのか!?」

「目から入ってくる情報が邪魔だったんだよ」


 声の方向が変わらないのを聞き、俺はその方向をみる。

 白と黒、赤で着色された仮面。

 肌を見せない黒色の服。


 後ろからドスッと三つの鉄屑が体を貫通し、その男はその場に崩れる。


「やっと、ちゃんと見えたっす」

「だな」


 うずくまるその男を見下ろす。

 そうして、俺達二人はこの戦闘に勝利したことを実感する。


 ……だめだ、ちゃんと意識を失わせないと。


 俺は死なない程度に覇力を強め、後頭部に打ち込んだ。

 持っている強固な縄のようなもので縛り、近場の竜者の床下へ収納し、鍵をかける。

 こいつの能力的に、あの狭い場所じゃ破壊による脱出もできないだろう。


 あとは……シロとソマさんの二人。

 シロに関しては、敵組織での仲間割れという事態に発展するとは思えないし、負けるとも思えない。

 優先すべきはソマさんの助太刀――。


「お、君達も勝ったんだな」

「ソマさんじゃないっすか!! なんでここに!?」

「ボクが負けると思ってたのか?」

「そ、そういうわけじゃないっすけど」


 どうやら彼もまた、戦闘に勝利し敵を運んできたらしい。

 結果、俺達の班は二人の敵を竜車を見張るA+級冒険者に任せ、確保することに成功した。


「順調だな。ほかの班もこうであればいいが」


 俺達の声を聞いたかのようなタイミングで、グルガさんが森の奥からやってくる。

 遠目でよくはわからないが、胸のあたりを怪我している様子だ。


「無事か?」

「あぁ、ちょっと治療をな」


 彼の後ろには四人の冒険者がいて、そこにはサキとレイラの姿もあった。

 一人、敵を運んできたようだった。


「三人目だな。よくやってくれた」

「なんで上からなんだっての」


 A+級、リーダー格の二人に見張りの一人、三人の会話を聞きながら、俺達も少し話をする。


 どんな敵だったのかや、その戦闘での貢献についてなど、ほぼレイラとサキの張り合いみたいなものだったが。

 俺とクロムが二人だけで敵一人を制圧したことを知ると、その口数は急激に減って恥ずかしそうにしていた。


「ん、どうした?」


 ソマさんの少し真剣になった声で、俺達は話をやめた。

 あの三人のほうを見ると、グルガさんは目を閉じ、匂いを、嗅ぐのに集中しているようだった。

 俺は、グルガさんのその顔が強張るのに気付いてしまう。


 ――嫌な予感。


「大量の……血の匂い」


 顔をしかめるグルガさんに、剣の手入れを済ませるソマさん、持ち場につく見張りの人。


 そこにやってきたシロの姿を視認し、二つの班の全員がそろったことを確認して、ソマさんは顔を上げる。


「行こう」


 そうして俺達の班は、サキの班と行動を共にすることになった。




「う……」


 血の匂いがする場所へ。

 ここにいるのは九人。

 そんな人数がいるとは思えないほどの静寂に、サキは落ち着かないようだった。

 ただ強い風の音と、雪が森を襲う音、木が揺れ軋む音、落ち葉が擦れる音。

 誰の声もしない、そんな空間だった。


「……ソマ」

「どうした?」


 そんなとき、後ろにいたグルガさんは少し大きめの声で前にいるソマさんを呼んだ。

 俺達全員が、グルガさんに注目する。

 その口から発せられたのは――。


「生臭え匂いのなかに、知ってる五人の血の匂いがある。まず間違いなく、一つの班が壊滅してる。」


 そんな事実だった。

 五人単位で班を組み、そのなかにA+級の冒険者が必ず一人、つくことになっている。

 俺の班は前回怪我人を出し、今回は例外、四人での行動ではあるが。

 ……つまり、そのA+級の冒険者が一人、死んだかもしれないということ。


 ソマさんは何も答えず、歩く足を速めた。

 時折とぶグルガさんの方向の指示以外に、また声のない空間が続く。

 誰もこの空気で喋ることはしない、できない。

 それは俺もそうだ。


「やはりか……!」


 後ろから小声で、唸るような声が鳴った。

 気にせずいると、俺の肩に手を置かれる。

 後ろを見ると、クロムの肩にもう片方の手が置かれていた。


「グルガさん?」

「どうしたっすか?」


 俺達のそんな疑問に、グルガさんは深く呼吸をして、ギリッと歯を鳴らした。


「すまない。……すまない――」


 繰り返されるその言葉が何を意味するかなんて、分かりはしなかった。

 ……冷や汗が出る。理解せずとも、俺の本能がこの先に続く言葉を聞きたくないと言っている。


「グルガさ――」

「ソマ!」


 俺の制止は虚しく、そんな声に遮られる。

 またも、全員の視線がグルガさんに向く。


「アレクが――死んでる」

「――うっ」


 聞きたくなかった。この言葉を聞きたくなかった。

 朝、だいぶ楽になっていた頭痛がまた俺を襲う。


「ソマ! 待てや!」


 やっとの思いで前を向いた俺の視線の先には、もう走り出したソマさんがいた。

 俺の足はその場に崩れ、座り込んだ。

 なんで――。

 なんで。アレクさんが……!


「クソッ……!」


 震える足をたたき、立ち上がる。

 一人でその場所へと向かうソマさんの背中を、全力で追った。


「なんで……なんでなんでなんでっ!!」


 昼食時、一緒に話していたアレクさんの顔が浮かぶ。


「なんでっ……なんで……」


 過去にユリウスさんに、ソマさんに救われたと話す、アレクさんの顔が浮かぶ。


「なんでなんだよ……!」


 大切な妹の話をする、アレクさんの顔が浮かぶ。

 涙が溢れ、ソマさんを見失いそうになる。

 鼻水で息がし辛い、喉が冷たい。

 強く吹く雪が肌に当たり、痛みも感じる。

 手も冷たい。心の底から冷え切るような感覚に襲われる。


 俺がシロの正体を先に言っていればこんなことにならなかったのか?

 俺の私情のせいで、彼は死んだのか?

 シロがやったかどうか、それは確かじゃない。シロがやったんだとしても、それを信じたくない。

 大切な人から死者が出て尚こんなことを思える自分の頭を心底憎たらしく思う。


 事前にもっと、みんなが警戒するように言っていれば、この死は防げただろうか?

 俺がその場にいれば、アレクさんを守れただろうか?

 否。昨日、彼が見せた実力は俺とほぼ同等。そんな彼が死ぬなら、俺がいてもどうにもならなかった。

 

 だったらもう――!!

 ただ。どうにも俺が殺したような感覚に陥って。


 俺の心は、折れた。


ーーー

「……事実、だったんだな」


 どうやらこの人は、事前に言われた方向をたよりにここまで辿り着いたらしい。

 高い方向感覚。

 その先に待っていたのは、冒険者五人の死体だった。


 崩れるように、ソマさんは座り込んだ。


 このなかで俺が知っているのはアレクさんただ一人。

 光を失ったアレクさんの目を、ただ見つめた。

 散々泣いたくせに、顔を見るとまた一瞬だけ、自分を制御できなくなりそうだった。

 昨日までならきっと、そのまま身を任せていた。

 でも……歯を食いしばって自分を抑えた。

 またこれも、この人の顔を見たからできたことだ。

 俺はこの人に支えられたばっかりだ。きっと今自分を抑えられなかったら、悲しんでしまう。

 ……なんで、こんなにも優しい人が……。


「――ソマさん」


 知っていた。

 アレクさんがこの人を支えようとしていたこと。

 実際、アレクさんといる時のこの人の表情はより柔らかいものだった。

 ユリウスさんの意識が戻らない中で、励まされていたんだ。


「……」


 俺の呼びかけに答えず、アレクさんの死体の前に座り込んでいる。

 移動したと思えば、今度は別の死体の前に座り込む。


 この調査任務、リーダーはソマさんだ。

 ほぼ全員と接点があってもおかしくはない。

 特に、A+級の人はソマさんの知り合いで組織されていると聞いた。スムーズに連携を取るためだそう。


「くそ……」


 俺はアレクさんのようにはできない。

 ソマさんにになにもしてやれない。

 アレクさんが死んだという事実に、また自分の心が深く沈むのがわかる。

 ぐちゃぐちゃになった感情の対処がうまくできない。

 ……何も、話せない。


「キバ」


 振り返った彼の顔は、俺の予想に反して優しい顔だった。

 もっと絶望して、怒りに満ちた表情をする人だと思っていた。

 ユリウスさんの時がそうだったように。


「大丈夫か?」

「……ソマさん」


 あなたが一番、辛いくせに。なんて。

 自分の心を殺して他人を心配する、そんな優しい人に向けては……。

 ……言えない。


「アレクを見てるとなんだか、ボクが励まされているような気がして」


 俺が自分を制御できたように、彼も自分の怒りを抑えられたということ。

 アレクさんは死んだあとでも、俺たちに……力をくれたのか。


 彼の落ち着きを目の当たりにして、俺も少し心が軽くなるのがわかる。

 自分よりも辛いであろう人が前を向いているのに、俺が落ち込んでいたら足手まとい。この人の足枷になる。


「俺も大丈夫ですよ。場所は選びますから」


 その言葉について、深く聞かれることはなかった。

 彼自身もきっと、任務が終わったあとに悲しむ場所が必要なんだろう。

 一人で悲しむ場所が、必要なんだ。


「あっれぇ? 一班につき五人だよねぇ? ……もしかして、助っ人に来ちゃった感じだ?」


 背筋が凍る。

 今までの敵とは比べ物にならないほどの威圧感。

 明るく、人をバカにするような煽り口調の裏に、強い殺気のようなものを感じる。

 脳裏に深く刻まれた()()()()が一瞬にして呼び起こされる。


 俺達が今日、あのとき接敵する直前。感じた威圧感の正体がこの声の持ち主であることを、瞬時に理解した。


「まぁ、いっかぁ。あたし達の任務も早く進んで、万事オッケーかな!」


 ボスッと木の上から雪に着地して、俺たちの方へ歩いてくる。

 黒一色の猫の仮面。その奥にはどこまでも深い赤色の瞳が覗いた。

 自分の正体がバレることなんて微塵も気にしていないように、その女は近寄ってくる。

 耳に付いた、二つの宝石。


 この女に関する全てが、昨日のシロを彷彿とさせる。


「いつでも来ていいよぉ? あたし、準備万端だから」


 ソマさんの指が動いた。剣先が揺れる。

 ズバッと前方三十メートルほどを切り裂いた。

 断面がありえないほど綺麗な木々は次々に倒れていくが、もう目の前に彼女の姿はない。


 チリン。

 鈴の音が鳴る。


「ゴ……フ」


 ビチャビチャと音がしたと思えば、ソマさんはその場に崩れ落ちた。

 あぁ、俺はやっぱり知っている。この感覚、この恐怖を。


 シロと別人であることは明らか。先ほどあの場にいたし、何より色が真逆だ。

 ただ、その実力は近しいものだった。


「ぐふっ……」


 理解する前に、俺は地面に崩れた。

 ……足の筋肉を切断された?

 足を失ったわけじゃない。ただ、片方の足に力がはいらない。


「あっはは! やっぱり軟弱。冒険者って所詮こんなもんなんだよねぇ」


 隣に座るソマさんの屈辱に溢れる顔が目に入った。

 俺は立ち上がれないながらも腕の力で体を起こし、膝立ちになる。

 その一瞬の間、痛みで目を瞑っていた。

 彼女の姿を見失うまいと次に目を開けたとき、景色は一変していた。


「――は?」


 ここは? 空……? 地面がない。落ちる……!

 下に目を向ければ、やはり地面は遥か遠くに退いていた。

 俺は上空、百と数十メートルほど上に飛ばされた。

 なんの衝撃も無かった。思ったのは、強い風が吹いたなくらい。それでしか認識できなかった。


 ……遊ばれている。


「キバ! 掴め!!」


 俺より少し上にいたソマさんの手を掴み、身を委ねる。

 数秒後、彼は木々をうまく使って着地の衝撃を和らげた。


「怪我は?」

「新しくはできてないです。アイツにつけられた傷以外は」

「ならいい」


 じんわりと足に感覚が戻り、同時に強くなっていく痛みに顔をしかめる。

 流れる冷や汗は俺の下の雪を溶かしていく。

 人の死、痛み、困惑。いろいろなものから来る焦り。

 自分の感情を飲み込む間もない出来事の連続。

 歯を食いしばって、なんとか立ち上がった。


「はぁっ……はぁっ」

「相手が強すぎる……っげほ。アレクの死が悔しくて堪らないのは、ボクだって分かってる。ただ……今は切り替えろ。励まされたばっかりだろ」


 二人とも、満身創痍だった。

 こんな状態じゃ尚更、彼女の相手など務まらない。


「……はい」


 ――覚悟を決めて、待つ。

 彼女の、次の一手を――。

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