第7話:完璧なる人
ハーレム入りはしないヒロインです
王立女学院という場所は、社交場である。
学問も大切だが、それ以上に重視されるのは、来たるべき卒業後の結婚・人脈形成を見据えた立ち振る舞いだ。そのため学院で行われるあらゆる行事――お茶会から式典、果ては庭園の改修に至るまで――には、莫大な予算と大人たちの思惑が動く。
「……信じられない。この見積書、正気か?」
放課後の生徒会室の片隅で、俺――アルベルタことアルバート・グレイは、偶然目にした創立記念祭の備品購入リストを前に、めまいを覚えていた。
学院の運営は、伝統という名の「どんぶり勘定」で支配されている。
特級の羊皮紙一枚に、市場価格の三倍の値段がついている。装飾用のリボンに至っては法外な中抜きの形跡が見える。
(グレイ商会なら、この半分の予算で倍の品質のものをそろえてみせる。というか、この納入業者、明らかに学院の事務方を抱き込んでいるな。商売人として汚い数字を見るのは反吐が出る……)
俺が一人で奥歯を噛み締めていると、背後から凛とした、氷の結晶が触れ合うような声がした。
「――アルベルタ・グレイ様。他人の商会の帳簿を覗き見にするのは、あまり感心しませんわね」
振り返ると、そこにいたのは完璧を絵に描いたような少女だった。
白金色の髪を非のうちどころのない縦ロールにまとめ、制服のシワ一つなく、背筋は定規を当てたように真っ直ぐ。
ヴィクトリア・アシュフォード。
王都最大、いや王国最大の規模を誇る『アシュフォード商会』の令嬢である。彼女は生徒会の会計監査を務めており、事実上、この学院の経済を牛耳る女帝だ。
「……これは失礼いたしました、ヴィクトリア様。あまりに『興味深い数字』が並んでいたもので、つい」
「興味深い?ふふ、あなたのような小規模な商家の娘には、この桁違いの予算は刺激が強すぎたかしら?」
ヴィクトリア様の言葉にはトゲというよりも、絶対的な強者の余裕があった。
アシュフォード商会にとって、グレイ商会など道端の石ころも同然。彼女は俺を、エレノア様に気に入られているだけの、運の良い田舎娘くらいにしか認識していなかった。
だがその時、生徒会室のドアが開き、一人の業者が入ってきた。
「失礼します!アシュフォード商会指定の、式典用ワインの最終見積を持ってまいりました!」
揉み手をして現れたのは、中堅商社の支配人だ。彼はヴィクトリアの前に一枚の書類を恭しく差し出した。ヴィクトリア様はそれを一瞥し、優雅にペンを取ろうとした。
「……ええ、確認しましたわ。アシュフォードの看板を汚さない、妥当な金額ね。これで契約を――」
「お待ちください」
俺の声が部屋に響いた。
ヴィクトリア様の手が止まる。彼女は不快そうに眉を寄せ、俺をにらんだ。
「何かしら、アルベルタ様。これはアシュフォード商会と学院の契約です。外部の人間が口を出す領域ではありませんわ」
「ええ、重々承知しております。ですが、そのワイン……南部のサン・テミリオン産の三十二年物とお見受けしますが、その価格設定はおかしくありませんか?」
俺は業者が持ってきた見積書を指差した。
「昨年の南部の長雨により、その年代のワインは市場で品薄になっています。しかし、先週ソルトポートに入港した貨物船アルビオン号が、秘蔵されていた1000本を王都に持ち込みました。今の卸値は、あなたが提示している額の七割まで落ちているはずです」
沈黙が流れた。
業者の顔が、みるみるうちに土気色に変わっていく。
ヴィクトリア様の瞳が、初めて鋭い光を宿して俺を捉えた。
「……アルベルタ様。その情報はどこで?」
「情報?いいえ、ただの計算ですよ。港の入港記録と、昨日のワインギルドの公示、そして今朝の天候による運搬コストの変動を組み合わせれば、自ずと答えは出ます」
俺は事務的に、よどみなく続ける。
「さらに言えば、この輸送費もおかしい。アシュフォード商会の自社馬車を使うのであれば、この中継倉庫使用料は発生しないはず。つまり……この業者は、アシュフォードの看板を隠れ蓑にして、自分の懐に金貨20枚を入れようとしている」
「な、何を馬鹿なことを!この小娘が、知ったような口を――!」
業者が叫んだ。だが、ヴィクトリア様の冷徹な一言がそれを遮った。
「黙りなさい。アシュフォードの会計監査の前で、嘘は通じませんわ」
ヴィクトリアは俺が指摘した箇所と、自分の手元の資料を高速で照合した。
その速度は、学院の講師など比較にならないほど速い。彼女もまた、英才教育を受けた本物の商人なのだ。
「……その通りですわ。このワインの暴落、私も今朝方報告を受けたばかりでした。この取引は考え直します。アシュフォード商会に不義理を働こうだなんて、許せません!即刻、立ち去りなさい!」
「ひ、ひいいいいい!申し訳ございませんでした!」
商社の支配人は逃げ去っていった。
「……アルベルタ・グレイ。あなた、なぜこれを今、この場で計算だけで導き出せたの?」
ヴィクトリア様の目が、俺を同業者として初めて正面から見据える。
「わたくしは……ただ、無駄な数字を見るのが嫌いなだけです。金貨一枚の価値を軽んじる者は、いつか金貨一枚に泣くことになりますから」
俺は『薔薇のしずく』第19章『誇り高き商人の矜持』を思い出し、不敵な笑みを浮かべる。実際は、ただ単にボッタクリを見過ごせなかっただけだが、彼女の目には経営哲学を持つライバルとして映ったらしい。
「…………」
ヴィクトリア様はペンを置き、ゆっくりと俺に歩み寄った。
彼女の完璧な仮面が、わずかに崩れる。
そこにあったのは驚きでも、怒りでもなかった。
それは、広大な砂漠で自分と同じ言葉を話す人間を見つけたような、強烈な敬意だった。
「認めますわ、アルベルタ・グレイ。あなたは、この学院で唯一、わたくしと同じ『数字の真実』が見えている人間。他の令嬢たちが、花の色やドレスの刺繍に現を抜かしている中で……あなただけが、世界の裏側を流れる金の音を聞いている」
(いや、そこまで大層なもんじゃないんだけど。在庫管理が好きなだけなんだけど)
「わたくし、今まであなたを侮っていました。エレノア様に媚を売る小賢しい女だと。……ですが訂正します。あなたは、わたくしが全力を挙げて注視すべき……最高に有能な淑女ですわ」
ヴィクトリア様は、俺の右手を両手で包み込むように握った。
エレノア様の情熱的な握り方とも、リリー様の震える手とも違う。
それは冷たく、だが確かな重みを持った、契約のような握手だ。
「アルベルタ・グレイ。いつかあなたと、市場の全てを賭けた商談をしてみたいものね。……もちろん、アシュフォードが勝つに決まっていますけれど」
「ふふ……望むところですわ。グレイ商会も、そう簡単に市場を明け渡すつもりはありませんから」
俺は彼女の奥にある、剥き出しの商人魂に応えた。
(やっぱりこの人は凄いや。性別こそ間違えているが、俺の中身を一番正確に評価してくれている。……でも、正確すぎて怖いな。ヴィクトリア様だけは、他の三人のように『薔薇のしずく』的な物語で誤魔化すことができない気がする……)
ヴィクトリア様の視線は、俺の指先のペンだこや、立ち振る舞いの端々に見える実務家としての気配を、逃さず観察していた。
彼女だけは、アルベルタを一人の商人令嬢として見ている。
ただし、目の前の人物が男であるという点だけは、彼女の完璧な理性が「そんな理不尽なはずがない」と拒絶していたのだが。
「では、失礼しますわ。会計監査の続きを、完璧に終わらせてくださいね」
「ええ。……次にあなたとお話しするときは、もっと面白い数字を用意しておきますわ」
ヴィクトリア様が、初めて本当の意味で俺に微笑んだ。
それは美しく、そして恐ろしく研ぎ澄まされた刃物のような笑みだった。
ヴィクトリアは隠れポンコツです
頭にメガネを乗せながら「メガネどこかしら」を素でやる感じ
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