第17話:嫉妬という感情
遠くから見れば百合の園
事の発端は、火曜日の昼食だった。
俺――アルベルタことアルバート・グレイは、いつものように四輪花の面々と食卓を囲んでいた。平穏な昼だった。少なくとも、最初の三分間は。
「そういえば、バーティ」
エレノア様が、そっと首元に手をやった。
「この首飾り、いかがかしら。先日、王都の宝飾商が持ってきたものですの」
俺は何気なく視線を向け――止まった。
商人の目は、商品の不備を見つけると意志とは無関係に焦点が合う。
「エレノア様。それ、おいくらでした?」
「金貨8枚と伺いましたわ。今の流行に合わせた、繊細な作りでしょう?」
「石は本物です。ですが、台座が違いますわね。銀に金を薄く被せただけのものです。金貨8枚?冗談でしょう。石だけで金貨3枚、台座を含めても金貨3枚と銀貨50枚が限界です。それと爪が甘い。半年で石を落としますわよ」
エレノア様が目を丸くした。
「……え。これ、最高級品では、ないの?」
「金貨4枚分以上、虚飾が盛られています。半年後に石が落ちて、エレノア様の高貴な首元を汚すのは忍びなかったもので……。差し出がましいことを申しました」
しまった。商人が客、それも公爵令嬢の目利きを正面から否定するのは最悪の手だ。港の商談なら殴り合いになってもおかしくない。
だが、エレノア様は怒らなかった。彼女は首飾りを外し、机の上に置き、それをじっと見つめてから……頬を染めて、実に嬉しそうに笑ったのだ。
「ねえ、バーティ。あなた、他の方にも、同じことをなさるの?……偽物を、偽物だとはっきりとおっしゃること」
「いえ。普通は申し上げませんわ」
客に恥をかかせて得をする商人などいない。だが、俺は正直に続けた。
「エレノア様が、半年後に石を落とされて悲しまれるのが……その、嫌でしたので」
その瞬間、エレノア様の顔が耳まで赤くなった。
「――わたくしにだけ、ですのね。あなた、わたくしにだけは、本当の言葉をくださるのですわね……!」
(いや、品質保持の観点からのアドバイスです)
俺はスープに戻ろうとした。だが、その直後にシャーロット様のフォークが皿に当たって鋭い音を立てた。
「――待って。聞き捨てならないわね」
シャーロット様が、ゆっくりと顔を上げた。
「今、『わたくしにだけ』とおっしゃった? ……バーティ。あなた、わたくしには算術の教本を貸してくれたわよね」
「はい。四度目も写していらっしゃると聞き、王都の商人が使う実務書の方が早いかと思いまして」
「あれ、学院の書架にはない本よね」
「ええ。わたくしの私物です」
空気が、一気に零下へ向かった。
「……私物。エレノア様、この人、わたくしには自分の『本(道具)』を貸してくれたわ」
「あら、そう」
「他の誰にも貸していないわよね?バーティ。わたくしにだけよ」
「本を貸すことと、真実を告げることは、重みが違うのではなくて?」
「重み?その本は彼女の商売道具よ!道具を預けるということは、己の半分を預けるということだわ。わたくしは、この人に『同じ土俵に上がる相手』だと認められたのよ!」
(認められたっていうか、写経の効率が悪すぎて見ていられなかっただけだ!)
俺がスプーンを持ったまま固まっていると、テーブルの端で小さな手が挙がった。
「……あの」
リリー様だった。
「わたくし、先月、実家の帳簿を全部見ていただきましたわ。……バーティ様が、三晩かけて、わたくしのために時間を差し出してくださいましたの」
エレノア様の扇子が止まった。
「――三晩?」
「ええ。眠らずに、ソーン家の泥にまみれた数字を読み解いて、改善案を書き上げてくださいました。わたくし、あの三晩のことを想うと、今でも胸が苦しくなりますわ……」
シャーロット様のフォークが震えている。
「バーティ。あなた、三晩も、この子のために……?」
「いえ、シャーロット様。あれは単に、量が多かっただけで……。エレノア様の首飾りは三分で終わりましたから」
「――三分。……三晩と、三分」
言うんじゃなかった。俺は即座に理解した。正確な数字を出すのは、火に油どころか油田を注ぐ行為だ。
「480倍ですわね……っ!」
エレノア様、こういう時だけ計算が早いのやめてください。
そこへ、静かに紅茶を飲んでいたイザベラ様が、止めの一撃を放った。
「皆様。ひとつ、申し上げてもよろしくて? ……わたくし、バーティ様と、正式な『契約』を交わしておりますの。判も押しましたわ。……バーティ様がわたくしのために動いてくださっている、とだけ申し上げておきます」
空気が凍った。
守秘契約はあくまで「小説の代理人」を隠すためのものだ!だがイザベラ様の言い方では、まるで「一生の主従契約」か何かに聞こえる。
「バーティ。少し、お話をいたしましょうか」
「あの、午後の授業が」
「――休みなさい」
こうして俺は、生まれて初めて「自分に関する会議」に出席することになった。場所は『四輪花』の専用談話室。
イザベラ様が手帳を開く。
「本日の議題は、バーティがわたくしどもに何を与えたか。その序列についてです」
(比較しないでくれ。頼むから)
「わたくしが受け取ったのは『真実』ですわ。十六年間、誰もわたくしに本当のことを言いませんでした。……バーティだけが、偽物を偽物だと教えてくださったのです」
(半年後に石が落ちるからです)
「わたくしが受け取ったのは『道具』よ。あの方が商売で使っている本……つまりあの方は、わたくしを『対等に競うべき相手』と見なしたのだわ!」
(学習効率の改善提案です)
「わたくしが受け取ったのは……『時間』です。眠らずにうちの帳簿を読んでくださった、あの三晩。わたくし、その重みを一生背負っていくつもりです」
(他人の家の帳簿を読むのは趣味なんです)
「――では、わたくしですわね。わたくしが受け取ったのは『契約』ですわ。皆様、考えてもごらんなさい。真実も、道具も、時間は、慈悲があれば差し上げられますわ。……けれど契約は、対等な『取引相手』でなければ結べませんのよ。わたくしは憐れみではなく、一人の人間として選ばれたのです」
沈黙。エレノア様が扇子を落とした。
「……負けましたわ。対等は、強いですわね……」
「何を認めているんですの、エレノア様!」
俺は円卓の中央で、天井を見上げていた。
四人は、俺が一度も区別したことのない四つの業務を、必死に序列づけしている。
真実。道具。時間。契約。
俺にとってはすべて同じ商売の引き出しに入っているものだ。優劣も特別も一切ない。
「――皆様。わたくしは皆様に等しく接しております。序列などございません」
言った瞬間、四人の顔から表情が消えた。
「バーティ様。今、等しくとおっしゃいましたか?契約が他のものと?」
「はい。ですから、争う必要は」
「わたくしとリリーが、等しい?」
「まあ、バーティ様......わたくしとエレノア様が……等しい?」
「バーティ。あなた、それ本気で言っているの?」
四方向からの圧。やってしまった。彼女たちにとって、自分の特別を否定されることは、存在理由を否定されるに等しいのだ。
商人として、もはや正解を導き出すことは不可能。ならば、物理的に在庫(自分)を分配するしかない。
「……曜日で分けましょう」
「は?」
「月曜はエレノア様、火曜はシャーロット様、水曜はリリー様、木曜はイザベラ様。金曜は全員で。……これで、等しく公平かと」
沈黙。
やがて、エレノア様がゆっくりと扇子を開いた。
「……月曜。よろしくてよ、一番乗りの特等席ですわね」
「火曜は……ふん、最も激しい特訓に相応しい日だわ!」
「水曜……わたくしが、あの方を癒やして差し上げる日ですね……」
「木曜。ふふ、夜が長うございますものね……」
――決まってしまった。
その夜、俺は新しい予定表を作成した。
月曜:茶会。火曜:算術特訓。水曜:談話。木曜:原稿確認。金曜:全員での会食。
土曜と日曜は、予算会議の書類作成。
……休みが、ない。
バレろよ。
なあ、頼むよ。
あの四人が三時間かけて序列を争っていたもの、あれ全部、俺の仕事なんだよ。
真実も道具も時間も契約も、俺にとっては同じ引き出しから出した業務なんだ。
なのに俺は今、四人の令嬢と、週五日の定期契約を結ばされた。報酬はゼロ。一銅貨も発生しない。
誰か気づいてくれ。この学院で一番搾取されているのは、俺なんだよ……!
近くで見ればハーレム
これを自業自得と言います
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