3 初恋の妖精さん
「うっわぁぁっ〜! ねぇ聞いた!? 私のこと、『泥棒猫』だって! ふはっ、あはははっ」
リンクスはソファに寝転び盛大に笑う。罵倒の言葉を浴びているにも関わらず、楽しく盛り上がっていた。
そんなリンクスに、ナハトは青筋を立て噛み付く。
「笑うところじゃないが……!? 意味分かんないし惨めな気分になるんですけど! ……いや、実際おれは惨めな男だったな。エレナは入学してからあんたの話ばかりだし、最近はおれを避けてる。知ってるか? あんたの話をする時のあいつは、子どもの時みたいなニコニコ笑顔なんだよ……ははっ」
「あぁ……お気を確かに」
思いっきり素が出てしまっている。先ほどの礼儀正しい青年の皮は一瞬で剥がれた。
だんだん勢いが無くなっていき、力なく笑うナハトを心配するのは、この場で一人だけだった。
「嫉妬乙〜でも君に泥棒猫なんて言われる筋合い無いよね? だって君は、エレナちゃんの恋人とか婚約者じゃないし」
「ぐっ……」
「リンさんっ」
心配のしの字もないリンクスは、速攻で男心に傷を負わせた。リンクスの辞書に容赦という言葉はないようだ。シンシアに嗜められ、それ以上の発言は控えたが。
(しばらく魔術師団に戻ってたから悪癖が思わず……上下関係分からせるのに、言葉か魔術で負かすのが手っ取り早いんだもん)
ナハトはどうにか踏ん張り、シンシアに促されるままよろよろと向かいのソファに腰掛けた。
「おれだって分かってる。そんなことを言う権利がないって、分かってんだ……!」
恋する男の嘆きが部屋に響き渡り——そして、ナハトによる恋話が始まった。
ナハト・ネローは三人兄妹の長男だ。弟は物心ついた頃に生まれた。
赤子につきっきりになる母と、仕事が忙しく不在がちの父。生まれる前は楽しみにしていたはずの弟が憎たらしく見える。
親からしたらベストに思える歳の差も、子にとってベストとは限らない。弟が生まれてから少しずつ溜まっていた不満がとうとう爆発した。
ナハトはこっそりと家を出た。弟が生まれる前、母と行ったパン屋とお菓子屋に一人で行こうとしたのだ。
「ここ、どこ……?」
だが、さっそく迷ってしまった。ナハトは王都生まれ王都育ちではあるが、五歳ほどの子どもが迷わず目的地に着けるほど王都は甘くはない。
特にナハトが住む場所は商人エリア。開発が盛んで店も人通りも多く迷いやすい。
そうしてナハトは、子どもの体感ではとても長い時間王都を彷徨った。パン屋も菓子屋も発見出来ないまま。
「…………うぅ」
歩いても歩いても辿り着かない。心細さに先ほどから瞳が潤んでいる。
そんな少年へ、背後から幼い女の子の声がかかった。
「——ねぇあなた、もしかして迷子?」
ニコニコ笑顔の女の子が、ナハトへ救いの手を差し伸べている。
「……えっ! あ、その……」
ナハトは、振り向いた先にあったこの愛らしい笑顔を、生涯忘れないだろう。
衝撃で上手く言葉を紡げない少年の顔を、少女は無邪気に覗いた。
「さっきから同じところをぐるぐるしてるよ。道を教えてあげよっか?」
どうやら沈んだ表情の子どもが前を何度も通りかかったから、心配して声をかけたらしい。
「妖精さんだ……」
「え……?」
寂しさで弱っていたところに、可愛い女の子から優しくされれば男心などイチコロである。
——かくして、ナハト・ネローの初恋は始まったのだった。
ナハトはその後、エレナの案内の元無事目的地に辿り着き(というか目的地の一つがエレナの家だった)、親が迎えに来るまでずっとエレナに引っ付いていた。
その後、店に足繁く通いエレナと親しくなり——
「これが俗に言う一目惚れ、ってやつか! 男の子ってチョロ〜い。てか、妖精さんって……ふふっ」
「今、まだおれとエレナの運命的な出会いが終わったところだったんだが!? それから他人の初恋を茶化すんじゃねぇ!」
妖精とは、数百年前にいたとされる人と精霊の中間とされる存在のこと。暗黒期以降一切姿を表さず、時に人を助けたり悪戯をしたりする程度しか知られていない。
現代では絵画のモチーフに採用されていることが多く、たいていは可愛らしい姿で描かれている。
その為、少年が少女の可愛らしさを表すのに「妖精」と称したのも割とよく使われる表現だ。
「ごめんごめん。それで恋に落ちたあとはどうしたの? なんのアピールもしてないわけじゃないんでしょ」
「もちろんだ。一緒に出かけたり、相談に乗ったり、贈り物も欠かしてない。そしておれと同じように、エレナの笑顔に惚れたライバル達を蹴散らしてきた。おれはエレナの一番近くに居続けた——にも関わらず!」
ナハトは仇を見るかのようにリンクスを鋭く睨みつけた。
「そんな涙ぐましく頑張る君を押しのけて、エレナちゃんと仲良くなってる私の登場で〜す。てへっ」
「腹立つ〜っ!」
ナハトは男爵家という立場からか、普段の振る舞いは学園でも紳士的な男子生徒だった。……この二人の掛け合いを見ると想像つかないが。
どうやらナハトには、リンクスが恋敵に見えているらしい。同性は結婚できないなんて常識はすっぽ抜けているのか、あるいはその壁を容易に壊しそうだから警戒されているのか……。
シンシアは「先行きが不安だわ……」と嘆息した。
「えー……こほん。ネロー様の彼女への想いは充分伝わりました。改めて確認するけれどご相談の内容は、貴方がエレナさんと婚約できるように協力する……で、間違いないかしら?」
「はい」
「一応これだけは言わせてもらうわね——私達が目指すのは両者の幸せであり、どちらか一方の幸せではないわ。エレナさんが拒否を示せば、私達は手を引きます」
「うんうん。相手の幸せを尊重出来ないやつなんか、一生独り身でいればいいよね」
「……はい、承知しております」
彼の恋が成就するかは、エレナ側が何を思って返答を保留としているのかによるだろう。
リンクスは、エレナがこの幼馴染を嫌っているとは到底思えない。
ナハトがリンクスの話を聞いていたように、リンクスだってナハトの話をエレナから聞いていたからだ。幼馴染との思い出を話す彼女の表情を、リンクスはしっかりと記憶している。
「そういえばさ、エレナちゃんに避けられてるって言ってたよね? 原因に心当たりはある?」
「…………直接、婚約の申し込みをした」
「まぁ……!」
「そして、『返事は少し待って欲しい』と言われた」
「あちゃ〜」
家、そして本人からも返事を保留にされてる今、彼には待つという選択肢しかない。
「最初の手応えは良かったんだ。頬を赤らめて可愛かったな……でもいい返事は貰えなかった。エレナの様子がいつもと違ったのも問いただせず、これ以上は困らせるだけだと思い……そのまま退散して今ここです」
「エレナちゃんの様子、おかしかったの?」
「なんか……上手く言葉にできないんだが、苦しそうな迷ってるような感じに見えた」
「…………」
シンシアは少し考え込むとナハトに問いかけた。
「エレナさんの貴族嫌いの理由は知っていて?」
「理由までは知りませんが……その、珍しいことではないかな、と」
ナハトにとっては、むしろ貴族を嫌うことはよくあることだった。家が商売をしていれば、爵位だけは立派な貴族に辛酸を嘗めさせられたことなど少なくない。
そこに特別な意味があることなど想像もしなかった。
「貴方の家は、新興の男爵家だったわね」
「はい。もともと我が家の祖先は、村から村への貿易を担う船の船頭でした。数十年前に始まった河川工事を機に商売を広げて、父親の代で貴族の末席に加わった新参者です」
ネロー家は海運業で貴族の地位を得た。メインの貨物輸送の他、観光船事業なども行っている。
その為住まいこそ王都にあるが、家の人間は仕事の都合で各地にある拠点に滞在することも多い。一家で過去の貴族事情に疎いのは無理もないことだ。
「ネロー様。エレナさんには——貴族の血が流れています。より正確に言うと、彼女の家は貴族だった家系なの」
「…………なっ!?」
ナハトは衝撃の事実に二の句が継げなかった。
信じられなかったのだ。ナハトから見て、エレナに魔術士としての将来性は感じても、貴族的な素養は感じられなかった。
貴族が多いこの学園では、必修に行儀作法などを習う授業があるが、エレナが苦戦してるのはここにいるメンバーなら当然知っている。
良くも悪くも、彼女は普通の女の子でしかない。
「驚くのも当然よね。どうやらエレナさんの曽祖父の代で、政敵によって没落し貴族籍から抜けてるようなの」
自力で調べるのは学園内では限度があるだろうと、数十年前の出来事について語った。
……とはいえ、シンシアも全ては分からなかった。エレナの祖父が魔術士として優秀だったこと、当時派閥争いがあったことから、政敵によって罠に掛けられたのだろうと推測した。
「現状エレナさんが何に悩んでいるのかは確定してないわ。けれど十中八九、貴族への悪感情が関わっているでしょうね……」
ここで思案を重ねても答えは出ない。理由は本人にしかわからないのだから。
「やるべき事はシンプルに考えましょう。私達はエレナさん攻略のために、彼女の悩みを探る。貴方にはそれを解決してもらう」
「はい」
「今月末に勉強合宿があることは知ってるわね。そこで同じ班に誘って、エレナさんともう一度話し合ってみてはどう?」
「はい……ですが、一緒の班になってくれるかは……」
ナハトは自信なさげに俯く。
「そこは、私がエレナさんをお誘いするわ。騙し討ちのようだけど、先に私との約束を取り付けて仕舞えば、班員に気まずい人がいても断れないでしょうし」
「ははっ、それなら確実でしょうね」
——誰がこの国の王女に誘われて断ることが出来るだろう。
ナハトはそう思っているだろうが、ここには王族の誘いだろうと乗り気にならなければ断る気分屋がいる。
シンシアはリンクスからも声を掛けるよう話し、段取りをつけていく。
「メンバーは六人だけど、あと二人はどうするの? 誰でもいいなら私が声掛けようか?」
シンシアから直々に声を掛けると、色々と面倒なことになるだろう。かと言って、ナハトから自分の友人を誘うなどとも言いづらい。リンクスの発言は二人としても助かるものであった。
「えぇお願いね」
二人は、リンクスが誰を誘うのか少し不安に思いつつ頷いたのだった。




