4 赦せないこと
魔術学園の昼休みは長い。実際に魔術を使う授業が午後に集中しているせいか、通常の学校より英気を養う時間が長いのだ。
時刻は正午。いつもはエレナと一緒に寮の食堂で食べていたリンクスだったが、今日はエレナを誘いテラスで食事を取っていた。近頃気もそぞろなエレナに探りを入れる為だ。
「最近元気ないね?」
「あっ……えへへ。ごめんねリンちゃん」
この「ごめんね」は、ご飯の時間に暗い顔をして、という意味だろう。友人との食事の時間を大事にする彼女にとって、もの思いに耽るのは失礼に当たると思ったのだ。
「気にしてないよ〜エレナちゃんは困りごと? 私でよければ力になるよ」
リンクスは、エレナの食欲が大好きなパンを前にしても以前より落ちているのが心配だった。
元々人気はあまり無かったが、結界を張り外に声が漏れないようにする。
「ありがとうリンちゃん。うーん…………うん、大丈夫。話せる」
エレナは静かに笑う。その初めて見る萎れた花のような笑顔に、リンクスは言葉を失くした。
「えっと、幼馴染に告白……っていうか婚約の申し込みをされてね。でもあたしは平民で、その人は貴族なの。あたしの苦手な、ね」
「エレナちゃんは……貴族になることが嫌? どうして苦手なの?」
その問いを向けられたエレナは、一拍おき意を決して口を開く。
「——どうしても赦せないことがあるの」
言葉には重みがあった。リンクスはこの話を進めてはいけないと、本能で察しつつも続きを促した。
「赦せないこと……?」
「あたしのおじいちゃんはね、普段は優しいパン職人なんだけど、魔術士でもあるの。すごく強いんだよ? あたしはおじいちゃんから魔術を教わったんだ」
「へぇ……いいね」
純粋にその光景を微笑ましく感じたリンクスは優しく笑う。だが、その笑みも長くは続かなかった。
「王族から直々に師団に入ることを打診されるほどだったらしいの。……でも、おじいちゃんを目障りに思った貴族に冤罪で投獄された。色んなものを奪われて、死んでもおかしくなかった。おじいちゃんは何も悪くないのに、なんでこんな酷いことができるの? おじいちゃんが赦しても、私は赦せない。大切な家族が理不尽な扱いを受けて、今も罪を被ったままなんて納得できないよ!」
リンクスは驚きに目を見開く。
——見てしまったのだ。彼女の魔力が悲しみと、憎しみで覆われてしまったのを。
俯き気味でリンクスからは表情があまり伺えない。だが、魔力は何より雄弁だった。
「おじいちゃんが恨んでないなら孫の私が騒ぐことじゃない……そう納得しようとして、でも出来なくてずっと囚われてる。それでもいつの日か、赦せる日が来るんじゃないかって思ってたの」
(……あぁ)
「どうしてかな? おかしいよね? まだ全然赦せそうにない。あたし怖いの。だから、ナハトと結婚して貴族の世界に入ることに踏みきれない」
(シンシア、私……)
「過去を忘れて、無かったことにして、貴族の世界で生きていけるほど……まだ、大人になれていないから。だから、心が迷子になってるの」
(今回は、君の役に立てないかも——)
* * *
「ああ〜とうとうこの日が来ちゃったよ……」
不甲斐ないことに、まともな助言の一つもできなかった昼休みから、もう合宿寸前となってしまった。
「ここ最近の貴女は、いつもより静かだったわね……」
「え〜分からないようにしてたのにぃ……流石の観察眼だ〜」
「貴女はすぐそうやって茶化すんだからっ」
合同説明会の準備を任されたシンシアと、それに巻き込まれたリンクスは、準備を分担しながらエレナのことについて話していた。
エレナの悩みは結局のところ、自分自身で折り合いをつけれる日が来るのを待つしかない。
エレナの祖父を陥れた派閥の者達は、軒並み隠居したか死んでいた。やるせなさをぶつける相手はおらず、たとえ冤罪を晴らそうと遠い過去のことだ。
「エレナちゃんからしたら、だから何って話だけどね。傷つけられた事実は消えないよ」
「エレナさんは自分が傷つけられるより、大事な人が傷つく方が苦しいタイプね」
エレナの日頃の言動や行動からは、自分に向けられる悪意に恐縮することはあれど、あそこまでの感情を向けはしない。
「はぁ……冤罪事件を解決しても、エレナちゃんの抱いたやるせなさは癒やせないだろうね。当事者はもう吹っ切れてるらしいから、何をしても今更だし。さすがの私も過去は変えられない。詰みだね」
「かつてないほど弱気ね」
「だってさ没落の恨みを晴らすだけなら簡単だけど、エレナちゃんが求めてるのって違うじゃん?」
単なる復讐なら話は早い。滅ぼすことにおいてリンクスの右に出るものはいないからだ。
「……思っていたよりも、状況は良いとは言えないわね」
「ヴィオレット先輩のときみたいに、ある程度力押しできればな〜……」
最初の一件に似ているが違う。解決策がない。
ヴィオレットの時は分かりやすかった。精霊を召喚し、弟を取り戻すという目的が本人にあり、リンクスという解決策を持っている者がいた。
エレナの望むもの、それは——名誉の回復? 爵位を取り戻す? 陥れた者を殺すこと?
どれも違う。彼女はそんなこと望んでいない。
「ただの恋する女の子なら既にハッピーエンドだった。でも残酷なことに、恋は現実の前に敗れた……最初のプランは諦めるしかないわね」
シンシアはぶつぶつと呟きながら、今後の計画を練り始めた。想定よりも厳しい現実に直面し焦っているようだ。
元々シンシアは相談を受ける前から、エレナ側からの好意がありそうだと確信していた。その為最初にナハトから話を持ち込まれた時、彼女は貴族の家に入ることに躊躇してるだけだろうと楽観視していたのだ。
「大雑把に言うと、エレナちゃんに必要なのは時間。依頼者には待てをさせとけばいいじゃん。結婚相手としてはやぶさかじゃなさそうだし」
「……過去の真相を知ってる者に、接触出来ないかしら?」
リンクスとは違い、シンシアはこの件を依頼としてキチンと解決に導くことを諦めていないようだ。
「クロエちゃんは?」
「流石に生まれる前のことは、学園長も知らないでしょう。望みは薄いわ」
「……あっ! じゃあさ——」
リンクスが案を閃いたところで、教師達が入ってきた。ちょうど機材の確認を終えたシンシアは、振り返り丁寧に挨拶をする。
「準備は終わったか?」
「イアト先生。私達を誰だと思ってるの? ほら見て完璧でしょ?」
リンクスの方はというと、魔術を使い資料を机へ分配していた。一学年分という相当な数の資料を、精密に置いた技量は見事としか言いようがない。
「メルクーリに手伝わせたのは正解だったな。君もご苦労だった」
「いえ、お力になれて嬉しく思います」
二人はたまたま出会して手伝わされたのだが、シンシアは優等生として模範的な回答をする。
学園では一生徒として扱われるとはいえ、この国の姫に躊躇なく雑用を振るイアトに他の教師は引いていた。
「シンシア〜こっちに座ろ〜」
「はいはい」
リンクスは、後のことは知らぬとズンズン奥の席へと向かう。階段教室の為、リンクスの背丈でも後方で問題はない。
教師達がいる為先ほどの話は避けなんでもないお喋りに興じていると、他の生徒達もだんだんと入室してきた。
「そうだわ。結局残りのメンバーは誰になったの?」
「え? 言ってなかったっけ? あっ、ちょうど入ってきたよ。スピサくん達、こっちこっち〜!」
連れ立って二人の前に来たのは、スピサとエアだった。
「ははっその様子だと、シンシア嬢はメンバーが誰か知らなかったらしいな」
二人はリンクスの前の座席に腰掛けながら、自然に会話へ参加した。
「今知ったわ。可能性としては考えていたけれど」
シンシアは対抗戦を経て、幾分か気安くクラスメイトと会話するようになった。
特にエアとは、互いに気安い会話が出来るようになほどだ。リンクスとしても冬休み以降、エアの視線や魔力が柔らかくなったように感じ、二人を接触させることに忌避感はない。
婚約者が内定してる姫君といえど、友人くらい作っていいはずだ。
「スピサくんに声を掛けてる時に、エアくんが話に混ざってきたから誘ってあげたの」
「誘って貰ったからには役立とう……とは言っても、今回は平和な勉強合宿のようだ」
「てっきりシメオンを誘うと思っていたわ。誘われなかったの?」
シンシアの予想では、一番の候補だった親族の名を出した。
「誘われてないし、こっちもその気はなかったな。だって同じ班に王族二人は、エレナちゃんが可哀想じゃん?」
結果的に同じクラスの人が多くなってしまったが、班分けにクラスは関係ない。だがリンクスは、王弟で話題性のあるシメオンと組むつもりは元からなかった。
エレナのことも理由の一つだが、一番は他クラスまで行って誘うのが面倒だったからだ。リンクスは未だ、この行事自体に興味を持てないでいた。
「あっ来た! エレナちゃん達、こっちこっち〜」
「リンちゃん遅れてごめんね! さっきの授業が長引いちゃって……み、皆さんも遅くなってすみません!」
エレナとナハトも連れ立って来た。
「まだ始まってないし大丈夫だよ〜」
「あぁ、気にしないでくれエレナ嬢。それから、君とは初めましてだね」
「はい。お初にお目にかかります。ナハト・ネローと申します——」
エアの良い所は、誰にでも社交的な所だろう。おかげでスピサの話しかけづらい雰囲気がカバーされている。
ナハトの方も、事前にリンクスから誰を誘ったのか聞きに来ていたからか、慌てることなく好青年面で接していた。問題はなさそうだ。
「そろそろ席付けよー」
予鈴が鳴り、イアトが雑な声掛けをしたことで、教室の生徒達が素早く席に着く。スムーズに合同説明会が始まった。
「説明の後に各班代表者には、このくじを引いてもらう。班ごとに一から四の数字に組み分けし、合宿中はこの数字で授業が別れる。班員とは常に行動を共にしろよ」
「授業に関してですが、教師の数の問題で近代魔術史と——」
引率する教師の人数の関係で、いつもとは異なる授業が行われるそうだ。一年は担当していないイアトも、今回ばかりは担当することになる。
「魔法生物学では魔獣について理解を深め、最終日には雪山で実地訓練を行ってもらいます」
「実地訓練の中身については当日発表する。せいぜい楽しみにしておくといい」
幾人かの生徒が動揺していたが、イアトはスルーを決め込み続きを別の教師に促した。
「クラブでの浮かれようはこういうことか……」
「イアト先生が準備担当なんだろうね。一気に信用が無くなったな〜。ま、アレもあるし命は助かるよ」
「……怖いこと言わないで頂戴」
魔術戦クラブに所属する二人の言葉に、シンシア達が慄いている。リンクスとしては、むしろ楽しくなってきたまであるのだが少数派みたいだ。
説明会は少しの波乱がありつつも、その後無事終了したのだった。




