第39話:卒業式
卒業式の朝は、雲一つない快晴だった。
大講堂には華やかな幕が張られ、整然と並べられた椅子の周りには、春を告げる花々が誇らしげに飾られている。
俺――アルベルタことアルバート・グレイは、卒業生の一人として、凛とした列の中に立っていた。最前列には、王家の紋章が刻まれた豪奢な席が設けられている。
エドワード王太子殿下。
本当に、来ていた。背筋を伸ばして座るその御方は、噂に聞くような「退屈な顔」など少しもしていなかった。むしろ、獲物を探す鷹のような鋭い眼差しで講堂内をゆっくりと見回している。
その隣に座るエレノア様の顔は、朝から今にも倒れそうなほど真っ青だ。
「――卒業証書、授与」
ミセス・ホロウェイの厳かな声が響く。
名前が一人ずつ読み上げられていく。エレノア・ヴァンス。シャーロット・アシュリー。リリー・ソーン。イザベラ・クレイン。ヴィクトリア・アシュフォード。
そして。
「――アルベルタ・グレイさん」
俺は一歩、前へ進み出た。
壇上で優雅に一礼し、証書を受け取る。手に取った紙は、一年間の重みに反してひどく軽かった。
『アルベルタ・グレイ』
この世に存在しない少女の名前。俺はもう一度深く一礼し、自席へと戻った。
(……終わった。あとは、静かに消えるだけだ)
式はとどこおりなく進んだ。学監の式辞、理事長の祝辞。そして、最後は王太子殿下による祝辞だった。
「――余は本日、一つの明確な目的を持ってここへ参った」
王太子が立ち上がった瞬間、講堂の空気が張り詰めた。
「この学院の帳簿を、ただ一人で立て直した賢者に会うためである」
俺の背筋に氷の刃が走った。
「グレイ商会の学生代表……前へ」
――来た。
俺は覚悟を決め、立ち上がった。膝がわずかに震えるのを、鍛え抜かれた大腿筋で押さえ込む。講堂の中央へ進み、王族に対する最高敬礼を捧げた。
「アルベルタ・グレイにございます」
「面を上げよ」
顔を上げると、王太子殿下と視線がぶつかった。殿下の顔には驚きも疑念もなく、ただ純粋な知的好奇心だけが燃えていた。
「王室財務府より報告を受けておる。六年前、財務府が下賜金を打ち切ったのは『自立を促すため』という名目であったが……実際は誰も学院の帳簿など読んでおらなんだ。それを、そなたが暴いた。財務府の役人どもは、そなたの提出した書を見て度肝を抜かれたそうだぞ」
「恐れ入ります、殿下」
「余も驚いた。……時に、そなた。南部のケルダル街道の第三橋については聞いているか?」
俺は思わず目を見開いた。
「――存じております。冬の豪雨で崩落し、物流が七日の迂回を強いられた件にございますわね」
「左様。余はあの橋を即刻架け直すべきだと主張しておるが、財務府の守銭奴どもは渋っておる。橋一本に金貨200枚は、単年度の予算としては高すぎると。そなたはどう思う?」
「――安すぎますわ」
反射的に商人の声が出ていた。言ってから慌てて口を押さえる。
「……申し訳ございません、殿下。出過ぎたことを」
「いや、続けよ。余が許す」
殿下の目が爛々と輝きだした。こうなれば、もう止まらなかった。
「あの橋が落ちたことで、北部の羊毛、木材、石炭の流入が一冬で二割減少いたしました。物流の七日の遅れは、王都の物価を一割以上跳ね上げ、その負担はすべて王都の民が負うております。金貨200枚など、七日の迂回によって失われる国富の損失に比べれば、微々たるものにございますわ。そもそも、橋は一度架ければ五十年の安定を生む投資。五十年で償却すれば、一年のコストはわずか金貨4枚にすぎませんわ!」
王太子が、ドォン!と机を叩いた。
「――五十年の償却!そうだ!財務府の連中は、投資を単なる『出費』としか数えておらぬのだ!」
――そこから、半刻。
卒業式の真っ只中であることを誰もが忘れたかのように、俺たちは講堂の中央で、国家インフラと物流コストについて熱論を交わし続けた。
殿下が水利計画の図面を広げれば、俺が輸送費の削減幅を瞬時に暗算し、殿下が税収見込みを述べれば、俺が回収年数の妥当性を突っ込む。
ふと視界の端を見ると、最前列のエレノア様が両手で顔を覆い、リリー様が祈るように空を仰いでいた。
「……アルベルタよ。そなた、王都へ来る気はないか。財務府には数字を数えるだけの人形はおるが、生きた『値』を知る者がおらぬ。余の側近として、この国の帳簿を洗い直してはくれぬか」
講堂が騒然となった。王太子直々のスカウトである。
「で、殿下……。わたくしは、しがない商人でございますわ」
「商人だからこそ良いのだ!考えておけ。……いや、余は本気だぞ」
――その時。
講堂の重厚な扉が、バァン!と勢いよく開け放たれた。
全員が驚愕して振り返る。そこに立っていたのは、旅装のままで、外套に街道の埃をつけたままの、一人のたくましい女性だった。
俺の心臓が、本日何度目かの停止を起こした。
――母上だ。
「――ああ、間に合ったねぇ!」
母マーサは、講堂の入り口で堂々と仁王立ちになり、叫んだ。
「馬車がぬかるみにハマってね!途中の宿屋の飯もひどくて散々な目に遭ったよ――」
そして、講堂のど真ん中でドレスを着て王太子と語らっている俺を見つけると、満面の笑みを浮かべ、千切れんばかりに両手を振った。
「――アルバート!!よく頑張ったじゃないか!御用商人の座、取れたんだろう!?」
――。
講堂が真空になった。
完璧な静止。
俺は動けなかった。声を出すことさえ忘れた。
母上はまだ上機嫌で手を振っている。
「なんだいその顔は!ちゃんと食べてるのかい?なんだかまた肩幅が広くなったんじゃないのかい?」
「……母上」
「なんだい」
「……母上……ッ!」
「だから、なんだいって言ってるだろう」
俺は、ゆっくりと天井を仰いだ。
――三秒。
俺の一年間の苦労と嘘が、わずか三秒で、塵一つ残さず吹き飛んだ。
誰も、何も言わない。七十人の令嬢たちが。教員たちが。王太子殿下が。
すべての視線が、ドレスを着た俺に突き刺さっている。
「……ああ」
静寂を破ったのは、エレノア様だった。
彼女は顔を覆っていた手をゆっくりと下ろし、噛み締めるように呟いた。
「……道理で、令嬢にしては背がお高すぎると思っておりましたわ」
俺が彼女を見ると、周囲からもポツポツと言葉が漏れ始めた。
「道理で、お声が心地よい重低音だと思っていましたわ」
「道理で、暴れ馬を片手でねじ伏せられるわけですわね」
「道理で、樽を軽々と担いで……」
ざわざわと広がる納得の嵐。
だが、おかしなことに、悲鳴もなければ、不審者を見る蔑みの目もない。
俺は意を決し、自分に馴染んだ本当の声を出した。もはや裏声を作る必要などなかった。
「……皆様。わたくし、いえ、俺は……皆様を欺いておりました。申し訳――」
「存じておりましたわ」
エレノア様が、凛とした声で遮った。
「……え?」
「いえ、確信があったわけではございませんの。けれど、なんとなく……もしかしたらそうなのではないかしらと、心のどこかで」
「い、いつからですか」
「最初からに決まっているでしょう?」
――。
講堂が静かに頷いた。全員が、だ。
「バーティという愛称。殿方のものですものね」
「お着替え、一度も手伝わせてくださいませんでしたわ」
「お身体の曲線が、明らかに筋肉のそれでしたもの」
「――では、なぜ!!」
俺はたまらず絶叫した。地声が講堂の隅々まで響き渡る。
「なぜ、誰もそれを言わなかったんですか!俺、毎日『バレろ』って叫んでたんですよ!!」
講堂がしんとした。エレノア様が、心底不思議そうな顔で小首を傾げた。
「……なぜ、申し上げる必要がございますの?あなたが隠していらしたものを、あえて白日の下に晒すなど……そんなこと、淑女としてあまりに『下品』ではありませんこと?」
――下品。
(……上品だから?みんなが上品すぎたから、俺は一年間放置されたのか!?)
膝から力が抜け、崩れ落ちそうになった。
「――ちょっと待ちなさいよ!」
シャーロット様が、木剣を抱えたまま立ち上がった。
「わたくしは、今の今まで本当に知らなかったわよ!!」
「えっ、そうなんですか?」
「当たり前でしょう!あんなに正確な算術ができる人間が、女装した男だなんて、不合理にも程があるわ!……で?男だってことが計算の結果に何か影響するの?しないわよね?ならどうでもいいわ!」
この人だけは、本当に数字と勝負のことしか見ていなかったらしい。
「バーティ様……」
リリー様が、目に涙を溜めて俺を見上げていた。
「……リリー様。ごめんなさい。俺は……」
「道理で……道理で、人に見せられないお身体の悩みがおありだったのですね……。お辛かったでしょう、一人で……女のフリをして働くなんて……っ!」
解釈の方向が、どこまでも優しいのが辛い。
「――違いますの。違いますのよ」
講堂の端で、イザベラ様が椅子から転げ落ち、床に座り込んでいた。
「イザベラ様!?」
「わたくし……あなたに『女に生まれたことを恨んでいるのね』なんて……なんて分かったような台詞を!!一日中張り付いて観察して、羽根ペンの持ち方まで書き取って、それでも気づかないなんて……作家として、作家として廃業ですわぁぁぁ!!」
彼女の絶叫を合図に、講堂にどっと笑いが起きた。
母上が人混みをかき分け、俺の肩をバシィィィン!と力いっぱい叩いた。
「――で、アルバート。どうだったんだい。御用商人の座は取れたのかい?」
「……ええ。取りましたよ」
「そうかい」
母上はニヤリと笑った。
「なら、万事結果オーライじゃないか」
俺は、豪快に笑う母を見、そして笑い転げる令嬢たちを見回した。
王太子殿下は「愉快、愉快!」と腹を抱え、ミセス・ホロウェイは「これだからアグネスは面白いのですわ」と眼鏡を拭いている。
一年間の嘘が、三秒で終わった。
バレろよ。
……バレていた。一年前から、全員に。
ただ、「上品」という名の理不尽なまでの優しさで、俺は守られていただけだった。
(――この学院、やっぱり、どこまでもどうかしてる……!)
俺は、そのどうかしている場所で、最高にどうかしている令嬢たちに囲まれ、人生で一番本気で生きた一年間に、静かに幕を下ろした。
「面白かった!」
「続きが気になる、読みたい!」
「今後どうなるの!!」
と思ったら
↓
下にある☆☆☆☆☆から、作品への応援をお願いいたします!
面白かったら☆5つ、つまらなかったら☆1つ、正直に感じた気持ちでもちろん大丈夫です!
ブックマークもいただけると本当にうれしいです!
なにとぞよろしくお願いいたします!




