#4 校則と自由の代償
講堂で行われた入学式が終わり、退場する生徒の流れに従って歩いていると、廊下の隅からしょんぼりした気配が近づいてきた。
長い髪が黒に変わっている。所々にピンク色が残っているから、一回洗うと元に戻るだろう。
「あー……りっくん……」
「誰?」
「ひどぉ!セリカちゃんだよ!りっくんのお友達の!」
「初日から大変だな」
勝手に友達扱いされたことはスルーして答える。
まともな髪色になって真面目で大人しい優等生に見えるが、一番の目印を失って、セリカはひどく落ち込んでいた。
落ち込み方が、ちょっと本気すぎる。
そこまで、その色が大事なのか。俺には少し不思議だった。
「説教されたんだよ。長かったぁ……」
「それはそうだろ」
「入学式、途中から参加になっちゃった……あ、でも、りっくんの挨拶は聞けたよ!」
「ああ、そう」
「りっくんすごいねー!セリカ、絶対緊張してカミカミになっちゃうよー!」
セリカはようやく少し笑った。しかし、視界に自分の黒髪が目に入ると、唇を尖らせて指で弾く。
「雨宮、この子、知り合い?」
小林が聞いてきて、俺は面倒くさくて雑に答えた。
「俺の右」
「は?何それ?」
「雨宮、もしかしてエグい下ネタの話してる?」
西園がくだらない勘違いをしている。更に面倒なことになる前に俺は追加で説明をした。
「住んでいる場所の話。学生寮のマンションで、俺の部屋の右隣」
「ふぅん?雨宮から見て?」
「俺から見たら左」
「ふむ……」
小林は自分の両手を広げて位置関係を確認している。北と聞くと無条件で上を目指す小林には、難しかったかもしれない。
西園は珍しく驚いた様子で目を丸くしていた。
「え、女子がいんの?珍しくね?」
「そうでもない。俺から見て右隣にも女子がいる」
「うわー女に囲まれてるのかよ!」
「上と下は知らない」
「上と下も女子だったら完全に包囲されてんじゃん。雨宮、徳でも積んだ?」
「知らない」
「いや絶対積んでるって。俺と替わってくれよー」
「嫌だ」
「即答かースケベー」
あの二人の隣に西園を置いたら、輪廻が本当に引っ越してしまいそうだ。
俺が心配することではないけれど。
西園を無視して廊下を歩いていると、角の先で人だかりができているのに気がついた。
中心にいたのは輪廻だった。
相手は生活指導の教師の笹山。部活の顧問だから、ある程度もう知っている。
典型的な体育教師で、身長二メートル近い巨体をしているが、熱血で誤魔化そうとしない、教師として優秀なところがある男だ。
その壁のような笹山と、輪廻が一人で対峙していた。
「犀川さんの髪色を許可してください」
輪廻のはっきりした声が廊下に響く。
小柄な輪廻は笹山の前ではさらに小さく見えた。
それでも一歩も引かずに見上げる輪廻には、今までにない迫力がある。
友達のために巨体な男性教師に一歩も引かないこの子が、なぜ見知らぬ男子である俺をあそこまで怯えて嫌うのか。俺には、まだわからなかった。
「髪色に関する決まりは校則で定められている」
笹山は冷静に返した。こういうやり取りには慣れた様子だ。
「ね、りっくん。校則に何て書いてあるか知ってる?」
セリカに囁かれて、俺はさっき配られたばかりの生徒手帳を開いた。
一、生徒の頭髪の色は、学習環境および学校生活にふさわしい範囲の自然な色を基本とする。
二、ただし、学業成績および生活態度において学校が定める基準を満たした者については、個性尊重の観点から頭髪の色に関する制限を適用しない。
つまり、成績上位者は好き放題できるということだ。
「んー?りっくん、これってどういう意味?」
校則を読んで理解できていないレベルだから多分無理だろうと思いつつ、一縷の望みをかけてセリカに尋ねた。
「お前、成績は?」
「セリカ、補欠の補欠のそのまた補欠くらいで入学だよ!この学校、難しいよねぇ」
諦めた方が良さそうだ。
しかし、無謀にも笹山に立ち向かう輪廻を見て、周囲の生徒がざわざわと呟いている。
「……九十九って、あの九十九製薬のお嬢様?」
「神童って言われてる子だろ?テレビでも見たことある」
「学校一位……いや、全国でも一位レベルなんじゃね?」
俺は知らなかったが、輪廻は頭の良さで有名らしい。
そんな優秀な人間が、どうしてこんな片田舎の学校に。
と、一瞬不思議に思ったが、今の状況を見ていると、答えはすぐに出た。
隣にいるピンクの残像で、全て説明がつく。
どうやら輪廻は、セリカにくっついて自分のレベルに合わない学校に来たらしい。
それが本当なら、間に挟まって邪魔な俺をあそこまで嫌うのも、まあ、仕方ないか。
「私の成績で、犀川さんの髪色を自由にしてください」
輪廻が言い切ると、笹山はぐぬぬと口籠る。
しかし、輪廻の成績とセリカの髪色は、どう考えても関係ない。
教師がその理論で押されるな、と俺は内心で突っ込んだ。
「い、いや、九十九。お前の成績と犀川の髪色は別問題だ」
笹山が俺が考えていたのと同じ内容で返した。今度は輪廻が言葉に詰まる。その隙を笹山は逃さない。
「それに、九十九は中学の成績を見るに、入試で手を抜いたな。まさか、特進クラスじゃなくて犀川と同じ一般クラスに行きたいからじゃ……」
「それなら、セリカちゃんも学年上位にしてみせます」
「ふぇ?!」
俺の隣でセリカが素っ頓狂な声を上げた。
笹山は何かを言いかけて、止まった。
ここで輪廻を言い負かしてセリカの髪を黒くすることは、笹山にしてみれば簡単だ。
しかし、補欠の補欠のそのまた補欠で入学してきた生徒の成績が上がる方が、この学校の利になる。
「……わかった。次の定期試験まで、この件は保留にしよう」
「ありがとうございます」
輪廻は深々と礼をして、黒髪が揺れる。完全勝利といった雰囲気だ。
人だかりが解散し始めたところで、セリカが俺の袖を掴んだ。
「りっくん……」
「何だ」
「学年上位って……私が?」
「そうなるな」
「りっくん……無理だよぉ……!」
セリカは涙目になって俺の腕にしがみついたが、俺は歩くのをやめなかった。輪廻がこちらに近づいてくる。
「セリカちゃん、私たちの教室はこっち」
「輪廻ちゃん、あのさ、学年上位って、何位のこと?」
「目指すのは、当然1番」
「ふぇぇー!!」
輪廻はセリカの背中を押して歩き出した。セリカはまだ泣き言を言っていたが輪廻に押されるまま流されていく。
その背中を見送って、小林が俺を見た。
「雨宮、あの2人の真ん中って大変そうやね」
「ああ」
俺は心の底から同意して、深く頷いた。




