第34話:最終審査
三学期が始まって二週間が過ぎた頃、俺――アルベルタことアルバート・グレイは、学監室にて一枚の書面を渡された。
『御用商人 最終審査 実施要領』
ミセス・ホロウェイが、重々しく杖を突いて告げる。
「来月の頭に行います。……よく読み、備えなさい」
俺は書面を開き、そして三度読み返した。――意味が分からなかった。
『一、審査は講堂にて行う。全生徒、全教員、理事一同が立ち会うものとする。
二、候補商会の学生代表は、各自、学院に対して所信を述べる。
三、時間は一人あたり四半刻。書面の持ち込みは自由。
四、内容については、一切の指定を行わない』
俺は困惑して顔を上げた。
「……先生。内容の指定を行わない、とは?」
「言葉の通りです。価格の妥当性を訴えても、実績を誇っても、あるいは今日の天気の素晴らしさを語っても構いません。聞いた者が、その言葉からあなたの『商人としての器』を判断します」
俺は書面を握りしめた。――商談ではない。値も条件も契約条項も出てこない。ただ大衆の前で喋るだけ。
「三百年、この形式です。以前もお伝えしましたが、この学院は人を見る。そのための最後の場が、これです。……かつて、ペンブローク商会もこの場に立っていました」
その夜から、俺の苦悩が始まった。
最初に考えたのは、これまでの実績の整理だ。噴水の過剰請求阻止、支出削減、下賜金の復活。数字を並べれば、それなりの説得力はある。
――だが、俺はそれを書き上げてすぐに破り捨てた。それはすでに周知の事実であり、俺の口から繰り返すのはただの卑しい自慢に過ぎない。
次に考えたのは、商会の誠実さの強調だ。四十年嘘をつかなかったソルトポートの誇り。 ――これも破いた。オーウェンが汗だくで語ったからこそ価値があった言葉だ。ドレスを着た俺がなぞっても、言葉が浮くだけだ。
結局、何も決まらないまま一週間が過ぎた。
俺の脳裏には、ペンブロークの老人の言葉がこびりついて離れなかった。
『御用商人の座を取り上げられた時、あなたの商会に何が残るか。それを先に考えておかれるとよろしい』
審査の当日。
講堂には七十名の令嬢、教員、理事、そして両商会の関係者が詰めかけていた。グレイ商会からは再びオーウェンが、アシュフォード商会からは支配人、そして――白髪の、眼光鋭い老人が座っていた。
(……当主。アシュフォード商会のトップが、自ら来たのか)
先に立ったのはヴィクトリア様だった。彼女は書面を一切持たず、凛とした足取りで講堂の中央へ進み、一礼した。
「アシュフォード商会、ヴィクトリア・アシュフォードでございます」
彼女は、三年間一度も納入を切らさなかった自負を、供給責任の重みを、そして橋が落ちた際の代替調達の経験を語った。
「――ですが、当商会は来期より、学院向けの価格を引き下げます。紅茶を二割、蝋燭を三割」
講堂がどよめいた。
「理由は単純。当商会のこれまでの価格は、学院が内訳を読まないという甘えの上に築かれた『虚飾』であったと認めたからです。父が定めた違約金条項という鎖ではなく、二年後、価格と品質という実力で選んでいただける商会へ戻る。それがわたくしたちの決意ですわ」
完璧な一礼。割れんばかりの拍手。
俺は拳を握りしめた。自分の弱点をあえてさらし、当主の同席のもとで改革を宣言する。非の打ち所がない、最強のプレゼンテーションだった。
「――続きまして、グレイ商会。アルベルタ・グレイさん」
俺は立ち上がった。書面はない。
講堂の中央に立ち、深々と頭を下げる。目の前には、俺を聖女や友と信じて疑わない令嬢たちがいる。
「グレイ商会、アルベルタ・グレイと申します」
声が、自分でも驚くほど低く響いた。緊張ではない。商人として、腹から出た声だった。
「本日は、二つ申し上げます。一つ目は、お詫びです」
ざわつく講堂。
「わたくしはこの一年、学院の支出を削り続け、本年度だけで金貨66枚を浮かせました。ですがその結果、御用商人が扱う流通額も減りました。わたくしは自分が取りに来た座の値打ちを、自らの手で下げたのです。……ある方に指摘されました。なぜ、己の利を損なうようなことをするのか、と」
俺は、最前列のヴィクトリア様を見ずに続けた。
「理由は、戦略ではありません。ただの性分です。盛られた見積もりを見ると、我慢ができなかった。……座を取りに来た候補者としては、あまりに思慮が浅く、失格でございます。申し訳ございません」
講堂に、小さく温かい笑いが漏れた。
「二つ目は、お願いです」
俺の声から、笑い飛ばせるような響きが消えた。
「この座を、『信用の証文』として使うのは、今日限りでやめていただきたいのです」
静寂。
「先日、ペンブローク商会の元当主に会ってきました。百年続いた取引が『香りが弱い』という一言で解除され、三日で潰れた商会です。なぜ、そうなったのか。この学院に選ばれているという事実が、王国最高の『保証書』になっていたからです。保証書を剥がされた商人は、品質や価格以前に、その人格までを否定されたと見なされます」
俺は教員席、そして理事会席をゆっくりと見渡した。
「三百年、この学院は人を見てきました。それは誇るべきことです。ですが、人を見る目だけで商人を決めれば、選ばれなかった者は『不適格』の烙印を押されます。……学院はもう、内訳を読めます。わたくしが、そしてエレノア様が、それを証明しました。ですから、次からは――どうか数字で、実力で選んでください。値段という、誰にでも納得できる『正解』で、商人と対峙していただきたいのです」
俺は深く頭を下げ、その場を離れた。
拍手は起きなかった。
ただ、講堂の奥から乾いた音が響いた。
一人だけ、手を叩いている者がいた。アシュフォード商会の当主、あの白髪の老人が、椅子に座ったまま、ゆっくりと、けれど力強く拍手を送っていた。
それに促されるように理事が、学監が、そして令嬢が。やがて講堂全体が、これまでにないほど重厚な拍手に包まれた。
講堂の外で、俺はヴィクトリア様に呼び止められた。
「グレイ様。……あなた、本当に勝つ気があるのですの?」
「ありませんわ。……いえ、母のために勝ちたいですが、勝ち方を選べるほど器用ではございませんの」
ヴィクトリア様はしばらく俺を見つめ、不意に、少女のように小さく笑った。
「……ずるいですわね、バーティ。父が、あなたに会いたいと申しておりますわ。卒業式の後、商人として話をしたい、と」
「……光栄ですわ」
バレろよ。
なあ、頼むよ。
俺は今日、最優先すべき商会の利益を脇に置いて、学院に「値段で選べ」という不利益な提案をしたんだ。母上が聞いたら「お人好しにも程がある」と呆れるだろう。
そして、アシュフォードの当主が最初に手を叩いた。
最大手の商人が、競争を激化させる俺の提案を、最も価値あるものとして認めたんだ。
誰か気づいてくれ。その提案をしたのは、七十人の令嬢を前に、うっかり地声で商いの真理を説いてしまった、ただの不審な男だってことに!
その夜、俺は実家の母への手紙に、今日一日の混乱を書き記した。
『母上。最終審査が終わりました。結果は三日後。ですが、俺は審査の場で「審査のやり方を変えろ」と文句を言ってきました。
商人としてこれ以上ない愚行です。ですが、あのペンブロークの老人の顔を思い出したら、止まりませんでした。
……母上。俺は、商人失格かもしれません。』
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