第27話:秋季総会
その通知が届いたのは、学園の並木道が鮮やかな黄金色に染まり始めた頃だった。
『御用商人候補 中間評価 秋季総会のご案内』
俺――アルベルタことアルバート・グレイは、寮の郵便受けから取り出したその書面を、その場で三度読み返した。
中間評価。学生代表制度において、年に一度だけ設けられる公式査定の場である。候補商会の代表が学院に集結し、この半年の推移を評価される。最終審査ではないが、ここでの評価が卒業時の最終判断に決定的な影響を与えるのだ。
俺はすぐさま自室に戻り、実家へ向けて早馬を出した。
『母上。秋季総会の通知が来ました。商会からも代表を一名出席させる必要があります。母上か、番頭のオーウェンを寄越してください。
なお、俺は生徒として同席します。母上が来る場合、俺のことは「アルベルタ」と呼んでください。もう一度言います。アルベルタです。絶対に間違えないでください』
返信は五日後に届いた。
『オーウェンを行かせる。母より』
相変わらずの短文だった。
――そして、総会当日。
学院の大講堂には、王国を代表する五つの商会が居並んでいた。
王都最大の威容を誇るアシュフォード商会。北部の重鎮ケルダル商会。手堅いマーロウ商会。南方の交易を担うブレイク商会。
そして、ソルトポートの片隅にあるグレイ商会。
俺は生徒席の末端に座り、商会席に座る番頭のオーウェンを見た。借り物の礼服に身を包んだ彼は、緊張のあまり滝のような汗を流していた。
(……落ち着け、オーウェン。お前ならやれる)
彼がふと生徒席に目を向け、俺と目が合った。その瞬間、彼の目が見開かれ、顎が外れそうになった。それから彼は、慌てて視線を明後日の方向へ逸らした。
――そうだった。この男、俺の完全武装(女装)を見るのは、今日が初めてだった。
総会が始まる。議長席には、厳格な表情のミセス・ホロウェイが座っている。
「本日は、御用商人候補五商会の中間評価を行います。評価の観点は三点。学生代表の学院への貢献、商会の社会的信用、そして具体的な納入実績です」
まず、各商会の代表が挨拶に立った。
アシュフォード商会の代表は、洗練された身のこなしの初老の支配人だった。隙のない挨拶を二分で完璧に終える。ケルダル、マーロウ、ブレイクの各商会も、名門らしいそつのない演説を披露した。
最後が、グレイ商会だった。
オーウェンが、生まれたての小鹿のような足取りで立ち上がった。
「あ、あの、グレイ商会の……番頭を務めております、オーウェンと申します」
声は見事に裏返っていた。
「その、うちは、港町の、小さな商会でして……」
彼は震える手で、俺が事前に用意した完璧な挨拶文を取り出した。
「え、ええと、当商会は、創業四十年、ソルトポートにて塩と海産物を中心に……」
だが、彼は途中で読むのをやめた。紙を丁寧にたたみ、机に置いたのだ。
(オーウェン!? 何をしてる!)
「……すみません。カッコつけるのはやめます」
講堂がざわついた。オーウェンは深呼吸をし、真っ直ぐに令嬢たちの席を見た。
「俺は、こういう立派な場所は初めてで、うまく喋れません。……ただ、一つだけ申し上げます。うちの商会は、大きくありません。王都のご立派な商会さんたちと比べたら、倉庫の数も、扱う金額も、桁が違います。お嬢様たちにふさわしい贅沢品だって、そうそう用意できません」
「……」
「けど、うちは一度も、客に嘘の値をつけたことがありません。安物を高く売ったり、裏で中抜きしたり……そんな恥ずかしい真似は、四十年間、ただの一度もしたことがねえんです」
彼は力強く、深く頭を下げた。
「それだけです。……以上です!」
彼が座った後、講堂には、しん……とした静寂が満ちた。
俺は、膝の上で拳を握りしめていた。
(――最高だ、オーウェン)
俺が書いた理詰めの挨拶文より、何百倍も商人の魂に響く言葉だった。
続いて、具体的な評価の発表に移った。
「まず、納入実績。……アシュフォード商会、年間金貨12枚。ケルダル商会、8枚。マーロウ商会、6枚。ブレイク商会、5枚」
ミセス・ホロウェイが淡々と告げる。
「グレイ商会、年間金貨4枚」
会場にクスクスと失笑が漏れた。最下位だ。当然だ、うちはまだリリー様の家経由の石灰と一部の燃料しか納めていないのだから。
「次に、商会の信用度。王都商業組合の格付けにおいて、アシュフォード商会は第一等。ケルダル、マーロウ両商会が第二等。ブレイク商会が第三等」
彼女は一度、書面から目を上げた。
「グレイ商会は――『等級外』です」
再びざわめきが起きた。等級外とは、審査すら受けていない無名という意味だ。オーウェンが肩をすくめて身を縮めている。
(……数字だけ見れば、惨敗だな)
俺は自分の帳面を強く握った。二項目で最下位。これでは最終審査に残るのも危うい。
「――最後に、学生代表の学院への貢献について」
ミセス・ホロウェイが書面を置き、眼鏡を外した。
「この項目については、書面ではなく、わたくしから直接申し上げます」
彼女の並々ならぬ気配に、会場が静まり返った。
「ヴィクトリア・アシュフォードさん」
呼ばれて、ヴィクトリア様が優雅に起立した。
「学業、素行ともに模範であり、不当な契約条項はあったものの、羊皮紙とリネンの価格見直しに協力されました。年間金貨2枚の負担軽減。立派な貢献です」
拍手が起きた。彼女はそつなく一礼して座る。続いて他の三名も、相応の貢献が読み上げられた。
「――グレイ商会。アルベルタ・グレイさん」
俺は静かに立ち上がった。ミセス・ホロウェイは、しばらく沈黙し、俺をじっと見つめた。
「……この方の貢献をどう表現すべきか、わたくしは三日三晩悩み続けました」
彼女の声が、講堂の隅々まで響き渡った。
「まず、噴水の建設費。当初の見積もりは金貨100枚でしたが、彼女の指摘により35枚に修正。削減額、65枚」
会場から驚愕の声が漏れた。
「次に、学院支出の全面的な見直し。燃料、備品、行事、食材。……本年度だけで、金貨66枚を削減。当学院の年間支出の、実に三割に相当します」
どよめきが、怒涛のように広がった。
「さらに、最も重要な点。……皆様には伏せておりましたが、当学院の財政状況は、本年度、破綻の寸前にありました」
令嬢たちの顔から、血の気が引いた。
「六年前、王家からの下賜金が打ち切られて以降、学院は財産を取り崩して運営されてきました。昨年度末の残金は、金貨64枚。……来春には、一枚の銅貨も残らない計算でした」
悲鳴にも似た溜息が漏れる。
「この事実を発見し、削減案を立てて時間を稼ぎ、破産を防いだのが、そこのアルベルタさんです。加えて、彼女の提案で王室財務府へ再交渉を申し入れた結果、先ほど返答が届きました」
俺は思わず目を見開いた。財務府からの返答だと?
「『学院の自立に向けた具体的かつ真摯な努力を確認した。来年度より、年間金貨40枚の下賜を再開する』――以上です」
――その瞬間、講堂が、爆発した。
令嬢たちが一斉に立ち上がり、嵐のような拍手と、アルベルタの名を叫ぶ声が渦を巻いた。
俺は、呆然としていた。
通ったのか。……半分とはいえ、あの中抜きだらけだった王家の金を、もう一度引き戻したのか。
「納入実績、最下位。商会格付け、等級外。……ですが、学院への貢献において、彼女の右に出る者はおりません。本日は、その事実のみをご報告いたします」
ミセス・ホロウェイは誇らしげに胸を張り、総会の終了を告げた。
閉会後。講堂の外で、オーウェンが俺を待っていた。
「……若」
「アルベルタです。オーウェン」
「あ、ああ、そうだった。……アルベルタ様」
彼は帽子をぐしゃぐしゃに握りしめ、目を潤ませていた。
「驚きました。若が、あんな……学園中の女の子たちに拝まれるような人になってるなんて」
「……」
「若が十二の頃、帳場で算盤抱えたまま寝ちまって、旦那様に『金の上で寝るな!』って怒鳴られてたのを思い出しましたよ。……旦那様が生きてたら、腰を抜かすほど喜んだでしょうな」
俺は言葉が出ず、ただ俯いた。
「オーウェン。……今日の挨拶、正解だった。うちが持っているのは、四十年の正直さだけだ。……ありがとう」
オーウェンは鼻をすすり、慌てて背を向ける。
「……帰ります。母君に、若が立派にやってるって、精一杯盛って話してきますよ」
彼は数歩歩いて、ふと振り返った。
「……若。アルベルタ様。……あんまり無理しねえでくださいよ。若が何をやってるのか俺にはさっぱりですが……ドレスの袖、もうはち切れそうですぜ」
「……仕立て直しを頼んでるんだけどな」
「そりゃあ、腕っぷしのほうが速く育ってますからね。じゃあな!」
彼は笑って去っていった。
夕暮れ時。誰もいなくなった中庭。
まだ水が入っていない、鋭利な噴水の隣に、影が落ちた。
「グレイ様」
ヴィクトリア様だった。
「……本日は、お疲れ様でしたわ」
「ええ。あなたも」
しばらく、二人で無言のまま噴水を見つめていた。
「……勝ち、ですわね。あなたの」
「実績は最下位でしたが?」
「ええ、実績では勝ち、信用でも勝ち……そして今日、わたくしは負けたのですわ」
彼女は、扇子を強く握りしめていた。
「金貨12枚を納めているアシュフォードより、わずか4枚のあなたの方が、この学院にとって価値がある。ミセス・ホロウェイは、今日そう宣告されたのです」
「……」
「父に、手紙を書きますわ。……これまでは四半期に一度の報告で十分でしたが、今のあなたについては、今日、今すぐにでも報告せねばなりませんから」
彼女は一礼して去っていった。その足取りは、いつになく急いでいるように見えた。
バレろよ。
なあ、頼むよ。
いや、今日はもうそれどころじゃない。
俺は今日、どうやらこの学院を救った聖女として王家にまで名前が売れてしまったらしい。
納入実績は最低、社会的地位も最低。なのに、中身だけで勝ちかけている。
商売ってのは、値段や看板だけで決まるもんじゃない。そのことを、俺は教える側ではなく、教えられる側として、この学院で突きつけられていた。
誰か気づいてくれ。
この学院の救世主の正体が、ドレスの袖を筋肉で破りかけている不審者だってことに!
その夜、俺は母への手紙に、こう書き記した。
『母上。中間評価が終わりました。実績、最低。格付け、最低。ですが、なぜか王家に顔が効く商会ということになりました。オーウェンにボーナスを出してください。
なお、俺の身体がまた大きくなりました。ドレスの肩幅が物理的に限界です。前から書いてましたが、至急、さらに大きいものを送ってください。』
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