第9話:銀貨1枚の紅茶
コルセットとの闘いは続きます
セント・アグネス王立女学院に激震が走った、『アグネスの四輪花』結成から数日。
俺――アルベルタことアルバート・グレイを取り巻く環境は、もはや異常という言葉すら生ぬるい領域に突入していた。
廊下を歩けば令嬢たちが一斉に道を空け、深々と頭を下げる。
教室に入れば、俺の机には毎朝、どこかの名家から贈られたであろう季節の花束と、匿名だが香水でバレバレのラブレターが山積みになっている。
もはや俺は、一介の編入生ではない。公爵令嬢エレノア様と対等に語らい、伯爵令嬢シャーロット様を算術で叩き伏せ、男爵令嬢リリー様から守られ、侯爵令嬢イザベラ様の物語のミューズとなった、学院の「生ける伝説」なのだ。
(……やめてくれ。頼むから石ころのように扱ってくれ。目立てば目立つほど、着替えの時の監視が厳しくなるんだよ。昨日の夜なんて、リリー様が『アルベルタ様、背中の紐をお解きしますわ』って部屋に押し入ってこようとしたんだぞ。商談の修羅場より心臓に悪いわ!)
俺は、裏声を維持しすぎて喉に貼ったハーブの湿布を意識しながら、今日も今日とて開催される『四輪花』のお茶会へと足を運んでいた。
今回のお茶会は中央広場ではなく、より格の高い『貴婦人の間』で行われた。
そこには見慣れない一人の令嬢が、得意げな顔で立っていた。
「皆様、ごきげんよう。今日は、我が家が独占輸入に成功した、至高の茶葉をお持ちしましたの」
彼女は中堅貴族の令嬢で、実家が貿易商とも繋がりの深いバートン子爵家の娘だった。
バートン令嬢は、取り巻きたちに恭しく持たせた小さな木箱を開けて見せる。
「これこそが、東方諸国で『金剛の雫』と呼ばれる伝説の茶葉。なんと、銀貨1枚で、たった一杯分しか淹れられないほど希少なものですのよ」
銀貨1枚。
銅貨100枚に相当するその金額は、庶民の一家族が数日間、贅沢をして暮らせる額だ。それが、たった一杯の紅茶に消える。
周囲の令嬢たちから「まあ……!」「なんて贅沢なのかしら」という感嘆の吐息が漏れる。
だが、その香りが漂ってきた瞬間。
俺の脳内にある商人の経験が、猛烈な警戒をうながした。
(――待て。この香り、どこかで嗅いだことがあるな。……いや、毎日嗅いでいる。ソルトポートの港の第四倉庫。そこにある、一番売れ残っている『錆びた茶葉』だ!)
錆びた茶葉。
香りが強く色も濃いが、渋みが強すぎて高級志向の貴族には見向きもされない、安物中の安物だ。グレイ商会では、労働者たちが仕事の合間にガブガブ飲むために、銅貨20枚で一袋(約50杯分)売っている代物である。
バートン令嬢は、エレノア様の前に最高級の磁器を置き、その安物を優雅に注いだ。
「さあ、エレノア様。アルベルタ様も。この銀貨1枚の輝きを、心ゆくまでご堪能くださいませ」
エレノア様が、そっとカップを口に運ぼうとする。
俺の心臓が、怒りで早鐘を打った。
(銀貨1枚だと……?銅貨20枚の品を水で薄めて、一杯につき銀貨一枚で売っているのか!?利益率に換算すれば……2万パーセント以上!これは商売じゃない。詐欺だ。略奪だ。商人としての美学に対する、最も下劣な冒涜だ!!)
俺は、自分の手が微かに震えるのを感じた。
『薔薇のしずく』のヒロインは、不正を見過ごさない。……いや、そんな芝居はどうでもいい。ただ商人の息子として、この暴挙を許せなかった。
「お待ちなさい」
俺の低く、静かな声が、部屋の空気をピシャリと叩いた。
エレノア様の手が止まる。バートン令嬢が、怪訝そうに眉を寄せた。
「あら、アルベルタ様。何かお気に召さないことでも?」
「バートン様。失礼ですが、そのお茶。……銀貨1枚ではなく、銅貨20枚の間違いではありませんか?」
一瞬、部屋が静まり返った。
バートン令嬢の顔から、さーっと血の気が引いていく。
「な、何を……!これは東方の……!」
「東方のどこですか?サジャール地方の、雨季の終わりに摘まれた下級品でしょう?表面の産毛のようなものは、高級品の証ではなく、ただの乾燥不足によるカビの一歩手前です。それを高温の蒸気で無理やり香りを引き出しただけの、文字通りの『安物』だ」
俺は立ち上がり、バートン令嬢が持っている茶葉の箱を、指先で弾いた。
「これを銀貨1枚で提供するというのは、もはや厚顔無恥を通り越して喜劇です。グレイ商会であれば、これを客に出した使用人はその日のうちにクビにする。……エレノア様、これを飲んではいけません。あなたの高貴な舌が、不当な利潤の味で汚れてしまいますわ」
「…………っ!」
バートン令嬢は、あまりの気迫に一歩後ずさった。
周囲の令嬢たちは、俺のあまりに詳細で冷徹な鑑定眼に、ただただ圧倒されている。
だが、そこでバートン令嬢の取り巻きの一人が、必死に反論を試みた。
「でも、お高いのですわよ!?高いということは、それだけ価値があるということですわ!アルベルタ様のような商家の方が仰るより、このお値段こそが……!」
「――だから、世間知らずと言われるのです」
俺は、相手を威圧する時の、商談の目つきで彼女たちを射抜いた。
「価値とは、価格によって決まるものではない。その物が持つ実利と、市場の合意によって決まるもの。……『お高いから価値があるのですわ』?愚かな。それは、自分の目と舌で価値を判断できない無能の告白に過ぎませんわ!」
静寂。
やってしまった。
また、素の商人が出てしまった。
潜入者として、もっと淑やかに「わたくしには少し香りが強すぎますわ」とでも言えばよかったのに。
(ああ、終わった……。これで『不遜な編入生』として嫌われる。でもそうすれば、注目も減って、俺は自由になれる……!)
俺が目を閉じた、その時。
「素晴らしいわ」
エレノア様の、震えるような感嘆の声が聞こえた。
俺が目を開けると、そこには感動で瞳を潤ませ、頬を赤らめたエレノア様が、俺を拝むように見つめていた。
「アルベルタ……。あなた、またしてもわたくしたちに大切なことを教えてくれたのね。……そうよ、わたくしたちは、お値段という『数字の虚飾』に惑わされていた。自分の感覚を信じず、他人が付けたものに踊らされていたのだわ!」
「えっ、いや、あの、エレノア様?」
「アルベルタ様!なんて高潔な精神……! 金持ちに媚びるのではなく、安物の茶葉の中に潜む『真実』を見抜く。そして友人が騙されるのを、身分を厭わず命懸けで(?)止めてくださるなんて……!」
シャーロット様が、鉄扇をバチンと閉じて、俺に向かって深々と一礼した。
「わたくし、恥ずかしいわ!数字に踊らされていた自分を恥じるわ!さすが、わたくしの宿敵よ!」
「アルベルタ様……っ!あなたは、わたくしたちのような不器用な者が、商人の毒牙にかからないよう、あえて泥を被ってくださったのね……!おいたわしい、なんて自己犠牲の精神……!」
リリー様が俺に抱きつき、その細い腕で俺のたくましい(男の)腰をぎゅっと抱きしめる。
「……書ける。今、最高のページが書けるわ」
イザベラ様は、もはや周囲の状況など目に入らない様子で、猛然とペンを走らせていた。
そして、それまで俺に敵意を向けていたバートン令嬢までもが、ポロポロと涙を流し始めた。
「……わたくし、……わたくし、間違っていましたわ!実家から『これは高いものだから、これを機に上の連中と仲良くしてこい』と言われて……。でも、アルベルタ様に指摘されて気づきましたわ。わたくし、そんな不誠実な物で、皆様との絆を作ろうとしていたなんて……!」
「バートン様……。これからは、二人で一緒に、原価という名の真実を学びましょう?」
エレノア様がバートン令嬢の手を取り、優しく微笑む。
(…………あれ?)
そして、この出来事は一瞬にして学院中に広まった。
『アルベルタ様が、銀貨1枚の虚飾を打ち破った』
『彼女こそ、金貨の山の上で、ただ1枚の銅貨の価値を説く、真の賢者である』
次の日から。
俺の周囲には、これまで以上に多くの令嬢が集まるようになった。
「アルベルタ様、この菓子の原価を教えていただけますか?」
「このレースの適正価格は……?」
俺は、彼女たちの熱烈な質問攻めに遭いながら、絶望と共に天を仰いだ。
(バレろよ……。頼むから、俺がただのケチな商人の息子だってことに気づいてくれ……! なんで銅貨20枚の安茶を解説しただけで、聖女扱いされるんだよ!!)
そして俺の知らないところで、グレイ商会にはなぜか例の『錆びた茶葉』への注文が殺到していた。
『アルベルタ様が認めた、真実の味』という謎のキャッチコピーと共に。
(いや、なんで?)
俺の心の中のアルバートは、今日も涙を流しながら「ごきげんよう」と呟くのだった。
コスパが全てとは言わない
でもちゃんと価値があるものに払いたいよねって
「面白かった!」
「続きが気になる、読みたい!」
「今後どうなるの!!」
と思ったら
↓
下にある☆☆☆☆☆から、作品への応援をお願いいたします!
面白かったら☆5つ、つまらなかったら☆1つ、正直に感じた気持ちでもちろん大丈夫です!
ブックマークもいただけると本当にうれしいです!
なにとぞよろしくお願いいたします!




