#7 闇鍋と唐揚げ
部室の居残り掃除を終えて帰ってくると、すっかり夜になっていた。
廊下を歩いていると、隣のセリカの部屋から声が聞こえてくる。
輪廻と二人、遊んでいるのか賑やかな声が外まで漏れている。いつものことだ。
そうは言っても、まだ1ヶ月も経っていない。
それでも「いつもの」と感じてしまっているあたり、俺はもう慣れ始めているらしい。
うるさいほどではないから放っていたが、家に入ろうとした時に急に声量が上がった。高い悲鳴を上げたのはセリカではなく輪廻だ。
二人いるなら大丈夫だろうとは思ったが、万が一、火事だったらこっちにも被害が出る。
俺は家のドアを閉めて、隣のチャイムを押した。
「どうした」
バタバタと中から駆けてくる足音がして、勢いよくドアが開いた。
「りっくん、ごめんね!うるさかった?」
「いいや。何かあったのか?」
「虫!大きいのが入ってきちゃった!」
セリカは目を輝かせている。本気で怖がっているわけではなさそうだ。
「りっくん、虫、大丈夫?」
「まぁ、普通の虫なら」
「そしたらさー……逃がしてくれないかなぁ?」
「わかった」
セリカの部屋に足を踏み入れると、まず色が目に飛び込んできた。
カーテンが水色で、ピンクと黄色のベッドにカラフルなクッションが並んでいる。
俺と同じ間取りとは思えないほど、物が多くて賑やかな部屋だった。
ただ、意外にも床にはゴミはないし、棚にはぬいぐるみや雑貨が並んでいたが綺麗に整っていた。
壁にポスターや写真が何枚も貼られて、容赦なく画鋲が刺さっていることが少し気になる。
退居の時に、セリカが泣きながらパテを塗る姿はなぜか容易に想像できた。
そして、窓の近くの壁に大きな蛾が張り付いていた。
「デカいな」
「ね。セリカ、普通の蛾ならギリ大丈夫なんだけど」
羽を広げると掌くらいありそうで、虫が大丈夫な俺でも少し怯む大きさだ。
「鍋パしてたんだけど、網戸ちゃんと閉めておかないとダメだったねー」
輪廻はどこにいるんだと振り返ると、蛾から一番遠い対角の壁に輪廻が張り付いていた。青い顔をして、完全に動けなくなっている。
「せ、セリカちゃん……!危ない……!虫と男には、近付いちゃダメ……!」
か細い声で何やら言っている。セリカと違って虫が本当に駄目らしい。
虫と俺が同列に並べられている。
怒る気にもなれない。輪廻の中では同じ分類なんだろう。
俺は椅子を借りて上に立って、蛾に手を伸ばした。
「え?りっくん、素手で行くの?!」
「ひぃぃ……!」
拍手をするセリカに対して、輪廻はか細い悲鳴を上げた。
蛾を掴んで窓の外に放す。他の虫が入ってこないようにすぐに網戸を閉めた。
「ありがとー!りっくん頼りになる!」
「……人の心が、ない」
セリカが歓声を上げて、輪廻が壁から剥がれながら失礼なことを言った。まだ顔色が悪い。
多分、素手ではなくて虫取り網とか使った方が、輪廻の好感度は上がったような気がする。
「りっくん、手、洗った方がいいよ!」
セリカに押されて、キッチンの流しで手を洗う。
調理台の上には統一感のない食材が並んでいた。鍋パをすると言っていたが、野菜や肉のほかに見たことがない形のパスタとか、冷凍タピオカとか、よくわからないものが所狭しと並んでいる。
これは鍋に入れるのかと見ていると、セリカが乾パンを手に取った。
「お鍋に入れるの。闇鍋だよ」
火事も嫌だが、隣人が闇鍋をしているのも大概だと思う。
俺が少し引いたことに気づいて、セリカが慌てて言った。
「違うよ!残っちゃった食材を鍋にして全部食べようってやってるの!ちゃんと食べられる物しか入れてないよ!」
「そうか」
「失敗しちゃっても、最後はカレーにすれば大丈夫だしね。りっくん、カレー好きだったらお裾分けしにいこうか?」
「いらない」
輪廻がセリカの隣で複雑な顔をしていた。諦めとも呆れとも取れる、慣れた顔だ。たぶん毎回こんな感じなんだろう。
「それじゃあ」
「あ、待って待って!」
帰ろうとしたら、セリカが皿を押しつけてきた。唐揚げが数個乗っている。
「お礼!食べて」
「別に、大したことしてないし」
「いいからいいから!残っちゃうところだったし」
「……わかった。ありがとう」
「じゃあね!もうちょっと静かにするね!」
セリカが手を振って、俺は自分の部屋に帰った。
セリカの部屋を見た後だと、自分の部屋が白黒に見える。
何もない、と言った方が正確かもしれない。
生活しているのに、俺の部屋にはいつまでも「誰かが住んでいる」感じがしない。
インテリアの問題なのだろうか、と少し考えて全く興味が湧かないから忘れることにした。
セリカから受け取った皿を改めて見ると、唐揚げは出来合いの総菜ではなく、手作りのものだった。
一人暮らしで揚げ物を作ろうなんて、俺は考えたこともない。
闇鍋なんてしないで普通のものを作っていればいいのに。
そんなことを考えてしまうのは、単なる隣人のお節介なんだろう。




