第13話:守ってさしあげます
百合(?)です
その日、俺――アルベルタことアルバート・グレイは、中庭の隅にある東屋で、久しぶりに商人としての休息を堪能していた。
『アグネスの四輪花』の面々から解放され、淑女の演技を一時休止して、膝の上に広げた帳簿に王都の香料相場を写す。これこそが俺にとっての癒やしであり、現実逃避だった。
(……やはり、南方のクローブの価格が安定しないな。輸送船のギルドが揉めているのか?これは来月あたり、在庫を確保しておいた方が……)
そんなことを考えていた俺の前に、三人の令嬢が影を落とした。
「あら。こちらにいらしたのね、グレイ様」
顔を上げると、そこにはハーヴィル伯爵家のグウェンドリン様が、扇子を優雅に揺らして立っていた。
北部に広大な牧羊地を持つ名門の令嬢だ。彼女は常に二人の取り巻きを従え、俺が『四輪花』の中心にいることを快く思っていない、いわゆる反主流派の急先鋒だった。
「ごきげんよう、ハーヴィル様。何かご用でしょうか?」
「ええ。少し、お伺いしたいことがありまして。……この学院に、商家の方が入られたのは、百年ぶりだそうですわね」
来た。商人としては聞き慣れた、格付けのためのジャブだ。相手の家柄を突き、交渉の主導権を握ろうとする、極めて真っ当な一手。
「そのように伺っておりますわ」
「本当に、時代が変わりましたこと。……ねえ、グレイ様。あなた、算術がお得意だとか?素晴らしいことですわね。物を売り買いする方は、そういうことがお上手でなければ、生きていけませんものね。ふふ、まるで算盤の化身のようですわ」
取り巻きたちがクスクスと笑う。
俺は内心で、冷静にコストを計算した。
(なるほど。彼女は公爵令嬢であるエレノア様に喧嘩を売る度胸はない。だから一番弱い鎖である『商家』の俺を叩きに来たわけだ。……ここは無難に頭を下げて、彼女のプライドを満足させてやるのが一番安上がりな解決策だな)
俺が立ち上がり、謝罪の言葉を口にしようとした、その時だった。
「――お、お待ちください!」
東屋の入り口に、リリー様が立っていた。
小柄な身体を小刻みに震わせ、両手をぎゅっと握りしめ、顔を真っ赤にして、そこに立っていた。
「リリー様……?」
「ハーヴィル様。今の言い方は、あんまりですわ。……アルベルタ様は、この学院の誰よりも真面目に、誠実に学んでいらっしゃいます。それを、商家だからと卑しめるような真似……わたくしが許しません!」
静寂。
グウェンドリン様が、意外な乱入者に眉を上げた。
「まあ、ソーン様。ごきげんよう。わたくし、何か失礼を申しましたかしら?商家の方は算術がお得意だと、褒めて差し上げたのですけれど」
「それは、褒めていらっしゃいません!わたくしは家格の低い家の生まれですから……そういう言い方をされることの棘を、よく知っております。アルベルタ様は、そんな風に言われていい方ではありませんわ!」
リリー様は一歩前に出た。俺との間に割り込むように。
(......ああ。この人は、本気で怒っているのか。自分より格上の相手に、俺のために)
そして、その静けさの中で、グウェンドリン様の目が細くなった。
「まあ。......ソーン様。ずいぶんと、勇ましくおなりですのね」
その声には、明確な冷たさがある。
(――まずい)
俺は瞬時に計算した。
リリー様は男爵令嬢だ。この学院の最底辺。対するハーヴィル家は有力な伯爵家。
その絶望的な家格差を無視して、彼女は俺のために盾になろうとしている。
俺の脳内にある損得計算機が、警報を鳴らした。
この状況を3分以内に収拾しなければならない。しかも、リリー様の勇気を無下にせず、かつハーヴィル家を怒らせない方法で。
「ハーヴィル様」
俺は声のトーンを保ったまま、しかし商談の時の鋭さを込めて帳簿を閉じ、一歩前に出た。
「……何かしら、バーティ?」
「ご領地の羊毛の件で、少しお耳に入れたいことがございますの。……ハーヴィル領の羊毛は、長毛種で繊維が強く、冬物の外套には最適。王国北部の誇りですわね。ですが今年、王都の織物製造者は、南方産の短毛種に一斉に切り替えました」
グウェンドリン様の顔から、余裕が消えた。
「……それが、何だと言うの?」
「理由を知りたければ、この帳簿をご覧ください。去年から流行している薄手の肩掛けには、長毛は硬すぎるのです。先月時点で、北部産の在庫が王都の倉庫に1200袋滞留しています。相場は……銀貨2枚で一袋から、銀貨1枚で20袋までに暴落しましたわ。……ハーヴィル領、まだ売り抜けていらっしゃいませんね?」
「なっ……!どうしてそんなことを……!」
「商家ですので」
俺は事務的に淡々と告げた。
グウェンドリン様の顔は、もはや土気色を通り越して真っ白だ。名門伯爵家とはいえ、主要産業の羊毛がこれほど滞留しているとなれば、財政破綻の危機すらあり得る。
「――ここからは、商談ですわ」
俺は声を一段低くした。
「今、売ってはいけません。銀貨1枚20袋で叩き売れば、目先の現金は手に入りますが、2年後に長毛の相場は必ず戻ります。流行の周期は、だいたいそんなものですわ。……もし保管費用が重荷でしたら、グレイ商会の倉庫を融通いたします。手数料は取りますが、王都の倉庫の半額以下でございます」
沈黙。
グウェンドリン様は、口を半分開けたまま、俺を見上げていた。
俺が提示したのは、嫌みへの反論ではない。救済のプランだった。
「……グレイ様。あなた……なぜ、わたくしにそんな助けを?」
「嫌みと商売は別の話です。それにハーヴィル領の羊毛が潰れれば、北部の市場が冷え込みます。それはグレイ商会にとっても、王国経済にとっても損です。わたくし、損が嫌いなだけですの」
俺は優雅に扇子で口元を隠し、『薔薇のしずく』に書かれていた、慈悲深き賢者の微笑を浮かべた。
「……父に、話してみますわ。……ごきげんよう、グレイ様。……それと、ソーン様も」
グウェンドリン様は、取り巻きを連れて逃げるように去っていった。
その背中には、もはや敵意の欠片も残っていなかった。
三分。
想定通りのタイムで場を収め、俺は大きく息を吐いた。
「ふう。……さて、リリー様、助かりました。あなたのおかげで、商談の糸口が掴めましたわ」
俺が礼を言おうと振り返ると、そこには、両手で顔を覆って泣いているリリー様の姿があった。
「リ、リリー様!?なぜ泣いていらっしゃるのですか!」
「……うっ……ぐすっ……申し訳、ありません……!わたくし、何も、できませんでしたわ……!」
「え?」
「わたくし、バーティ様をお守りしようと思って……。でも、言葉が出なくなって……。結局、バーティ様がご自分で、相手の心すら救ってしまわれて……っ!」
リリー様は涙を零しながら、俺を見上げた。その瞳には、かつてないほどの狂信的な敬愛が宿っていた。
「あんなに酷いことを言われて……。それでも耐えて、最後には相手の家の心配までなさるなんて。バーティ様、どれほどお辛かったことでしょう。ご自分の心を殺して、笑って、相手を許して差し上げるなんて……!」
(いや、全く辛くないです。羊毛の在庫を1200袋も管理できる権利が手に入りそうで、むしろウハウハなんですが)
「わたくし、決めましたわ!もっと強くなります!バーティ様の代わりに、誰にでも噛みつける狂犬……いいえ、盾になりますわ!」
リリー様は俺の胸に飛び込んできた。
その細い腕で、俺の鍛え抜かれた大胸筋(※ドレスの詰め物だと思われている)をぎゅっと抱きしめる。
「バーティ様ぁ……!一生、一生お守りしますわぁ!」
(……リリー様。当たってます。色々と、男としての物理的部位が当たってますから!!)
その日の夕方には、話は学院中に広まっていた。
『アルベルタ様が、侮辱された屈辱を飲み込み、敵対する家柄を救うための奇跡の提言をなさった』
『彼女は、金貨の損得を超えた、真の慈愛の持ち主である』
その後、シャーロット様が「なぜわたくしを呼ばなかったの!」と憤慨し、エレノア様が「ハーヴィル家に、ヴァンス公爵家の特使を送っておくわ。バーティへの非礼を謝罪させるためにね」と本気で残念がり、イザベラ様が「聖女の沈黙、商人の仮面。いいタイトルだわ」と筆を走らせていた。
バレろよ。
なんで誰も気づかないんだ。
俺はあの時、耐えてなんかない。リリー様が目をつけられないように、話を強引に金へ切り替えて、ついでに倉庫の契約を一件取っただけだ。
慈悲でも許しでもない。ただの合理的な損得勘定だと言っているだろう!
俺は聖人じゃない。ただの、計算が速い商人なんだ。
誰か一人くらい、俺の善行が全部ビジネスだってことに気づいてくれ。
その夜、俺は実家の母への手紙に、こう書き記した。
『母上。本日、伯爵家の羊毛在庫を1200袋、グレイ商会で預かる契約を取りました。ソルトポートの三番倉庫を空けておいてください。なお学院では、俺は慈悲深い聖女ということになっています。もう、訂正する気力もありません』
翌朝、学院の掲示板には、リリー・ソーン様による「バーティ様を守る騎士団(仮)」の団員募集の紙が貼られていた。
俺の心の中のアルバートは、今日も声にならない絶叫を上げている。
ガールズラブのタグをつけるべきか、めちゃくちゃ迷ってる自分がいるんですよね
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