第32話:二学期、終了
おかしなことは、その後も留まることを知らなかった。
まず、故郷ソルトポートのオーウェンから三通目の手紙が届いた。
『若旦那。
言われた通りに断り続けています。「今の量では品を落とさずに納められません。人と倉庫を整えるのに二年かかります。二年後、また声をかけてください」と伝えています。これでようやく王都の連中も帰ってくれると思ったんです。
ですが、違いました。みんな、なぜか喜ぶんです。「二年後だな。分かった、覚えておくぞ」って、満足そうに笑って帰るんです。
それだけならまだしも、昨日、王都の大きな問屋がまた来ました。そして、金を置いていこうとしたんです。予約金だそうです。二年後に確実に優先して売ってもらうための銀貨50枚。
母君は当然突き返しました。「二年後に何があるか分からないのに、金は受け取れない」と。そしたらその問屋、こう言ったんです。「だから置いていくんだ。あんたのところは、金を受け取らないほど硬派な商会だって話が欲しいんだよ」
若旦那。俺には、この人たちが何を考えているのか、さっぱり分かりません。断れば断るほど客が来るんです。オーウェン』
俺――アルベルタことアルバート・グレイは、手紙を机に置き、しばらく天井を見上げた。
(……ああ、そういうことか)
分かってしまった。商売において、最も価値が跳ね上がるのは「手に入らないもの」である。母上が誠実さゆえに断り続けた結果、グレイ商会は王都で「金を積んでも口説けない、最高に格式高い商会」というブランドになってしまったのだ。
俺も母上も、そんなことは微塵も意図していない。ただ、商売人として正しい判断を積み重ねた結果、勝手に虚像が独り歩きを始めたのだ。
次のおかしなことは、学院の正門の外で起きていた。
いつからか、門の前に人が立つようになった。最初は二、三人。それが十人になり、二十人になった。王都からやってきた娘たちである。彼女たちは門の外で背伸びをし、中を熱心に覗き込んでいる。
「ホロウェイ先生。あれは……一体?」
「……見物ですわ」
ミセス・ホロウェイは、深い、深い溜息をついた。
「今、巷で話題の『四輪花』を一目見たいのだそうですわ。門番が三度追い返しましたが、翌日にはまた戻ってまいりますの」
「困りましたね」
「困っておりますわ。三百年、この学院の門の外に野次馬が並んだことなど、一度もございませんのよ」
昼休み、俺はいつもの四人と中庭にいた。噴水の規則正しい水音が、冬の澄んだ空気の中に響いている。
「ねえ、バーティ。門の外の方々、どうしたらよろしいかしら」
エレノア様が本気で困った顔をして相談してきた。
「……厳しく追い返すしかないかと」
「けれど、寒そうですわ。昨日も朝から夕方まで、何も食べずに立っていらした方がいたのよ」
「エレノア様。まさか」
「ええ。あまりにお気の毒で、温かいスープとパンを差し入れさせましたわ」
「――やめてください!!」
俺は思わず絶叫した。
「なぜ?」
「増えます!明日には倍になりますわ!!」
案の定、翌日には三十人を超えていた。学院が公爵令嬢の施しまで受けられる聖地となってしまったのだ。
さらに次のおかしなことは、学監室に呼ばれた際に告げられた。
「グレイさん。候補商会について、重大な進展がございます」
ミセス・ホロウェイは、三通の書状を机に並べた。ケルダル商会、マーロウ商会、ブレイク商会。
「この三商会から、辞退の申し出がございました」
俺は耳を疑った。
「三商会ともですか?」
「ええ。ケルダルとマーロウは『学生代表が期待に応えられず、これ以上席を占めるのは無作法である』と。そしてブレイク商会は――」
彼女は三通目を取り上げた。
「『先の紅茶の一件で、当商会はアシュフォード商会とグレイ商会の両方に、商人としての真髄を教えられた。今の当商会に、この座を争う資格はない。鍛え直して出直す』とございましたわ」
――あの一件だ。競合二社がそろって頭を下げに来たあの光景を見て、支配人が「話の種代」と言って笑った、あの事件。
「グレイさん。残るのは、アシュフォードとうちの二商会のみ。春の最終審査で、どちらかに決まりますわ」
俺は、椅子の背にもたれかかった。勝ちが、向こうから歩み寄ってきている。
だが、俺は商売を何もしていない。納入額は最下位のまま、格付けも等級外。
支出を削り、帝王学を教え、算術を叩き込み、借金の返済計画を立て、小説を売り、競合の窮地に走った。……どれ一つとして、通常の商売ではない。
「ホロウェイ先生。一つ、伺ってもよろしいでしょうか。――なぜ、わたくしが残っているのですか」
ミセス・ホロウェイはしばらく黙り、ゆっくりと眼鏡を外した。
「グレイさん。この学院は三百年、値段という数字を見てまいりませんでした。その結果、潰れかけましたわね」
「はい」
「けれど、それでもこの学院が三百年続いてきた理由が、一つだけございますの。――わたくしたちは、人を見てまいりましたのよ」
「……」
「数字は読めず、契約も分からない。ですが、誰が誠実で、誰がそうでないか。それだけは三百年、見誤ったことがございませんの」
俺は返す言葉がなかった。
「――もっとも、紅茶の香りで百年の取引先を切るような不確かな目でございますから、大した自慢にはなりませんわね。……ペンブローク商会には、先週詫び状を出しましたわ。三十年、漫然と判を押し続けてきた者としての、せめてもの落とし前です」
その夜、俺は自室で二学期の帳簿を締めていた。
削減額の集計、来期予算、石灰の納入記録。すべてを書き終え、暦を見る。
三月。卒業まで、あと三ヶ月。
喉を布で絞り、肩に詰め物をし、歩幅を殺し、声を作り続けてきた一年。
それが、あと三ヶ月で終わる。
(……終わる)
口の中でその言葉を転がしてみる。嬉しいはずだった。
シャツを着て、大股で歩いて、樽を担げる場所に帰れるのだ。
なのに。
月曜日に記帳を覚えると言ったエレノア様、火曜日に算術を続けると言ったシャーロット様、水曜日に家を救ったリリー様、木曜日に新作を書いているイザベラ様。
全部、終わらせたくなかった。
二学期の最終日。四人は俺を囲んで離そうとしなかった。
「バーティ。今度の休暇はどうなさるの?」
「……今回は三週間、すべて実家に帰ります」
四人が同時に、石像のように固まった。
「……三週間、全部ですって?」
「はい」
「前の休暇は二日でしたのに?」
「はい。ゆっくり、休もうと思いまして」
シャーロット様が腕を組み、怪訝そうに俺を見た。
「バーティ、何か企んでいるわね?あなたがただ休むなんて信じられないわ」
「休むだけですわ」
俺は精一杯の微笑みを浮かべた。
言えるはずがない。
あと三ヶ月で、この四人と二度と会えなくなる。その前に、一度ちゃんと「アルバート」に戻っておきたいのだ。自分が誰なのかを思い出しておかなければ、最後の三ヶ月、この嘘を維持できる自信がなかった。
「――行ってらっしゃいまし」
最後に、イザベラ様が静かに口を開いた。
「たっぷりお休みになって……必ず、戻っていらしてね」
「……はい」
「戻っていらしてね、バーティ」
彼女は、念を押すようにもう一度繰り返した。俺は、その揺るぎない眼差しを見返すことができなかった。
バレろよ。
なあ、頼むよ。
……いや、あと三ヶ月だ。
三ヶ月経てば、俺は自分から全部言う。いや、言えるだろうか。
この一年、俺は誰にも気づかれなかった。理不尽が諦めになり、今は――今は、自分でもよく分からない何かになっている。
その夜、俺は母への手紙に、こう書き記した。
『母上。二学期が終わりました。
ライバルたちが次々と辞退し、残るはアシュフォードとうちだけになりました。
商売を何一つしていないのに、なぜか大手への勝利が目前です。意味が分かりません。
――それと、今度の休暇は三週間、まるごと帰ります。
部屋を空けておいてください。あとシャツを一枚、干しておいてください』
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