第1話 後編②
ナキは震える指先で眼前に浮かぶカードを掴む。
ひっくり返すと、そこには淫魔のイラストが描かれていた。
「くっ……」
「これで九十九回目の敗北ですね。残ったスキルをもらいましょうか」
リリーの言葉に合わせて、ナキの全身から光の粒子が放出された。
脱力感に襲われたナキは小さく呻く。
その姿にリリーは微笑を深めた。
「うふふ、ナキ様は運が悪いようですね」
「だがカードは残り1枚だ」
ナキが浮遊するカードを指差した。
闘志の宿った目は、己の逆境を覆す気概に満ちていた。
その視線を真っ向から受けつつ、リリーはあえてナキに尋ねる。
「カードを引きますか。それとも降りますか」
「引く」
即答したナキがカードを手に取ってテーブルに叩き付ける。
描かれたイラストは、これまでと同じく淫魔であった。
ナキは予想外の結果に目を見開く。
「ッ!?」
「残念、また負けちゃいましたね。経験値をいただきます」
リリーが当然のように宣告し、ナキから粒子が溢れ出す。
堪らずナキは片膝をついた。
彼は血色の悪くなった顔でリリーを睨む。
「ふざけるな……人間のカードがない。初めから俺を勝たせる気などなかったか」
「何を言っているのです。最初からあるじゃないですか」
リリーは悠々とテーブルの中央を指差す。
そこにはルール説明で使われた人間とサキュバスのカードが表向きに置かれていた。
「私は人間のカードを選べば勝ちと言いました。裏向きのカードに人間のカードが隠されているとは言っていませんし、そこから引くようにも説明もしていません。あなたがルールを履き違えて自滅したのです」
「……無効だ。勝負をやり直せ」
「いいえ、有効です。これはイカサマを見破れなかったあなたの責任ですので。わざわざ教えてあげたのは情けです。人類最強の勇者も、博徒としては三流未満ですね」
極大の蔑みと愛情を込めて、リリーは評価を述べる。
彼女は蕩けそうな狂気的な笑みを浮かべていた。
衰弱したナキは悔しげに歯噛みし、それからテーブル上の人間のカードを引く。
リリーはわざとらしく拍手をしてみせた。
「おめでとうございます、ナキ様の勝利です。ではあなたの望み通り戦いましょう……もっとも、既に戦える状態ではないようですが」
支配人リリーの前にいるのは、瀕死のナキだった。
百回分の敗北により、神器とスキルを奪われた挙句、カンストしたレベルも初期化されていた。
しかし、ナキの行動は早かった。
絶望する間もなく拳を握り、すぐさまリリーへと殴りかかった。
拳を叩き込む寸前、リリーが妖艶にウインクをする。
たったそれだけの動作で、振りかぶられたナキの右腕が切り飛ばされた。
ナキはもう一方の腕で殴りかかるも、同じように切断される。
さらに蹴りかかったところで両足を切断された。
床に倒れたナキは、肩や顎を使って無理やり這い進む。
リリーは口元に手を当てて感心する。
「凄まじい執念ですね。ですがあなたは敗北した。現実を認めなさい」
「待……て……」
リリーが屈み、ナキの額に触れる。
刹那、彼の意識が闇に沈んだ。
◆
次に目覚めた時、ナキは四肢を欠損した状態のまま、魅惑の迷宮のメインフロアに展示されていた。
サキュバスに精力を吸われた肉体は痩せ細り、自力で動くこともできない。
そのような姿でカジノの客から嘲笑されていた。
「人類最強の勇者がこのザマか」
「見ろ、とんでもない金額だ」
「支配人にすべて奪われたのだろう? わざわざ買い取る価値もあるまい」
「このまま死ぬまで晒しものにされる運命だろう」
好き勝手に言い合う人だかりが唐突に割れていく。
そこを闊歩してくるのは賭博師のライアンだ。
ライアンを見た一部の客は動揺する。
「ライアン!?」
「誰だそいつ」
「お前新入りか? 無一文から成り上がった伝説の博徒だ!」
「誰もが一発逆転を夢見る魅惑の迷宮で勝って負けてを繰り返し、純粋にギャンブルを楽しむ狂人さ」
「しかしなぜライアンがここに……?」
人々の声を無視して、ライアンは近くにいた従業員を呼び止めた。
そして彼はナキを指差す。
「こいつを買い取る。すぐに手配してくれ」
「え!? か、かなりの高額になりますが……」
「構わんよ。ほら、一括払いだ」
ナキが懐から取り出したのは、いくつもの宝石が入った革袋だった。
床にばら撒かれた中身を目にした従業員は絶句する。
「こ、これは……」
「妖精族の魔晶石だ。千年モノの最高純度ばかりだ。釣りはいらねえよ。代わりに運搬用の台車をくれ」
従業員と客達は顔面蒼白で息を呑むしかなかった。
◆
その日の深夜。
荒野を進む台車の振動でナキは目覚めた。
台車に縄をくくり付けて引っ張るのはライアンだった。
汗だくのライアンは足を止めて振り返る。
「よう、起きたか」
「ライアン……」
「ずいぶんと派手に負けたそうだな。どいつもこいつもお前を馬鹿にしてたぜ」
ライアンは汗を拭ってから再び歩き出す。
ナキは首を僅かに動かして述べた。
「稚拙なイカサマに完敗し、スキルもレベルも神器もすべて失った。支配人は実力の欠片も出していなかっただろう」
「リリーはディーラーとしてもギャンブラーとしても凄腕だ。お前程度なら手抜きしても勝てると判断したわけだ」
「…………」
痛烈な指摘にナキは黙り込む。
ライアンは気にせず質問を投げた。
「これからどうする? 俺の資産があれば、一生安泰で暮らせるぞ。魔術式の義手とか義足も用意してやれるが」
「サキュバスの魔王を倒す」
「正気か? そこまでボロボロにされてやり返すつもりかよ」
呆れるライアンをよそに、ナキは静かな興奮を覚えていた。
彼はかつてない心境を、噛み締めるように言葉にする。
「己の人生が粉砕されるほどの敗北……そして決して忘れることのできない屈辱感……どれも良い経験になった。無敗の勇者だった頃よりも確実に強くなれる。だからこそ、再び挑んでみたい」
幼馴染みの願望を聞いたライアンはため息を吐く。
ナキはダメ押しとばかりに懇願した。
「頼む。協力してくれ」
「……わかったよ。その代わり、お前を買い取った分の金は返済してくれよ。約束だからなっ!」
「善処する」
頷くナキの目は夜空に負けないほど輝いていた。




