#5 夜とコンビニ
特待生の部活参加は、オリエンテーション期間が明けてから。
そう言われて、入学式が終わった後に俺は寄り道せずさっさと帰った。
暇だから真新しい教科書を開いて予習をしてみる。
この勉強に意味はあるのか、と思いながら続けていると、なんとなく時間が過ぎて夜になっていた。
そろそろ風呂に入ろうと脱衣所に向かうと、壁越しに声が聞こえてきた。
ー……のあーっ! シャンプーなーい!!
セリカの声だ。
一人暮らしなのにここまではっきり聞こえてくるとは、壁が薄いのかセリカの独り言の声量がでかすぎるのか。たぶん両方だ。
セリカがバタバタと廊下を走る音がする。
スマホを見ると夜十時を過ぎていた。
放っておこうと一秒だけ思ったのに、気付いたらドアを開けていた。
セリカがちょうど隣から出てきたところだった。まだ黒が残っている長い髪が湿っていて、頬が赤くなっている。
ハーフパンツにパーカーを羽織っただけのラフな格好で、風呂を中断して出てきたことが一目でわかる。
「あ、りっくんだ」
「シャンプー、買いに行くのか?」
「えぇ!?ど、どうしてわかるの?!エスパー?」
「どこ行くんだ」
「えっと、コンビニかな?」
「あいつに借りるのは?」
俺は反対側の部屋を示した。男の俺のシャンプーは無理でも、同じ女子なら貸し借りできるだろう。
しかしセリカは首を傾げて唸る。
「輪廻ちゃん、九時には寝ちゃうんだよねー……今日はもう起きないと思う」
「そうか」
俺は踵を踏んでいた靴を履いて、鍵を閉めた。
「あれれ?りっくんもお出かけ?」
「俺も買い物」
まぁ嘘だった。コンビニで夜に買いたいものなんて、別にない。
ただ、夜道に女子を一人で出歩かせるのが何となく気になった。それだけだ。
マンションを出ると、夜風が思ったより冷たかった。周囲に何もないせいで、遠くのコンビニがぽつんと光っている。
「夜に一人でよく出かけるのか?」
「いやぁ……実は初めてなんだよね」
「夜のコンビニが?」
「ううん。一人で行くのが。家にいた時はお兄ちゃんがいつも一緒だったから」
「兄がいるのか」
俺は自分の家族の話はしたくないのに、思わず尋ねてしまった。
なぜ聞いたのか、自分でも少しわからなかった。
お兄ちゃん、という言葉に、無意識に反応してしまったのかもしれない。
セリカが嫌じゃないかと横顔を窺ったが、セリカはうん!と元気に頷いた。
「お兄ちゃん、すごく優秀なの!勉強もできるし、運動もできるし、友達も多いし。私とぜーんぜん違う!セリカちゃんは勉強苦手だし、ドジだし、友達も少ないし」
「友達、少ないのか?」
「そうだよー。セリカちゃんと仲良くしてくれるのは、輪廻ちゃんだけだよ」
セリカが暗い田舎の夜道に合わない明るい声で言った。
明るすぎて、少し胸に引っかかった。
自分のことをそんなふうにさらっと言える人間は、本当は明るいのか、それとも慣れてしまっているのか。
俺には判断できなかった。
コンビニに入ると、人工の光が目に刺さった。
生活用品の棚に行ってシャンプーを探す。
セリカは三種類しかない中で、一番高いのを迷わず手に取った。
「セリカが、輪廻と仲良くしてあげてるのかと思ってた」
「えー?なんでー?」
「あいつみたいな気難しそうな奴と仲良くできるのは、誰でもできることじゃない」
「輪廻ちゃん、気難しくないよ!優しいんだよ!」
「そうか?」
「そう!男子が苦手なのと、ちょっと厳しいところあるけどね。セリカちゃん、学年一番を目指すことになっちゃったし……」
昼間の騒動を思い出したのか、セリカの雰囲気が突然どよんと暗くなった。
シャンプーだけ買って、コンビニを出る。
セリカが大人しいせいか、夜風がさっきより冷たく感じた。
西園に聞いた話だと、あの学校では学年の始めの試験で成績が出るまでの間だけは、誰でも好きな髪色にしていられる。
つまり、輪廻が笹山と交渉をしなくても、入学式だけ逃げ切れば、次の定期試験までは成績下位でも好きな髪色にしていられた。
わざわざセリカに言わないで、心の中にしまっておこう。
「でも……元の髪色を取り戻すためだもん!がんばるよ!」
セリカは涙を浮かべた目でぐっと拳を握った。
元の髪色、とは。
セリカの元の髪色は突き詰めると黒なんじゃないかと思うけど、おそらく突っ込んではいけないところだ。
それに、成績上位を目指す理由なんて、本人が納得していればそれでいい。
「そうか、がんばれ」
「うん!がんばる!」
マンションに戻って、廊下でそれぞれのドアの前に立つ。
「それじゃ、おやすみ!」
「ああ」
「りっくーん」
「何?」
セリカは部屋に入りながら、顔だけ覗かせた。
「ありがと。りっくん、優しいね」
照れたような笑顔だった。昼間の笑顔とは少し違った。
何が、と聞き返そうとして、俺は買い物と言ったのに、何も買っていないことに気付いた。
完全にバレている。
「りっくん、いけめーん」
セリカは揶揄うようにそう言うと、ひひひ、と笑ってドアを閉めた。
見透かされた。
静かになった廊下で、俺はしばらくその場に立っていた。
別に、悔しくはない。多分。




