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第20話:一学期、終了

学園は三学期制です

 その日の朝礼で、ミセス・ホロウェイは厳かに、そして冷徹に告げた。


「本日をもちまして、一学期を終了といたします。休暇は三週間と少し。各自、休暇中もセント・アグネスの生徒であることを忘れず、淑女としての品位を保ってお過ごしなさい」


 整列していた俺――アルベルタことアルバート・グレイは、その言葉を聞いた瞬間、危うく裏声で歓喜の叫びを上げるところだった。


(――三週間。三週間だ!)


 三週間、この忌々しいドレスを脱げる。

 コルセットの締め付けから解放され、喉仏を隠す必要もなく、地声で話し、大股で歩ける。

 俺は淑女の微笑みを仮面に貼り付けたまま、頭の中でソルトポート行きの乗合馬車の時刻表を最速で組み立てていた。明日の朝一番に出れば、夕方には懐かしい港の匂いが嗅げる。シャツ一枚で樽を担いで、潮風を浴びて――。


「バーティ」


 背後から、逃げ場を塞ぐような甘い声がした。

 エレノア様だ。


「休暇のことですけれど」

「はい、何でしょうか。エレノア様」

「ヴァンス家の王都の別邸に、いらっしゃらない?三週間丸ごととは申しませんわ。せめて一週間ほど。父も母も、わたくしがこれほど心酔するあなたに、ぜひお会いしたいと申しておりますの」


(公爵閣下が俺に!?不審者の極みである俺に!?)


「恐れ多いお話ですわ、エレノア様。わたくしはしがない商家の娘ですので、公爵家の別邸など、分不相応でございます」

「まあ、何をおっしゃるの。あなたはわたくしの真実の友人ですわ。ヴァンス家の門は、あなたに対して常に開かれておりますのよ」


 それが一番厄介なのだ。この人が友人と口にすれば、それはこの学院において絶対的な制度となり、断ることは外交問題に等しい重荷となる。


「……前向きに、検討させていただきますわ」

「ええ。最高の寝室を用意させておくわね」


 彼女が去った直後、廊下の角から殺気を伴う影が飛び出してきた。


「見つけたわ、バーティ!」


 シャーロット様である。彼女は今日も今日とて、なぜか木剣を抱えていた。


「休暇の予定を聞いたわよ。エレノア様のところへ行くのですって?」

「いえ、まだ検討中ですが……」

「ならアシュリー家へいらっしゃい!うちの演習場は王都のどこよりも広いうえに、最新の重りも揃っているわ。三週間も鍛錬を空けたら、せっかくのその城壁のような身体が鈍ってしまうでしょう?」


(この人の辞書には、休暇も休息も存在しないのか!?)


「わたくし、算術の教本を五度目まで写し終えたのよ。この休暇中に、今度こそあなたと本気の勝負をしたいわ!」

「……検討、いたしますわ」


 昼食の席では、リリー様が今にも泣き出しそうな瞳で俺の手を握った。


「あの、バーティ様……。ご迷惑でなければ、なのですけれど……。ソーン領は王都から馬車で二日ほどの、とても静かな田舎にございますの。……父が、その、一度どうしてもお礼を申し上げたいと」

「お礼ですか?」

「羊毛の仕入れを二ヶ月早めたおかげで、ソーン家の家計が劇的に改善したのですわ。父が、帳簿を抱えて『恩人に会わせてくれ』と泣いておりましたの。……二日、いえ、一晩だけでも構いません。来てはいただけないでしょうか……?」


(三晩かけて読んだ帳簿の成果。商人として、その結果をこの目で見ないわけにはいかない!)


「……承知いたしましたわ。二日ほどでしたら、お伺いします」

「本当ですか! ああ、神様、バーティ様……!」


 そして夕方。荷造りを始めようとした俺の部屋の扉が、意味深なリズムで叩かれた。

 イザベラ様だった。


「バーティ様。休暇の日程は、もうお決まりですの?」

「……ええ、ほぼ、隙間なく埋まりましたわ」

「まあ。では、わたくしの『木曜日』は、どちらに組み込まれていますの?」

「木曜日……」

「ええ。曜日制の誓い、休暇中も継続ですわよね?次の新作の舞台を、港町にしようと思っておりますの。あなたのご実家のあるソルトポート……ぜひ一度、見てみたいですわ」


(――絶対に駄目だ!)


 ソルトポートに彼女を連れて行ったら、俺の正体は3分で割れる。港の連中が「グレイんとこの若旦那がドレス着てお嬢様連れてきたぞ!」と騒ぎ立てる未来しか見えない。


「あ、あちらは何もない不潔な町ですわ!塩と魚の生臭い匂いしかしませんことよ!」

「まあ、素敵!リアリズムの極致ですわ。ぜひその匂い、嗅がせていただきたいわ!」

「…………検討、いたします」


 その夜、俺は机に向かって絶望的な予定表を作成した。

 エレノア様、一週間。シャーロット様、四日。リリー様、二日。イザベラ様への原稿確認、二日。各地への移動時間、三日。

 ――残り、五日。


 そこへ、翌朝の出発直前、ミセス・ホロウェイに呼び止められた。


「グレイさん。休暇中ですが、来期予算の最終草案を仕上げていただきたいのです。……三日もあれば足りますわね?」


 残り、二日。

 こうして俺の三週間の休暇は、実家に帰れる日数が、移動を含めてわずか二日という、驚愕の数字に収束した。



 俺は乗合馬車を三度乗り継ぎ、日が暮れる頃にソルトポートへ着いた。


 海の匂いがする。塩と魚と、油に湿った麻袋の匂い。

 俺は実家――グレイ商会の裏口から忍び込み、自分の部屋に駆け込むなり、ドレスを剥ぎ取った。

 シャツとズボン姿に。コルセットを窓から投げ捨てたい衝動を抑え、鏡も見ずに廊下を大股で歩いた。


 ――解放感で、涙が出そうだった。

 歩幅を気にしなくていい。踵の音を殺さなくていい。喉に力を入れなくていい。


「若旦那!?帰ってらしたんですか!」


 番頭のオーウェンが、目を丸くして駆け寄ってきた。


「ああ。……二日だけだ」

「二日!?学校ってのは、そんなに厳しいもんですか」

「学校は厳しくない。……人間関係が、物理的に俺の時間を奪うんだ」


 俺はそのまま倉庫へ向かった。

 三番倉庫には、ハーヴィル領から預かった羊毛の俵が積み上がっている。1200袋、壮観である。俺は上着を脱ぎ捨て、袖をまくり上げ、一番上の俵に手をかけた。


「若旦那!?何をなさるんです!」

「積み直す。奥の列が湿気を吸っている匂いがする。通気をやり直すぞ」

「いや、それは人足にやらせますから!」

「いいから貸せ!」


 俺は袋を肩に担いだ。

 ずしりとした重みが骨に響いた瞬間、身体の全部が「ああ、これだ」と歓喜した。


 二時間。俺は無心で倉庫の汗をかいた。袋を担ぎ、積み替え、通気の間隔をミリ単位で測った。オーウェンが途中から呆れたように手伝い始めた。

 最後の一袋を置き終えた時、俺は倉庫の床に大の字に寝転がった。

 天井の黒ずんだ梁が見える。子供の頃から見慣れた、俺の原風景だ。


(……ああ)


 俺は目を閉じた。

 この数ヶ月、俺は何をしていたのだろう。

 紅茶の相場を洗い、噴水の見積もりを潰し、侯爵令嬢の小説を売り、四人の令嬢の序列争いに巻き込まれ、曜日で予定を切り売りされた。


 その全部が、今では遠い異国の夢のように思えた。


「若旦那」


 オーウェンが、水の入った桶を持ってきた。


「……顔、ひどく疲れてますよ。学校で、いじめられてるんじゃねえでしょうね」

「いじめられてはいないよ。……ただ、いろいろ難しくてな」


 母は留守だった。北の仕入れに出ていて、戻りは十日後だという。

 俺の部屋の机には、走り書きの置き手紙が一枚だけ置かれていた。


『アルバート。帰ってきたら、これを読んでるだろうね。あたしは北へ行ってくる。羊毛の相場が動きそうだから、現地を見ておきたいんだ。お前のほうは順調そうじゃないか。母より』


 俺はその紙を、しばらく無言で見つめた。


 順調そうじゃないか。――順調そうじゃないか?

 俺は紙を裏返すが、何もなかった。もう一度表を見る。たったこれだけ。

 息子を女装させて魔窟に送り込み、その息子が令嬢四人に囲まれ、学院の財政を握り、王都で自分をモデルにした小説を三万部刷らせているという報告を、毎週欠かさず送っている。

 それに対する返信が、これだけ。しかも半分は羊毛の相場の話だ。


「……もっとないのかよ、母上」


 俺は思わず声に出して笑ってしまった。


 この人は本当に何も心配していない。俺が捕まるとも、失敗するとも、傷つくとも、露ほども思っていない。

 やってみて駄目だったら、その時考える。

 その一点だけで商売をしてきた女傑の、あまりに太い信頼だ。


(……まあ、そのおかげで、俺もこうして生きていられるんだが)


 翌朝、俺は再びドレスを着た。

 鏡の前で喉仏の位置を確かめ、髪を整え、二の腕の張った袖に腕を通した。仕立て直しをする時間など、一分もなかった。


 乗合馬車が動き出し、ソルトポートの港が遠ざかっていく。

 帰省できたのは二日、実質は一日。次にこの服を脱げるのは、二学期の終わりだろう。


 バレろよ。

 なあ、頼むよ。

 俺は今、三週間の休暇のうち、二日しか実家に帰れなかった男だ。

 残りは全部、令嬢四人と学監に業務として食いつぶされた。

 御用商人の座を取りに来たはずなのに、いつの間にかこの学院で一番忙しい人間になっている。


 誰も、俺が疲れていることに気づかない。

 リリー様だけは気づいてくれるが、彼女は俺が他人のために働きすぎて心が磨り減っていると勘違いしている。


 違うんだ。

 俺は、女のふりをするのに疲れ果てているんだよ。

 誰か気づいてくれ。

 久しぶりにズボン姿になった男が、倉庫の床で涙を流しそうになっていたことを。


 学園へ戻った後、俺は母への返信を書いた。


『母上。書き置きを拝見しました。こちらは順調ではありません。ですが、おそらく失敗もしていません。羊毛の相場が動くなら、北部の長毛は買い増してください。二年で戻ります。次に帰れるのは数月後です。アルバート』


あまりにも過酷な日々

明日からはまたお仕事よ~



「面白かった!」


「続きが気になる、読みたい!」


「今後どうなるの!!」


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