第一話 罪人、異世界初日に認定される
プロローグ
青空。
この世界に来たばかりの頃は、この空の高さと明るさに胸がときめいた。
どこまでも青くて。
どこまでも広くて。
見上げているだけで、知らない場所まで行けるような気がした。
もう、あの頃と同じようには見られないけど。
それでもやっぱり。
僕は、この空が好きだった。
「罪人め!」
声が飛んでくる。
「お前のせいで、家族がバラバラになったんだ!」
――罪人。
僕がやった、一つひとつのことが。
「お前が全部奪った!」
――罪人。
どこかで、誰かを不幸にした。
「お前さえいなければ!」
――罪人。
僕がいなければ、何事もなく過ぎていたことだって、きっとあった。
「死んでしまえ!」
――罪人。
それでも。
不思議と、後悔はなかった。
「この世からいなくなれ!!」
――罪人。
いや。
違うな。
不思議でもなんでもない。
だってこれは――僕が選んだことだから。
さっきまで僕を照らしていた日差しが、ふっと陰った。
顔を上げる。
一人の男が、僕の前に立っていた。
重そうな真っ黒い服。
手にしている剣まで、光を吸い込むように黒い。
男は何も言わず、僕を見下ろしている。
その顔には、何の表情もなかった。
「何か、言い残すことはないか?」
黒い剣が、僕の首筋に触れた。
ひやり、とする。
「ないよ」
そう答えて。
僕は男に笑いかけた。
そして、すぐに思い直す。
「あ、いや」
これは言っておかないと。
「あの……ありがとう」
男の顔が、一瞬だけ動いた。
驚いたようにも見えた。
次の瞬間。
ぽつり。
頬に冷たいものが落ちた。
「……雨?」
思わず空を見る。
雲なんて一つもない。
目が痛くなるくらい、真っ青な空だ。
「……なわけないか」
男は何も言わなかった。
僕も、もう何も言わない。
ざわめいていた声が遠くなる。
風の音だけが、やけにはっきり聞こえた。
男が黒い剣を構える。
「罪人、榊優を――」
静かな声だった。
「処刑する!」
剣が走った。
冷たさを感じたのは、一瞬だけだった。
空が傾く。
青。
どこまでも青い。
ああ。
本当に――。
腹が立つほど、青い空だ。
教室の窓から、小さく空が見えていた。
窓枠に四角く切り取られた青空。
僕――榊 優は、頬杖をついてそれを眺めていた。
別に空が好きなわけじゃない。
授業が始まるまで、他にすることがなかっただけだ。
高校一年生。部活には入っていない。
これといって将来やりたいこともない。
だからといって、焦ってもいなかった。
そのうち何か見つかるかもしれないし、見つからなかったら、その時に考えればいい。
僕はそのくらいに思っていた。
「優。聞いてるか?」
声をかけられて、窓から目を戻した。
天道 剣が僕の前の席に座っている。
「何を?」
「聞いてないじゃねえか」
「ごめん」
剣は剣道部だ。
短い髪に、制服の上からでも肩まわりがしっかりしているのがわかる。
高校に入ってからも、ほぼ毎日稽古をしている。
名前まで剣なので、初対面でもだいたい剣道部だと思われる。
そして将来は、本気で警察官になるつもりだった。
「だから、警察官になるには体力だけじゃ駄目なんだよ。試験もあるし、今からちゃんと勉強もしとかないと」
「へえ。剣道って警察官になってからも続けられるの?」
「もちろん。大会もあるし、剣道や柔道を続けてる人も多い」
「じゃあ剣にはぴったりだね」
「そう簡単じゃねえよ」
そう言いながら、ちょっと嬉しそうだった。
後ろの席から笑い声が飛んでくる。
「天道、また警察の話してんの?」
「相変わらず真面目だなー」
「悪いかよ」
剣が振り返る。
僕は笑った。
「いいじゃん。やりたいこと決まってるの、すごいと思うよ」
剣は一瞬だけ黙って、それから僕を見る。
「……優は?」
「何が?」
「将来」
「ないよ」
「少しくらい考えろ」
「剣が二人分考えといて」
「自分で考えろ」
いつものやり取りだった。
なぜか剣は、こういう話を僕にはよくした。
僕も、それを聞くのが嫌いじゃなかった。
少し離れたところでは、獅波 善の周りに何人か集まっていた。
「善、文化祭のアンケート出した?」
「出したよ。まだの人いる?」
何人かが手を上げる。
「じゃあ俺、まとめて先生に持ってく。今日までだろ?」
「あ、俺のもお願い」
「いいよ」
別の席からも声が飛ぶ。
「善、こっちも!」
「はいはい。今持ってくから」
善は別にクラス委員じゃない。
それでも、何かあるといつの間にか真ん中にいる。
「先生、遅くない?」
誰かが言った。
時計を見る。
確かに、授業開始の時間を過ぎていた。
善が集めた紙を机に置く。
「俺、職員室見てくるよ」
その時だった。
床が光った。
「……え?」
最初は、窓から入った光が反射したのかと思った。
違う。
白い線が机の下を走っている。
一本。
二本。
あっという間に教室全体へ広がり、見たこともない模様を描いていく。
「全員、机から離れろ!」
剣が立ち上がった。
ほぼ同時に、善も声を上げる。
「みんな、慌てないで! 出口――」
最後まで聞こえなかった。
光が噴き上がる。
視界が真っ白になった。
身体が浮いたような感覚。
次の瞬間、足の裏に硬い感触が戻った。
「…………」
教室ではなかった。
白い石の床。
見上げるほど高い天井。
巨大な柱。
周囲には、剣や槍を持った人間が並んでいる。
「怪我した奴いるか!」
剣の声が響いた。
善も、すぐ近くで座り込んでいた女子へ駆け寄る。
「立てる? どこか痛くない?」
僕も自分の身体を確認した。
怪我はない。
制服もそのまま。
ポケットにはスマートフォンも入っている。
画面を見る。
圏外。
「……まあ、そうだよね」
ここで普通にアンテナが立ったら、そっちの方が驚く。
「皆様」
声がした。
聞いたことのない言葉だった。
なのに、意味はわかる。
広間の奥で、豪華な服を着た人たちがこちらを見ていた。
「まずは、我々の説明をお聞きください」
クラス中がざわつく。
善が前へ出た。
いきなり知らない場所へ飛ばされたのに、すごいなと思う。
「その前に一つだけ。ここはどこですか?」
善が尋ねる。
「俺たちをここへ呼んだのは、あなたたちですか?」
「はい」
答えた男が一歩前へ出た。
そこから説明が始まった。
ここが僕たちのいた場所とは別の世界であること。
この国が神聖バイロード王国ということ。
そして僕たちは、この国によって召喚されたこと。
当然、質問が飛び交った。
帰れるのか。
家族へ連絡はできるのか。
なぜ僕たちなのか。
「ちょっと待って。一人ずつ」
善がみんなを振り返る。
「俺が聞くから」
何人かの質問を聞き、それをまとめて王国側へ向き直った。
「まず、俺たちは元の世界へ帰れるんですか?」
「現時点では、元の世界へお戻しする方法は確認されておりません」
広間が一気に騒がしくなる。
「みんな、一回最後まで聞こう」
善の声が通った。
「わからないことはあとで全部聞けばいい。まず話を聞かないと何もわからないから」
少しずつ声が収まった。
王国側の説明が続く。
僕たちには、それぞれ「天職」と呼ばれるものがあるらしい。
この世界でどんな力や適性を持つのかを示すもの。
召喚された僕たちは、それを一人ずつ調べることになった。
名前が順番に呼ばれていく。
知らない職業。
聞いたことのある職業。
喜ぶ奴もいれば、微妙な顔をする奴もいる。
やがて。
「獅波善」
善が前へ出た。
判定をしていた人たちがざわつく。
「【勇者】……!」
広間の空気が変わった。
王国の人たちから歓声が上がる。
「俺が……勇者?」
善自身も驚いていた。
けれど、周りのクラスメイトを見ると、すぐに笑った。
「俺にできることがあるなら、やります」
歓声がさらに大きくなる。
なんというか。
似合う。
次に呼ばれたのは剣だった。
「天道剣」
剣が前へ出る。
判定結果を見た男が、一瞬だけ黙った。
「【処刑人】」
「……処刑人?」
剣が眉を寄せた。
勇者の次とは思えないくらい物騒だった。
戻ってきた剣へ、小声で言う。
「名前に剣って入ってるからじゃない?」
「関係あるか」
「警察官志望なのにね」
「うるさい」
さすがに本人もちょっと気にしているらしい。
判定は続く。
そして。
「榊優」
僕の番になった。
前へ出る。
正直、少しだけ期待した。
勇者じゃなくていい。
処刑人もちょっと嫌だ。
普通でいい。
できれば、あんまり危なくないやつ。
判定をしていた男が結果を見る。
動きが止まった。
「……?」
もう一度見る。
隣にいた人まで覗き込む。
さっきまでとは、明らかに様子が違った。
嫌な予感がする。
「あの……何ですか?」
男が僕を見る。
「【罪人】」
「…………はい?」
聞き間違いかと思った。
でも、誰も笑わない。
「罪人って、天職なんですか?」
その瞬間。
周囲の兵士が動いた。
僕を囲む。
何人かは腰の剣へ手をかけている。
「ちょっと待ってください」
剣がすぐに前へ出た。
「優は今ここに来たばかりですよね?」
善もこちらへ歩いてくる。
「何かの間違いじゃないですか?」
王国の男が答えた。
「【罪人】は、世界に災いをもたらす忌むべき天職です」
世界に災い。
いきなり規模が大きすぎる。
僕の世界なんて、教室から見える小さな空くらいが関の山だっていうのに。
「優は何もしてません」
剣が言う。
「まず本人に説明してください。何が問題なんですか?」
善が剣の隣へ立った。
「俺からも話します。優は俺たちの友達です。何かの間違いなら、ちゃんと解決できます」
二人の声を聞いて、少しだけ安心した。
そうだ。
僕は何もしていない。
今日、この世界に来たばかりだ。
なら、話せばわかる。
「榊優を隔離しろ」
兵士が僕の腕を掴んだ。
「……え?」
話せばわかる。
少なくとも、その時までは。
僕はそう思っていた。




