第84話・帝国の宝物庫
帝城の廊下を、ウィルトス、ハガネ、アギトの三名が歩いていた。
磨き抜かれた石床は足音をよく響かせる。壁面の彫刻はどれも勝利と征服を誇るものばかり。だが、その誇りの裏にある死者の数を、この城に住まう王侯貴族なら誰もが知っている。帝都ヴァリエントは水に抱かれて生きている――だが帝城は、血と鉄に抱かれて生きているのだと。
ウィルトスは歩きながら語った。軽い声で。
だが内容は、帝国の血の歴史そのものだった。
「宝物庫と聞くと皆が皆、黄金の山を想像する。宝石、秘酒、古代の金貨……だがな。余の帝国が集めたのは、輝かしいものばかりではない。むしろ、輝きたくても輝けぬものの方が多い」
語る帝王の背後にハガネがいる。
老剣士は相変わらず黙したまま。歩みも呼吸も無駄がない。
戦場で鉄剣を振っていた時と同じく、己の中心を一寸も外さない。
そしてアギトは、廊下の左右を見回しながら「へぇ」と楽しげに眼を輝かせていた。帝城の絢爛に心を奪われるのではない。彼女は、人の尺度とは違う者に興味を持つ。それが新しい技術なのか、古い遺物なのかは解らない。
ただ一つ言えることは、蛇の分身という不気味な正体を忘れさせるほど、その顔は無邪気だと言うことだけ。
「東部は戦いの大地だった。余が物心ついた頃から、国は割れ、旗が立ち、城が燃え、また違う場所で城が立つ。父も祖父も、前線で生きて前線で死んだ。……その戦の最中、色々なものが集まったのだ」
ウィルトスの言葉に、帝城の壁画が奇妙に重なる。英雄が槍を掲げる絵の下に、名もなき兵が積み重なった記憶。勝利の記録の隅に、戦利品の目録。誰の首が落ちたかより、誰の剣が奪われたかの方が丁寧に書かれていることもある。
「優れた鍛冶師が鍛えた武器もあれば、他国から奪った品もある。交易で手に入れたものも、降伏の証として差し出されたものも、贈り物として来たものも……誰かが「捨てた」ものもな。宝物庫は、帝国の栄光の貯蔵庫ではなく、帝国の因縁の墓場だ」
墓場――その言葉を、ハガネは少しも笑わなかった。
アギトは逆に、楽しそうに口角を上げる。
「墓場かぁ……亡霊なんかも出ちゃったり?」
「噂話の類でなら、な。夜な夜な帝城の奥で、呻き声やすすり泣きが聞こえる怪談話が」
「おおー。中々面白そうだねぇ」
「怯えさせる話の語りで笑うでない」
ウィルトスは言いながらも、口元を緩めていた。星髪の少女にとっては、帝国の怪談も楽しげな噂話でしかない。改めて、尺度が違うのだと実感する。
ウィルトスがハガネに見せようとしている刀は、その怪談の類だ。
最初に見たのは、帝国がまだここまで発展していなかったころ。祖父や父が戦死する前。まだウィルトスが帝王ではなく、帝王の息子だった頃からそこにあった。
誰が作ったのか。どうやって作ったのか。なぜここにあるのか。記録が残っていないのか、意図的に消されたのか。帝国が未熟だった時代に拾い上げた「何か」。あるいは、他国が恐れて封じていた「厄介ごと」を、勝者が誇りとして持ち帰ってしまっただけなのか。
やがて通路は狭まり衛兵の数が増え、空気が乾き始めた。石壁の隙間に刻まれた魔術紋が淡く光る。護りの術式。侵入者を弾く術式。警告の術式。ここから先は、宝というより「危険」を守る領域。
扉が見えた。
二重三重の鉄扉。金具の重みが見ただけで分かる。鍵穴は複数。さらに鍵穴の周囲に、魔法陣が織り込まれている。物理的な頑丈さと、魔術的な絶対性――その両方で閉じる扉。
警備兵が立っていた。装飾の少ない鎧。必要な機能だけを残した実戦の装い。
顔は無表情。だが目は鋭い。ここを任される者は、身分ではなく胆力で選ばれる。
「陛下」
彼は短く礼をし、鍵束を取り出した。
鍵は三つ。
一つは警備兵が持つ鉄の鍵。これが最初の扉の錠を外す。
一つは帝王が持つ、王紋の刻まれた鍵。これが二つ目の錠を外す。
そして最後は、魔術による施錠だ。
警備兵が一つ目の鍵を回す。金属が擦れる鈍い音。錠が外れた瞬間、扉の重みが微かに動く。
ウィルトスが二つ目の鍵を差し込む。カチリ、と内部で歯車が噛み合う音。
最後に、魔術。
警備兵が詠唱を始めた。短い。だが、言葉の順番が厳格であることが聞けば分かる。間違えれば痛みを伴う類の術式。
魔術紋が一斉に青白く光った。
扉が、ゆっくりと開く。
――冷たい空気が流れ出す。
外より低い温度。湿り気の少ない、骨に染みる冷え。防腐のためか、魔力の抑制のためか、あるいは単に「ここにあるもの」の気配がそうさせるのか。
いずれにせよ、人の肌が本能的に拒む冷たさ。
宝物庫の奥。
そこには確かに、武具や鉱石の輝きがあった。武具は整然と並べられ、鉱石は透明な容器に封じられ、書類棚には目録が幾重にも積まれている。
アギトが、真っ先に目を輝かせた。
「おお、これすごい……オリハルコンじゃん! へぇー、まだ現存してたんだ!」
視線の先には虹色に煌めくインゴット。透明な容器の中で、光を屈折させて七色に揺れる。伝説にしか記されない金属オリハルコン。
採掘場所不明。加工法不明。精製方法不明。
炉に入れても溶けず、金槌で叩いても槌と金床が砕ける。武器にできない。鎧にもできない。使えないのに価値だけがある。だから宝物庫に眠らせるしかない代物。
だがウィルトスは、アギトの言葉の一部に引っかかった。
「……まだ? アギトよ、お主オリハルコンを以前見た事があると?」
「そりゃあるよ。こう見えても長く生きてるからねー……これ、今は海の底に沈んでる国が精製してたんだよ。その時の残り物じゃないかなー」
「海の底!? 伝説に聞く古代文明の国か!? むほー! そりゃすごい! 滅茶苦茶気になるわい! 詳しく聞かせてくれ!」
帝王の目が少年のように輝き、身体が少し前のめりになる。戦を好む帝王は未知の話にも弱い。進撃帝という二つ名がつけられてしまった理由は、こういうところにもあったりする。
「いいよー。えっとねぇ、昔々――」
「おい。脱線するでない。目的が違うだろうが」
ハガネが即座に切った。ジト目。
剣士の目は、余計な枝葉を斬り落とす。
「おお、そうだったそうだった。すまぬすまぬ」
ウィルトスは悪びれず笑い、歩みを進める。
目的の場所へ。宝物庫の奥の奥。金属の匂いが薄くなり、代わりに「気配」が濃くなる場所。
そこにあったのは、一振りの刀。
黒い鞘。
黒い柄。
装飾が無い。紋章もない。宝飾もない。誰かの権威を誇る気配もない。
なのに異彩を放つ。
目に入った瞬間、身体の内側が一段冷えるような不気味さ。視線が勝手に引き寄せられる。まるで背景の光を吸い込んで、そこだけに陰を作っているような気配。
警備兵が目録を開き、淡々と読み上げた。
寡黙な声。感情を乗せない声。だが、読み上げられる内容そのものが感情を凍らせる。
紙がめくられる音だけが、やけに大きく響く。
――試験官一名。試し切り中、幻覚を訴え発狂。
――副官二名。搬送後、自殺。
――鍛冶師一名。刀身検分後、炉に身投げし死亡。
――前任警備兵一名。鞘に触れた後、嘔吐と痙攣。
――現在、宮廷魔導師五名の魔法により封印。
目録が閉じられる。
「以上です」
剣で斬った記録ではない。
――人を壊した記録だけがある。
ウィルトスは嘲るように笑った。笑いの奥に、ほんの少しの苛立ちが混じる。
「それ以来、刀はここで埃を被ってる。誰にも扱えない。持ち出すのも危うい。……国の宝どころか、国の呪いの類だな」
帝王にとって、武器は「使えること」が価値だ。使えぬ武器は、宝ではなく負債になる。まして、人を壊すだけで敵を斬らない武器など、帝国の理屈では役に立たない。役に立たないものは嫌う――それがウィルトスの本音。
だが同時に、帝王は面白いものも嫌いではない。
そして今、面白い可能性が目の前に立っている。
剣聖だ。
「だがハガネ――お前ならどうだ?」
ハガネは返事をしなかった。
ただ、歩み寄る。
一歩。二歩。三歩。足音は静か。空気が変わる。宝物庫の冷気が、彼の足元に向かって集まるように錯覚する。いや、実際に集まっているのかもしれない。剣聖の気配は場を変える。
アギトも、ウィルトスも、警備兵も、息を潜めた。
ハガネが鞘を掴む。
次の瞬間。
僅かに、眉を顰めた。
それは痛みか、違和感か、あるいは「声」でも聞いたのか。
前任の警備兵は鞘に触れただけで嘔吐し痙攣した。
ハガネは倒れない。だが、無反応ではない。彼が何かを感じたのが、眉の動きだけで分かる。
ハガネが静かに口を開く。
「帝王。『こいつ』の名は何だ」
「――夜叉」
ウィルトスは端的に、銘だけを告げた。由来も伝承も語らない。
語る必要はないのか。それとも知らないのか。
ハガネもそれ以上尋ねたりしない。
ただ名を告げられた次の瞬間――抜刀していた。
鞘鳴りが遅れて聴こえる。
音を置き去りにする抜刀。
視界に刃を見た次の瞬間に、耳が追いつく。刃が空気を裂く音が、遅れて胸に落ちる。剣聖の抜刀は、速いというよりも「先に発生している」。
刃は黒。
光を呑み込む黒。塗られた黒ではない。黒という概念そのもの。刃に光が映らない。映らないのではなく、映そうとした光が吸い込まれる――そんな錯覚を起こす。
宝物庫の灯りが、一瞬だけ沈む。
警備兵の喉が鳴る。彼は声を出さない。だが、背筋がわずかに硬くなる。
アギトが目を細めた。
彼女の眼は、人の眼よりも「刃の本質」を見ている。黒い刀身が何を喰うか。何を斬るか。
ウィルトスは笑いを飲み込んだ。
恐れたのではない。価値を測れない未知の前で、帝王としての直感が警鐘を鳴らしただけ。
ハガネは振り抜いた黒い刀身を見つめる。
その眼は静かだ。畏れも震えもない、揺るがぬ眼。
刀の内側を覗いているような眼。
そしてぽつりと呟いた。
「――喧しい小僧だ」
その一言で、周囲の冷気が薄れた気がした。
不気味さが、濃度を落とすような。
じゃじゃ馬が――首根っこを掴まれて、大人しくさせられたような。
空気が、呼吸を許す。
ウィルトスが、堪え切れずに笑った。
「うわっはっはっは! やはり貴様は剣聖よ! 始末に困るソレを、一瞬で手懐けるか!!」
帝王の笑い声が宝物庫を跳ね、石壁に反響して戻ってくる。
その反響が、さっきまでの不気味さを押し流す。
寡黙だった警備兵の目が、僅かに見開いた。目を見開くのは失態ではない。彼の職務人生において、初めて見る光景だったからだ。封印された危険物を、素手で扱い、抜き、しかも静める人間が存在するなど、あまりに想定外。
アギトは黒い刃を見つめ、低く呟く。
「……アタシの指くらいなら、斬り落としそうだね」
それは冗談の口調ではなかった。
しかし恐れでもない、純粋な評価。かつて神鉄の刀を素手で砕いた彼女の評価。
つまり、切れ味だけなら神鉄をも上回る――そういう確信に近い評価。
ハガネは刀を静かに鞘に納める。
鞘鳴りも静かだ。抜いた時の音の遅れと違い、音も動きも同じ速さで世界に落ちてくる。刀が荒れない。暴れない。従っている。
国ですら扱いに困り果てていた妖刀。
それが今、ただの鉄剣と同じように――いや、鉄剣以上に当たり前の道具として、ハガネの腰に収まった。
そのことが、何より恐ろしい。
国ですら扱いに困り果てた呪い。
人を壊すだけの厄介物。
宝物庫で封印され、記録だけが積み上がった負債。
それが今、剣聖の腰に下がった瞬間――道具になってしまった。
ウィルトスは満足そうに顎を撫でた。
帝王の目が戦場の目になる。楽しげで、危険で、決断が早い目。
「決まりだな。ハガネ、ソレはお前に預ける。宝物庫の奥より、お前の腰の方がよほど納まりがいい」
警備兵が一瞬だけ躊躇った。職務としては反論したい。だが、帝王の命令だ。反論はできない。そして――目の前の剣聖が、その刀を「静めている」現実を見た以上、反論は無意味だと理解する。
ハガネは短く頷いただけだった。
礼も言わない。拒みもしない。受け取るかどうかを感情で決める男ではない。必要と判断したら持つ。必要なければ捨てる。剣聖の合理は、帝王の合理に近いところがある。
帝国の宝物庫の奥で眠っていたものが、静かに目を覚ました。
黒い鞘の中に収められたまま――静かに確実に、火種を増やす。
ただの鉄剣と同じ顔で。
それが一番、世界の理屈を狂わせる兆しだったのかもしれない。
◇◇◇
ハガネが黒い刀を腰に差し、ウィルトスが腹の底から笑う。
その光景を、アギトは一歩引いた位置から眺めていた。眺めているだけなのに、宝物庫の空気が一段落ち着いていくのがわかる。さっきまでこの奥の部屋にまとわりついていた冷気は、ただの温度ではなかった。人の精神に指を伸ばす、湿った悪意みたいなもの。あれが今、黒い鞘の中に押し込められている。
いや、正確には押し込められたのではない。
首根っこを掴まれて、黙らされたのだ。
(……お爺ちゃん、ほんと人間やめてるなぁ)
内心でぼやきながら、アギトはハガネの腰をちらりと見る。色は黒。飾り気もなく、光を跳ね返さない黒。刀がそこにあるだけで、周囲の世界が少し暗く見える気すらする。
あれは神鉄とは違う方向性の鉱物。
アギトは、上位存在だけが知っている分類を思い出す。
(ダークメタル。精神を苛む方向に魔力が宿った、呪いの黒金)
神鉄は、ダンジョンの奥――濃厚な魔力が長い時間淀む場所で変質した、強靭な「鉄」の亜種だ。言ってみれば、鉄そのものの『レベル』を上げた代物。密度が上がり、粘りが増し、硬さも折れにくさも、元の鉄の比ではない。鍛冶師の腕があれば武具にできる。扱いは難しくても、扱えなくはない。
だがダークメタルは違う。
同じく濃い魔力に浸され、変質はする。けれど、変質の向きが『毒』に寄る。外へ強くなるのではなく、内へ刺さる。握った者の精神に噛みつき、別の法則を押しつける。
単純な強度なら神鉄以下。しかし、厄介さは神鉄以上。
夜叉は、その典型だった。
切れ味に特化した呪いの妖刀。切れるのは肉だけじゃない。身体の輪郭だけじゃない。人間が内側に作っている世界――自我、記憶、価値観、理屈と感情の仕切り。それらの境界を、刃の理で侵食する。
自我とは内側の秩序だ。己が己であるための境界線。思考の順序、価値の並び、世界の見え方。そこに、刃の法則が楔を打つ。
だから壊れる。
試験官が発狂したのは当然だ。鍛冶師が炉に身投げしたのも同じ。恐怖のあまり錯乱した。
自害した者は、むしろ強い。
狂気に侵される前に、己の手で終わらせた。
それは敗北ではない。最後の防衛であり、最期の抵抗。
自分の世界を、最後だけは自分で閉じた。
(普通は握ったら終わりだよ。魂を、刀の都合で切り刻まれる)
それを、平然と抜いて「喧しい小僧だ」と言い捨てるハガネの方が異常だった。
外から侵食される前に、ハガネの内側には既に「剣の理」が沈んでいる。
魂そのものが深奥に潜っているのだ。
刀を振るい続け、己を削り続け、余分なものを落とし続けた末に、最後に残ったもの。それが彼の自我。
ある意味、もう完成している。ある意味、既に狂っている。
だから侵されない。
(……まあ、そりゃそうか。剣しか見てない人に、刀が何か囁いたところで、届かないよね)
あれこそが人の極致。神の領域一歩手前。
レベル七十という、人間の臨界。
とんでもない老人が居たものだと心底感心する。
そしてだからこそ――森の南にいる、『あの隠者』の異常性が際立った。
(そう。お爺ちゃんが「限界点」。これ以上は絶対に望めない。才能の有無じゃなくて、時間が足りない。どう足掻いても、人間の最終到達点はお爺ちゃんの位階)
ハガネの境地ですら、奇跡的な部類。
ならば、八年前にこの世界にやってきた、世渡有羽という異邦人は何なのか。
辿り着ける筈のない場所に、あの男は立っている。
そして森の南部で生活している。そして今現在、南部の番人になっている。
(八年前――)
アギトは小さく息を吐き、宝物庫の中を見渡した。
ここは戦利品の墓場だ。欲望と恐怖の箱庭だ。帝国が積み上げたもの、手に入れたものが、無造作に眠っている。
虹色のオリハルコン。
封印箱の列。
壁際に置かれた、古い楽器。弦が張られていないのに、耳の奥が微かに鳴る気がする。あれは音を鳴らすための楽器じゃない。使い方を誤れば天候すら狂わせる古代の道具。
逆に、正しく使えば街ひとつを守れる結界具もある。けれど、これも方向性を変えれば、街を閉じ込める用途になる。どれもこれも、栄光と破滅が隣り合っている品。
(危ないの、けっこうあるじゃん。宝物庫っていうか、火薬庫だよねここ)
しかし、アギトは何も言わない。
教える気がない。
助言するためにここにいるわけではない。帝国を導くためにここにいるわけでもない。彼女は外界を「見物」しに来ただけだ。面白いものを見て、面白い人間を眺めて、気が済んだら帰る。それだけの情動で、帝王に着いてきた。
だから眺める。考える。沈める。
その中で――どうしても気になるものがある。
夜叉ではない。宝物庫の異物でもない。
銃。
あれだけが、違う。
(変なんだよね。体系が違う。匂いが違うっていうか……)
夜叉は、この世界の愚かな鍛冶師が作った――と、まだ言える。馬鹿な方向に天才が振れただけ。世界の内側で完結しているし、アギトも納得できる。
しかし銃は、世界の外側の臭いがする。
この世界で『火薬で鉛玉を飛ばす』という発想が違和感を抱かせた。
(魔法があるのに? 魔力があるのに? なんでそんな発想に行く?)
魔法で似たようなことはできる。火球も雷撃も、貫通も爆破も、術式次第で再現できる。なら、わざわざ火薬などという不安定なものを扱う必要はない。しかも手軽さまで兼ね備えるのは、魔法体系の社会では生まれにくい。
大砲はまだ分かる。あれは攻城兵器の発展系。
投石器があり、城壁があり、攻城戦がある。
ならば飛距離と威力を求めて大砲に至る。戦術の延長線として見れる。
けれど銃は違う。小さすぎる。手軽すぎる。威力が釣り合っていない。魔力を使わないのに、魔力を使った攻撃に並ぶ結果を出す。
しかも誰でもだ。
魔法は才能を選ぶ。修練を要求する。血統を要求することすらある。
銃にはそれが無い。
まるで――魔法が無い世界の最適解のような。
アギトの目が、ほんの僅かに細くなる。
彼女はウィルトスの背中に、軽い調子で声をかけた。
「ねぇおじさん。ちょっと聞きたいんだけど」
ウィルトスが振り向く。帝王の顔は上機嫌だ。
夜叉を「扱える場所」に置けたのが楽しいのだろうか。
「ん? 何だアギト? 宝物庫に欲しいものでもあるのか? ひとつふたつなら――」
「違う違う、そうじゃなくってさぁ」
アギトは宝物庫の棚を指でなぞるように視線を滑らせる。
やはり、無い。
「銃は……この中に無いの?」
ウィルトスがきょとんとした顔をする。問いが想定外だったのだろう。宝物庫に武具が山ほどあるのに、その中で銃を探す理由が帝王には浮かばない。
「ある訳なかろう。銃は我が帝国が近年開発した新兵器だ。ここにあるのは古い歴史よ。銃が宝物庫に収められる時代は……何十年、いや何百年後の話になることか」
言いながら、ウィルトスは歩き出す。宝物庫の外へ。扉の封印を閉じ、冷たい空気を再び奥へ押し戻す準備。
アギトは、変わらぬ軽い口調で追い打ちをかける。
「近年開発したって――それ、いつ?」
ウィルトスは何も疑わず答えた。
「実用化されたのは三年前。作り始めたのは……八年ほど前だ」
八年ほど前。
その言葉が、アギトの内側で鈍い音を立てた。
ウィルトスは続ける。攻め取った領土の書庫から発見した設計図。読み取れぬ部分も多かったが、帝国の技術者と魔導師が知恵を絞り、ようやく形にした。帝王は一目で分かったのだ、と。これはすごい、と。力無き者に力を持たせられる、と。
ウィルトスの声は興奮を含む。帝王らしい大仰な語り。
だがアギトは、静かに聞くだけだった。
(八年前……南の隠者が来た頃とほとんど同じ)
思考が沈んでいく。底へ、さらに深く。
四年前の時点で、南の隠者は既に超常の領域に立っていた。
そんな隠者が来たのが八年前。銃の設計図が発見されたのも八年前。
(……なるほど)
アギトは思考する。そして計算する。
世界天蛇の分身。世界の境界を噛む者の、伸びたる手。
推測する。可能性を弾き出す。結論を導き出す。
それは彼女だから至れた答え。
この世界に――世渡有羽がやってきた道筋。
(……ま、ご愁傷様ってやつだね)
言葉にしない。
言葉にする理由がない。
アギトは外界を楽しみに来ただけだ。助言を与えるためにここにいるわけではない。帝国を導くつもりも、王国を救うつもりもない。世界が揺れようが、国が燃えようが、彼女は「本体」ではない。分身だ。遊びに来ているだけの指先だ。
極端な話――どうでもいいのだ。
だから、沈める。
浮かんだ答えを、思考の奥へ。
扉が閉まり、封印の紋が淡く光って消える。宝物庫の冷気が奥へ押し戻され、帝城の回廊の空気が戻ってくる。磨かれた石床の冷たさ。遠くで鳴る衛兵の靴音。
ウィルトスが明るく言った。
「さあ、戻るぞ! 討伐の祝宴だ! 今日は呑むぞ、ハガネ! そしてアギトよ!」
「馬鹿のように呑むつもりはないぞ」
「わーい! 行く行くー♪」
ハガネが冷静に返し、アギトはいつもの調子で笑う。
星髪の笑顔の奥に、眠っているものには誰も気づかない。気づかせるつもりもない。
――アギトだけが気づいた『世渡有羽が異世界に転移した道筋』。
それは語られない。
語られぬまま、帝城の回廊を歩く三人の背中に影のようについていき、やがて宴の笑い声に紛れて、静かに消えていくのだった。




