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第3話:なぜ女装しているのか

女装の謎が明かされる…?

「……素晴らしいわ、アルベルタ。このお茶会のセッティング、そしてこのスコーンの焼き色。どれもが計算され尽くしていて、それでいて嫌味がない。あなたは本当に、わたくしたち貴族が忘れかけていた『誠実さ』を体現しているのね」


 エレノア・ヴァンス専用のティーサロン。

 最高級のボーンチャイナに注がれた紅茶を優雅に啜りながら、筆頭令嬢はうっとりと俺を見つめていた。

 俺――アルベルタことアルバート・グレイは、淑女の微笑みを仮面に貼り付けながら、「いえ、適正な原価管理とオペレーションの賜物です」という言葉を喉元で飲み込んだ。


 昨日の原価暴露事件から、なぜか俺はエレノアに気に入られ、こうして放課後の茶会に招かれる身となっていた。周囲の令嬢たちは「あのエレノア様が、編入生ごときと……」「やはり、あの方は特別な方なんですわ」と、羨望と畏敬の眼差しを向けてくる。


(違うんだ。俺はただ、商売人として嘘がつけなかっただけなんだ。そして、こんなところにいたいわけじゃない。俺が今、本当にいたい場所は、埃っぽい倉庫の中で在庫の数字を睨みつけている時間なんだ……)


 ふと、視線を窓の外に向ける。

 王都の街並みが遠くに見える。あの喧騒の中に、俺の実家である『グレイ商会』がある。

 なぜ、俺はこんなところでドレスの裾を気にしながら、令嬢ごっこをしているのか。

 遠い目をした俺の脳裏に、数週間前の記憶が蘇った。




◇◇◇◇◇




 それは、実家のグレイ商会の応接室でのことだった。

 机の上には、一枚の豪華な羊皮紙が広げられていた。

 対面に座るのは、俺の母親であり、亡き父の跡を継いでグレイ商会を切り盛りする女傑、マーサ・グレイ。彼女は真っ赤な口紅を引いた唇を吊り上げ、豪快に笑った。


「決まったよ、アルバート!ついに我が商会が、セント・アグネス王立女学院の『御用商人』候補に選ばれたんだ!」

「……本当ですか、母上!」


 その時の俺は、純粋に歓喜していた。

 王立女学院の御用商人の座。それは単なる納入権ではない。国内最高の令嬢たちが集まるその場所で採用されたという実績は、そのまま王国全土への通行証となる。没落寸前だったグレイ商会にとって、これ以上の逆転劇はない。


「前の商会が不祥事で追放されてねえ。チャンスが回ってきたんだよ」

「不祥事?不正受給か何かですか?」

「いいや。納入した紅茶が『なんだか香りが弱いわね』って一部の令嬢に言われただけだってさ」

「……は?」


 俺は耳を疑った。

 それだけで、百年続いた契約が打ち切られたというのか。

 品質基準でも契約違反でもなく、ただの感覚。

 その瞬間、俺は背筋に冷たいものが走るのを感じた。これから足を踏み入れようとしている場所が、論理も数字も通じない、最も恐ろしい魔窟であることを本能が察知していた。


「で、母上。条件はどうなっていますか?」

「ああ、これだよ。学監のミセス・ホロウェイから送られてきた契約書だ」


 俺は羊皮紙を奪い取るようにして読んだ。

 そこには、恐るべき条項が記されていた。


『御用商人の候補商会は、子女一名を学生代表として最終学年に編入させること。その者の品位、言動、評判をもって、商会の資質を判断する。なお、代理人は認めず、必ず血縁の子女であること』


「……母上。これ、読みましたか?」

「読んだよ。子女一名って書いてあるねえ」

「うちには、俺しかいませんよね」


 俺は静かに指摘した。

 グレイ商会の直系は十七歳の俺、アルバート・グレイただ一人である。

 マーサは紅茶を優雅に(一口で)飲み干し、沈黙した。


 1秒。

 2秒。

 3秒。


「じゃあ、お前が女装して行けばいいね」

「決定が早すぎる!!」


 俺の絶叫が応接室に響き渡った。

 だが、母の目は本気だった。いや、本気というより、彼女の中で既に解決策として確定してしまっていた。


「待ってください!俺は男ですよ!背も高いし、声も低い!誰がどう見たって、ドレスを着ただけの不審者です!潜入した瞬間に捕まって、グレイ商会は御用商人どころか、犯罪者リストに載りますよ!」

「大丈夫だよ。人間、自信満々に振る舞っていれば、大抵のことは『そういうものか』で流されるもんさ。あんた、商談の時はあんなに堂々としてるじゃないか」

「商談と女装は別次元の話です!」

「やってみて駄目だったら、その時考えなさい。ほら、もう契約書にはサインしちゃったしね。今さら断ったら違約金で商会は本当に潰れるよ」


 母は悪びれもせず、サイン済みの書類を振ってみせた。

 この人は悪意が全くない。ただ判断が光速を超えており、細かいプロセスを全て根性で埋めようとするタイプなのだ。商売人としては有能だが、息子にとっては災厄以外の何物でもない。


「無理です。絶対にバレます」

「バレないよ。えーっと、この辺りに……あったあった。ほら、これを見なさい」


 母が本棚から取り出したのは、派手な表紙の本だった。

 タイトルは『薔薇のしずくは恋に濡れて』。

 当時、王都で大流行していた、極めて芝居がかった文体の大衆恋愛小説だ。


「これを読みなさい。ここに書いてあるお嬢様たちの所作を真似ればいいんだよ。彼女たちの世界は、こういう『物語』でできてるんだから。理屈じゃない、雰囲気だよ。雰囲気さえ掴めれば、あんたがどれだけガタイが良くても『そういう珍しいタイプのお嬢様』で通る!」

「本気で言ってますか?」

「あたしが商売で冗談を言ったことがあるかい?」


 母の瞳には一切の迷いがなかった。

 彼女は息子を全面的に信頼していた。商売の才能も、そして、この無茶振りを完遂できる図太さも。


「……分かりましたよ。やればいいんでしょ、やれば!」


 それが、地獄への第一歩だった。

 それからの数週間、俺は商人としての仕事をこなしながら、夜な夜な『薔薇のしずく』を音読し、柳のような歩き方を研究し、そして無理やりコルセットに体を押し込む日々を送った。


 鏡に映る自分を見るたびに、俺は絶望した。

 ドレスから覗く首筋は太く、肩幅は威圧的。

 だが、母はそれを見るたびに「素晴らしい! 異国情緒あふれる美少女に見えるよ!」と拍手喝采した。あの人は、もしかしたら目が悪いのかもしれないと本気で疑ったほどだ。




◇◇◇◇◇




 ――そして、現在。

 俺はティーサロンで、エレノアの熱い視線を浴びている。


「アルベルタ?どうしたの、急に黙り込んで。わたくしの話、退屈だったかしら?」

「いいえ、エレノア様。少し……故郷の、母の顔を思い出しておりまして」


 俺は嘘偽りない真実を口にした。

 エレノアは、その言葉をどう解釈したのか、胸元に手を当てて感動に瞳を潤ませた。


「まあ……。お母様を想って、寂しさに耐えていらしたのね。なんて孝行娘なのかしら。商家育ちでありながら、その慎ましさ、その愛情……。ますます尊敬してしまうわ」


 違う。寂しいんじゃない。

 あの悪意ゼロの災厄が、今頃どこかで新しい無茶を思いついていないか、恐怖で震えていただけだ。


「アルベルタ。安心して。わたくしが、あなたの力になるわ。この学院で、あなたが不当な扱いを受けることがないよう、わたくしが全力で守ってみせる。これは、わたくしの誇りに懸けた誓いよ」


 エレノアが、俺の手を力強く(そして少し熱っぽく)握りしめる。

 彼女の瞳にあるのは、一片の疑いもない善意と敬愛。

 

(……ああ、やっぱりこの学院は理不尽だ)


 数字も契約も通じない。

 ただの誤解が、公爵令嬢の誓いを生み出し、俺の立場を盤石なものにしていく。

 俺は御用商人の座に一歩近づいた。だが、それは同時に『バレたら即死』の崖っぷちが、より高く、より険しくなったことを意味していた。


「ありがとうございます、エレノア様。……わたくし、このご恩は一生、原価計算に代えてでもお返しいたします」

「ふふ、またそんな冗談を。あなたって本当に面白いわ」


 冗談じゃない。本気なんだ。


 俺は微笑みの仮面の下で、再び天を仰いだ。

 バレろよ。

 誰か一人くらい、俺が樽を担げる筋力の持ち主であることに気づいてくれ。


 しかし、その願いはエレノアの「まあ、次はこのドレスを見てくださる?」という楽しげな声にかき消されていった。


母は暴君です



「面白かった!」


「続きが気になる、読みたい!」


「今後どうなるの!!」


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