21.悪魔の子
――// SIDE-Ri //――
目が覚めると、暗がりだった。
(…………ここは……?)
瞬きを繰り返した後、身を起こさずに目だけで状況を確認する。
その部屋は白い壁の狭い空間だった。目に付く家具は、木でできた机と椅子が一セットだけ。無機質な室内の角に置かれた小さくて硬いベッドに自分は寝かされていた。
小さな窓から、穏やかな午後の日差しが差し込んでいる。暗い室内を走る弱光を追うと、自分の寝ているベットに腰を下ろしていた人物に気づいた。
エビル・アストワルド。
「……………………」
すぐに先ほどの光景が思い起こされる。
自分が意識を失った後、どうなったのか。
あの若い王は何処へ行ってしまったのか。
どうやってここまで来たのか、覚えていない。
……ただ。
ただ、今、気がかりなのは……。
(さっきの 背中……)
意識を失う寸前、自分を庇うように立ったエビル。そして吹き飛ばされた時に――視界に入った彼の右手首。あれは確か……。
見ると、エビルの身につけていた右手首のリストバンドが破れていた。
(…………やっぱり)
破れたリストバンドの隙間から、刻印が見える。
確か、エンペラーの刻印Ⅳは首の下――鎖骨の間にあると聞いた。
だとするとあれは、二つめの刻印という事になる。
(…………何故)
刻印の形は、憑いているアルカナを示している。故に適格者がその身に宿す刻印は一つだけだ。そうテンパレンスに聞いた事がある。
「…………」
手を伸ばす。
自分が起きている事に気づいていたのか。その手首に触れると、エビルは微かに身じろぎはしたものの、自分を振り返る事はしなかった。
「………………エビル。読むよ」
抵抗の無い事を確認して、今度はしっかりとその手首を掴む。――瞬間。
触れた肌から、鮮明な映像が噴き出した。
身に刻まれた刻印から、普段は固く閉ざしているエビルの記憶が流れ込んでくる――
――血。
血。
血。
赤い。
紅い。
朱い。
黒い。
それは。大量の血痕。
心に直接流れ込む光景は、地獄だった。
――エビル・アストワルドとは、元王都カルブンクルスの何万という国民の命をたった一瞬で奪った、『悪魔の子』と謳われるⅣアルカナ「エンペラー」の適格者です――
……それはまさしく、彼の過去だった。
十年前のマルティス大陸――カルブンクルス国。
カルブンクルス城の兵士達はザートゥルニ大聖堂直々の命により、エンペラーの適格者を探し出す為、各街、村を廻っていた。
兵がエビルの住むラクリモサ街に辿り着いたその時、丁度エビルは街を離れていた。
マルティス聖堂の司教を務め、アルカナにも詳しかった父は、事の顛末を充分すぎる程理解していた。エビルが捕まって殺されてしまう事を恐れ、街の近くに城の兵の存在を認めるとすぐに、エビルを遠くへ使いに出した。
小さな街で、突然刻印が現れた子供――エビルの事は知れ渡っており、兵達が聖堂に併設しているアストワルド教会へ辿り着くのは容易な事だった。両親に手を振って、エビルが裏口の戸を閉めたその瞬間、ノックの音が響いた――
街へ戻ったエビルは、街の付近でたくさんの兵士に見つかり、追い回される。
訳も分からず逃げ回ったその間、彼は、変わり果てた街並を視界に入れた。
血生臭い街。転がる死体。血の水溜り。所々に咲く炎。
住み慣れた豊かな街は地獄と化していた。
悪夢のような光景から逃れるように、なんとか教会――家に辿り着き、エビルがダイニングに入った時、たくさんの料理が並ぶはずの食卓の上には、父母の生首が飾られていた。
家を張っていた数人の兵に気づかれ、取り押さえられた時。
母に贈ろうと帰り道に摘んで作った小さな花束が足元に落ちた時、また、エビルの意識も沈んだ。
エンペラーの暴走。
ほんの瞬きの間に、カルブンクルス国はもはや住民のいないラクリモサ毎滅んだ。
独り生き残ったエビルは、エンペラーに促されるがままに焦土を離れる。
追及を逃れる為に。また、父との……最後となった約束を果たす為、世界中を旅する事になる。
彼がまだ、六歳の時だった。
「………エビル」
顔を上げる。
エビルは、掴んだままでいたわたしの震える手を優しく払った。
「……エンペラーが宿った奴には、最高で四つ、刻印がつくらしい」
「よっつ……ひょっとして、これって……ホイールさんの言ってた……?」
「ああ……エンペラーが憑いた時にはなかったんだけどな」
苦笑してエビルは、付けていても意味の無いリストバンドを外した。
右手首の刻印が露になる。
ⅩⅩ――ジャッジメント。
「エンペラーに聞いたんだ。これは、"火"なんだって」
「火って、四大精霊の……?」
「そう。十年前に憑いた。俺が、国を焼いたあの力……」
「………………」
「……俺思うんだ。この刻印は、アスキーと同じでさ。罪の証……過去そのものだって」
淡々と語るエビルの横顔を、黙って見ていた。
「……もう解ったと思うけど。リキュール。俺は、アスキーの言ったとおりの奴なんだ。
俺は、奴の国を滅ぼした。聖職者からは『悪魔の子』って呼ばれてる。俺を名前で呼ぶ聖職者は、ディンくらいのもんだよ」
「……………」
「けど、それでもまだ、おめおめと生きている」
「………………」
「殺されてもおかしくないのに、当然なのに」
「………」
「また逃げた」
「……エビル」
「フールを見つけて倒して、アルカナを消滅させる。こんな事が、もう二度と起こらないように、なんて……そんな大義名分じゃない、本当は……」
「…………エビル」
「死ぬのが、恐いだけなのかもしれない」
「………………エビル……っ」
「笑えるよな。俺が滅ぼしたってのに。俺は、想像し難い程たくさんの人の人生を一瞬で奪い取ったってのに」
「エビル!」
「……恐いなんて、言う資格、ないのにさ」
「………~っ」
エビルの震える背中を抱きしめた。
自分の言葉は、きっと届かない。
届かない所で、いつだって震えている、こんなことをしたってきっと、意味なんか無いのに。
「………………」
温かい。
エビルの体温を感じた。
エビルは生きてる。
…………生きてるんだ。
「どうして。キミは『助けて』って願わないの?」
「……わかっただろ」
「生きる事が、罪だから?」
「……そうだよ」
「生きたいと、願う事が罪だから?」
「…………ああ」
「ではなぜ」
「……」
「なぜ、キミは生まれてきたの………?」
自分の吐き出した涙声に、自分で怒れた。
決して泣くまいと決めたのに。感情任せに、答える者もいない問いを、責めるように吐き出した。
否。ひょっとしたら自分は、彼を責めている。
どうして。
――どうして、そんな風にしか…………、
「リキュール」
遮るように名前を呼ばれて、ビクっと体が震えた。
気づけばエビルの震えは止まっていた。
エビルはやんわりと、わたしの腕を外す。
「見たからって、おまえが背負う事はないんだ」
反射的に、顔を上げる。
「ありがとう」
そう言って。
エビルは弱々しく、自分に微笑んだ。
――初めて。
彼の本当の表情を、見た気がした。
――// TO RETURN //――