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異世界転移したけど森の奥で引きこもってます。スカウト? いやぁ、森から出る気はないので遠慮します  作者: 初音の歌
第三章

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第56話・夕飯は天ぷら①


 空気はまったりしていた。

 遊び終えた後の、汗をかいていないのに達成感だけが残る、あの不思議な倦怠。

 有羽は椅子の背にもたれ、アウローラは両手を上に伸ばして「ふぁぁ」と声にならない声を漏らし、レジーナは髪を耳にかけながら微笑んで、ラディウスは「畑の偉大さ」を噛みしめる顔をしている。


 ――細かい事はさておいて。

 間違いなく、楽しい遊戯だった。


 だからこそ。

 窓の外が、妙に赤いことに気づくのが遅れた。

 夕焼けの光に照らされていることを、ようやく実感した。

 何気なく伸びをして、ふと外を見る。森の影が長い。枝の隙間から差す光が、暖色というより赤い。


「………ん、んんんんんんん!?」


 椅子が、ぎぎ、と鳴った。

 有羽が勢いよく立ち上がり、窓辺へ歩いて外を二度見する。三度見する。確認して、現実に叩きのめされる。


(夕方……? 嘘だろ……)


 色々と思惑があって、この遊戯を出したのは事実だ。

 メトゥスの誠意を測り、レジーナの反応を測り、ついでに自分の中の「取引の線引き」を整える。

 ――そういう面倒で繊細で、胃が痛くなる作業のために。


 だが「夕飯間近の時間帯」まで遊び惚けるのは予定外だった。

 ゲームは戦略。ゲームは学び。ゲームは試金石。

 そしてゲームは――時間泥棒。

 有羽の喉から、焦げたような声が出る。


「侍女の皆さーん! 集合ー!!」


 緊急招集だった。

 侍女隊が「え?」という顔で一斉に顔を上げる。

 護衛も窓の外から覗き込み、何か事件でも起きたかと身構える。

 有羽は言葉で説明する余裕を放棄して、窓を指差した。

 指先の向こう、森が燃えるような夕焼け色に染まっている。


 一瞬、静寂。


 そして次の瞬間、室内が爆発した。


「ど、どどどどどどういうことですか有羽様!? 何故、夕方に!? さっきまでお昼だった筈です!!」

「カレーパン、ちょっとつまんだだけですよ私達は!? 空腹と遊戯で時間が溶けたのですか!?」

「有羽様は時間まで操れるのですか!? なんて恐ろしい!!」

「操れるのでしたら是非、若返らせてください! 肌がピチピチだった十代の頃に!!」

「馬鹿なこと言ってないで手伝ってくれ! もう夕飯の時間だ!!」


 有羽は頭を抱えた。

 違う、操ってない。操れるなら自分が一番欲しい。

 夕飯直前まで遊ぶ自分を、巻き戻す力が。


 侍女たちは慌てながらも、身体が先に動く。

 この二年で培われた賢者宅対応力は伊達ではなかった。

 誰が指示するでもなく、役割分担が始まる。


「油の量は確認します!」

「氷水、用意します! あ、冷水の桶も!」

「お皿を温めておきます? いえ、揚げ物なら温めすぎると……!」

「だから今は揚げないって言ってんだろ! 今日のは、目の前で揚げる予定だったんだよ! 段取りだけ! 段取りを整えるのが先!」


 そう。

 今準備しているのは天ぷら。

 揚げる音は、まだない。

 あるのは前哨戦の音だ。道具の配置、下拵えの確認、温度管理の準備。戦場を整える音。

 遅れて、アウローラとレジーナも外の色に気づいた。

 アウローラは窓へ駆け寄り、空を見上げて「えっ」と声を漏らす。


「……ほんとだ。赤い。夕方だ……」


 レジーナは、さすがに大声は出さない。

 だが眉間に寄った影が、彼女の驚愕を語っていた。

 貴族の社交で鍛えられた顔は崩れないが、内心は崩れている。


「……随分と遊んでしまいましたね、姉上。あの遊戯は、時間の流れすら変えてしまう……」

「……夢中になっただけよ、アウローラ。現実から逃げるのはやめなさい」


 言い切ったところで、レジーナは自分の言葉が刺さったのか、ほんの少しだけ目を細める。

 そして、諦めたように続ける。


「私達は姉妹揃って「ノングラータ押し付け合戦」で無駄な時間を過ごしたのよ……」

「……うう、なんて世の中は非情なんだ……」


 姉妹は放っておいていい。

 放っておくのが一番安全だ。下手に触るとノングラータがこっちへ飛んでくる気配がする。

 有羽はその二人から、さりげなく距離を取った。


 ラディウスは窓の外を見て、静かに冷や汗を流した。

 時間を忘れて遊ぶ。

 何年ぶりだろう。いや、騎士になってから初めてかもしれない。

 それが恥ずかしいのではない。

 むしろ――妙に、胸の奥が軽い。

 きっと、心のどこかが緩んでいる。緩んでしまった。


 視線の先では、台所へ向かった有羽と侍女たちが、すでに戦場の整備を始めている。

 棚が開き、盆が出され、包丁が並べられ、陶器の皿が音を立てて積み重なる。

 油の匂いはまだない。だが、準備の気配だけで腹が鳴りそうだった。

 ラディウスは、家の外に控える護衛へ声をかける。


「賢者殿はやけに慌てているが……どうしてなんだい?」


 護衛は、わかっている人間の顔で笑った。

 そして妙に誇らしげに答える。


「賢者殿はですねぇ……何と言うか、食事は手を抜かないんですよ」

「手を抜かない?」

「肉を焼く――ただそれだけの行為を、究極にまで追求する人と言いますか……」

「肉を焼く……僕も野営の時は自分で焼いたりするが、そういったものではなく?」

「全然違いますね。野営の肉は()()()()()です」


 護衛は言い切り、指で空中に線を引いた。

 こちら側が、焼いただけ。向こう側が、料理。

 境界線は恐ろしく分厚い。


「賢者殿の焼く肉は料理になります。美味いですよぉ。賢者殿の作る夕飯は」


 ラディウスは、息を飲んだ。

 空腹が、その言葉だけで形を持つ。

 胃が、勝手に準備を始める。

 そして彼は、今さらながら気づく。

 自分は昼から、ほとんど食べていない。

 カレーパンをつまんだだけで、ずっと盤に向かっていた。


(……現金なものだな)


 さっきまで、あの遊戯の有用性と危険性に頭を悩ませていた。

 国の経済、情報の扱い、賢者という存在の距離感。

 いくらでも深く潜れる思考の海。

 なのに今は、台所の物音だけで呼吸が浅くなる。

 腹が鳴ることに少しだけ羞恥を覚え、それでも抗えない。

 人の本能に勝てるものはない。

 少なくとも食欲は、剣よりも強い時がある。


 窓の外では夕焼けがさらに濃くなり、森の影が伸びていく。

 室内では侍女たちの動きが加速し、有羽の指示が飛び、器が並び、薄い衣の準備が整えられていく。

 ――まだ揚げる音はしない。

 だが揚がる前の静けさは、かえって腹を刺激する。

 ラディウスは小さく苦笑した。


「……やれやれ」


 この家では、盤の上でも台所でも気を抜けば負ける。

 そういう場所らしい。


 それ故に――ログハウスの中は、戦場になっていた。

 いや、正確には――料理人の戦場だ。

 剣も槍もない。代わりにあるのは、包丁と菜箸と、見慣れない道具たち。

 侍女隊は手慣れた動きで盆を運び、器を並べ、布巾で水気を拭い、必要な物を必要な場所へと滑らせていく。護衛隊は家の外で不動の警戒を維持したまま、窓から漂う気配だけで腹を鳴らしかけている。


 ――ドタバタと大急ぎで準備が進む。

 進む……のだが、流石に「全員分を目の前で揚げながら」は無理があった。


 時間が、足りない。

 原因はひとつ。昼から夕方へワープしたような錯覚を生んだ、あの『商伝』だ。

 楽しすぎた。盛り上がりすぎた。ノングラータが悪い。いや、姉妹が悪い。いや、面白いゲームを作った有羽が悪い。

 責任の押し付け合いが、また始まりかけている。


「はいはい。反省会は天ぷら食ってからだ。今は動ける人は動け。動けない人は座ってろ。……というか、座ってろ。頼むから」


 有羽の声は、普段より二段くらい速い。

 焦っているというより、段取りを崩したくない職人の苛立ちに近い。

 妙なプライド。変な意地。だがそれは、客に対して最高の形で出したい、という料理人の矜持でもあった。


 だから――テーブルに座るのは三名だけ。

 レジーナ。ラディウス。アウローラ。

 天ぷら初体験の二人に、最前列で食べさせる。

 第二王女は特権でその隣に居座る。待ての通じない犬が、ちゃっかり席を確保している。


 護衛隊と侍女隊の分は後だ。

 本来ならそれが当たり前。主人が先、従者が後。

 ここが賢者の家でなければ、誰も文句ひとつ言わない。

 だから、文句は出ない。

 ――出ないが、腹は減る。


 家の外の護衛たちは、真剣な顔で陣取っていた。

 窓の方角を見ない。決して見ない。

 見たら負ける。見たら空腹が暴徒になる。

 男たちの自制心は、魔物相手より試されている。


 侍女隊は一見冷静だった。

 姿勢も綺麗。顔も凛としている。

 だが目が笑っていない。

 笑っていない目ほど「お腹が減っています」を雄弁に語るものはない。


 そこへ、静かに台車が押されてくる。

 木の車輪が床を滑り、金属が触れ合う小さな音が、何故かやけに美味しそうに聞こえる。

 台車の上には、油の張られた鍋――まだ蓋の閉じた深鍋。

 そして揚げる準備の整った具材の数々が、まるで宝石のように並べられていた。

 衣の粉。氷水の桶。菜箸。温度を見るための小さな道具。

 乾いた布巾。水気を切った皿。

 そして、下処理を済ませた魚介や野菜が、行儀よく待機している。


 レジーナの瞳が、わずかに光った。

 外交官の目だ。未知を観察し、価値を測る目。

 だが今は、それより少しだけ――子供の目に近い。


「楽しみね。天ぷらの話は、アウローラから聞いてはいたけれど……まだ王都で再現出来ていないのよ。試作品は出来たと聞いたけど――」


 言いかけたレジーナの言葉を、アウローラが断ち切る。

 いつになく、真剣な声だった。


「姉上。王都のあれは、天ぷらじゃありません。天ぷらへの冒涜です」


 ぴしゃり。

 断罪の響き。

 王族の口から出ると、料理の感想でも外交文書みたいになるから怖い。


「あんな分厚い衣と、臭みのする具材。あんなものを天ぷらと呼称する事は、私の誇りが許しません」


 侍女隊が静かに頷く。

 護衛隊も外で、たぶん同じ顔をしている。

 王都の試作品は、彼女たちにとって事件だったのだろう。


 ラディウスは姿勢を正したまま、内心で興味が爆発していた。

 未知の料理。

 再現できない技術。

 それが「国の名産」になり得る香り。

 侯爵家当主の頭が、勝手に回り始める。

 しかし、今はそんな思考よりも――腹が先だ。

 そのタイミングで、有羽が軽く咳払いを。


「とりあえず――天ぷらの前に「前菜」ね。試作品だけど、上手く出来たから」


 妙に自信がある。

 試作品と言いながら、味見して合格を出した顔。

 そして有羽が、木皿を三人の前に置いた。


「はい。『豆腐』」


 白い四角の立方体が、そこに居た。

 雪みたいな白。

 表面には僅かに醤油が垂らされ、白と黒のコントラストが美しい。

 天井の灯りを受けて、ほのかに艶がある。

 木皿は、どう削ればこんな光沢が出るのか分からないほど滑らかで――器からして既に異世界の常識を逸脱している。

 アウローラが目を丸くする。


「『トウフ』……!? 有羽! また新しい料理作ったのか! 困るぞ、こうやってポンポンポンポン新しいものばっかり出されても……再現できないじゃないか!」


 抗議なのに、声が弾んでいる。

 困ると言いながら嬉しそう。

 この犬は本当に、困った顔ができない。


「んな、ぶーたれても知らんがな」


 有羽は肩を竦めて、さらっと返す。

 そして少しだけ声を落とした。

 初めて食べる者への導入の声になる。


「……ちゃんと味見したから大丈夫。スプーンで食べてみて。優しい味だから」


 レジーナは慎重にスプーンを取った。

 ラディウスも同様に。

 アウローラは待ちきれず、もうすでにスプーンを構えている。


 豆腐は、しっかりしているのに柔らかい。

 押せば崩れる。

 崩れ方が、どこか儚い。

 まるで食べれる白い布のように。形を保っているのに、抵抗がない。


 三人が同時に、口に運ぶ。

 ほんの少し、醤油の香りが先に鼻をくすぐった。


「……まあ。本当に優しい味ね……!」


 レジーナの声は、驚きというより感嘆だった。

 派手な料理ではない。

 辛いわけでも甘いわけでもない。

 ただ、静かに体の内側へ沈んでいく。

 胸の奥にじんわり染みる美味しさだ。

 ラディウスも、堅い表情が崩れる。


「いいね、これ。前菜にぴったりだ。身体を整えてくる味だよ……」


 彼の言葉は、料理を褒めているのに、どこか安心を口にしているようだった。

 これから来るだろう油の奔流――その前に、舌と胃が準備を整えさせられる。

 まるで儀式の前の清め水のように。


 アウローラは、感想が要らなかった。

 にっこにこだ。

 スプーンを運ぶたびに、目が細くなる。

 褒め言葉の代わりに口を動かしている。すごい勢いで、豆腐が減っていく。


 そして、三人が豆腐を味わっている間。

 音がした。


 じゅわぁぁ――。


 台所の方角からではない。

 テーブルのすぐ近く。

 有羽が鍋の蓋を開け、油の温度を確かめた瞬間に、ほんの小さく立った音。

 衣の滴が油に触れて、ひと呼吸だけ鳴った音。


 それは、香りよりも先に来る。

 耳が腹を刺激する。

 食欲が、音に引き寄せられる。


 レジーナの指が止まる。

 スプーンを口に運ぶ途中で、耳が勝手に鍋へ向いた。

 ラディウスも同じだ。

 アウローラは目が輝いて、椅子の上で小さく揺れている。尻尾が見えないのが惜しい。


 有羽は菜箸を取り、準備された具材へ視線を走らせた。

 どれを最初に揚げるか。

 初見の客に、何を一番最初に食べさせるか。

 料理の順番は、ただの順番じゃない。

 物語の導入だ。


「……よし」


 小さく呟く声。

 その声に、侍女隊の動きが一段締まる。

 皿が用意される。

 塩の小皿が置かれる。

 何か液体が入った器――おそらく「つゆ」の類が、そっと机の端に配置される。


 護衛隊の誰かが、外でごくりと唾を飲んだ音がした気がした。

 レジーナは知らず、背筋を伸ばしている。

 ラディウスは、騎士のように静かに待っている。

 アウローラは、もう待てない顔をしている。


 油の表面が、静かに揺れた。

 菜箸が、具材を掴む。

 衣が薄くまとい、白い膜が一瞬だけ光る。


 次の瞬間、あの音が――きっと、ここで鳴る。

 鳴ってしまう。

 そう確信できる「間」が部屋に満ちた。


 ――ここからが本番。

 けれど本番は、まだ始まらない。

 始まる直前が、一番腹を殺す。


 そんな、夕暮れのログハウスの食卓。

 天ぷらの「一品目」を待ちながら、三人は息を潜めていた。


明日は大晦日。今年最後の日なので、三章の切りの良い所まで複数話投稿する予定です。

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― 新着の感想 ―
いつも、楽しい話しありがとうございます(^^) 年末の楽しみが増えるのが嬉しいです(^^)
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