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異世界転移したけど森の奥で引きこもってます。スカウト? いやぁ、森から出る気はないので遠慮します  作者: 初音の歌
第九章

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第137話・カレーライス


 カレーライス。

 それは、皿に盛られた白米の上へ、熱々のカレーを惜しげもなく注ぎかけるという、実に単純明快な料理。

 単純明快――なのだが、だからといって侮ってよいものではない。むしろ逆だ。単純であるがゆえにその破壊力は絶大。香辛料の暴力的な香り、煮込まれた具材の旨味、そして米という受け皿。その全てが真正面からぶつかってきて、食べる者の理性を真正面から殴り飛ばしてくる。

 起源がどうとか、どこの国でどう変化しただとか、そんな話は、この異世界では本当にどうでもよかった。


 ここにいる者たちにとって重要なのは、ただひとつ。

 美味い。

 その一点だけである。


「…………っ!!」


 アウローラ一行は、全員が無言だった。

 行儀が悪いわけではない。そこは流石に王族とその傍仕えである。椅子に座る姿勢は綺麗で、スプーンの運び方にも乱れはなく、口元を汚す者もいない。見た目だけなら、実に上品な食事風景だ。

 だが、その実態は少々違う。

 誰一人として、口を開く余裕がない。


 万魔図書館はすでに解除され、庭には有羽が用意した大きなテーブルが置かれている。日の光が差し込む穏やかな空間で、皆が皿の上のカレーライスと真剣勝負を繰り広げている。

 無言で。

 一心不乱に。

 ひたすら米とカレーを口に運び続けている。

 アウローラの青い瞳は、曇りなく輝いていた。


(すごい……すごいすごい、これはすごいぞ!!)


 一口ごとに、胸の内で歓声が上がる。

 辛味が舌を打つ。だが痛いだけではない。すぐ後ろから、肉と野菜の濃い旨味が押し寄せてくる。そして、それを受け止める米の存在感。ふっくらと炊き上がった粒立ちの良い白米が、カレーの重みを丸ごと抱きしめて、次の一口を強烈に欲しくさせる。


(カレーが米を引き立てて、米がカレーを受け止める! な、何だこれは!? 最強ではないか!!)


 アウローラの脳裏に浮かんだのは、歴戦の英雄だった。

 鋭いだけではない剣。硬いだけではない鎧。互いが互いを引き立て、欠けることなく噛み合った、最強無敵の戦士。

 それが今、皿の上にいた。


 勝てない。

 これは理性が勝てる相手ではない。

 スプーンが止まらない。

 口が、次を求め続ける。


 その様子は、アウローラだけではなかった。

 カレーライスを食べたスキエンティアが、目を丸くしている。

 最初の一口を食べた瞬間、彼女は本気で言葉を失ったらしい。唇の前にそっと手を添えて、声が漏れるのを堪えているような仕草をしていたが、それでも目の輝きまでは隠しきれていなかった。


「……この組み合わせ、すっごい。ほんとに美味しいねぇ……」


 ようやく絞り出された声は、すっかり蕩けていた。

 ふにゃ、と頬を緩めて微笑むその顔に神としての威厳はなく、ただただ美味しいものに心を奪われた美しい女性のもの。

 その笑みを真正面から見てしまった護衛隊の男たちのうち、何人かは案の定というべきか……咽せた。


「げほっ、ごほっ!?」

「お、おい大丈夫か」

「だ、大丈夫だ……だが今のは危険すぎる……!」


 カレーの刺激で咽せたのか、女神の微笑みで気を失いかけたのか、本人たちにも判別がつかぬまま、慌てて水に手が伸びる。

 侍女たちは呆れ顔を向けたかったが、正直なところ彼女たちだって他人事ではない。女神の無防備な微笑みは、同性から見ても反則級の破壊力を持っていた。


「……うめぇな、これ」


 白い青年、ニクスもまた、同じ卓でご相伴に預かっている。

 彼はアウローラたちほど露骨に夢中ではない。食べる速度も特別早いわけではない。だが、一口ごとに淡々と、確実に皿の中身を減らしていく。

 感情を派手には出さないが、止まる気配がない。


 そして、有羽も。

 彼もまた、スプーンでカレーライスをすくい、口に運び、ゆっくりと咀嚼する。


(……美味いな)


 しみじみと、素直にそう思う。

 ずっと追い求めていた味だった。

 何度も夢想した。何度も脳裏で再現した。米の上にかかったカレーを、ただ思い出すだけで腹が減るほどに、恋い焦がれた味だった。

 だから、本来なら……本当に本来なら……今ごろ有羽も、アウローラたちと同じように、もっと露骨に、もっと必死に、貪るように食べていたはずなのだ。

 だが。


(……俺の記憶じゃ、ないんだよな……)


 その事実が、すうっと氷のように入り込んでくる。

 この懐かしさも。

 この「ようやく辿り着いた」という感覚も。

 全ては、本物の世渡有羽の記録に由来するものだ。


 自分のもののようでいて、自分のものではない。

 確かに今この舌で味わい、今この心で美味いと感じているのに、その奥にある郷愁だけが、少しずつ遠ざかって見える。


 笑顔は浮かべられる。

 美味しいのだと、ちゃんと思える。

 けれど、手放しで歓喜するには、何かが足りない。

 その「少しだけ遠い」感覚が、胸の内で静かに残り続けていた。


 幸運だったのは、誰も有羽を見ていなかったことだろう。

 あまりにもカレーライスが強すぎた。

 アウローラも、侍女隊も、護衛隊も、スキエンティアも、ニクスでさえ、自分の皿と向き合うのに忙しい。

 だから、有羽の顔に浮かんだ笑みが、ほんの少しだけ寂しかったことに誰も気づかなかった。


 庭には日の光が満ちている。

 風が吹けば、畑の葉が揺れてさらさらと鳴る。

 穏やかな日差しの中で、皆が美味い美味いと無言で食べ続ける、その平和な時間の中――有羽の胸の奥には、まだ癒しきれない傷痕が小さく残っていた。





 ◇◇◇





「――ご馳走様でした」


 それはほとんど全員の口から、ほとんど時間差もなく落ちた言葉である。

 大きな木のテーブルの上には、つい先程まで激戦区だった皿や鍋が並んでいる。まだほのかに、香辛料の余韻を含んだ匂いが漂っていた。


 ちなみに――カレーは完食。

 もう一滴も残っていない。

 鍋の底にへばりついた分すら丁寧に浚われ、炊いた米も綺麗さっぱり空である。


 もちろん、アウローラ達が持ち込んだ米の在庫そのものはまだある。

 だが、有羽としては当初、流石に人数分出しても多少は余るだろうと思っていたのだ。何しろ初めての米料理。好みも分からない。念のため多めに用意してはおいたが、それでも少しは残るものだと。

 結果は、予想を大きく裏切ることに。


(いや、ほんとに……どんだけ食うのよ)


 流石に、有羽の顔が軽く引き攣る。

 具体的に誰が何杯食べたのか、あるいは総量としてどれだけ消えたのかを、あえて口に出す気はない。誰も触れたがらない話題だった。

 特に侍女隊にとっては、体重的な意味で色々と死活問題になりかねないのだから。


 そんな空気をまるで気にした様子もなく、アウローラは満面の笑みを浮かべたまま、ぐっと拳を握る。

 頬はわずかに赤い。カレーの熱と香辛料で身体が温まったのもあるのだろうが、それ以上に興奮の色が表に出ている。いつものお日様のような明るさに、さらに熱気が足されたような顔。


「有羽。私はここに約束するぞ」


 その声音には、確信がある。

 食後のぼんやりした幸福感ではない。王女として何かを見定めた者の声だった。


「必ず、このカレーライスを王国内にも流行らせてみせる。うん。これは絶対だ。絶対に国の力が増す」


 言い切る。

 力強い断言。

 有羽は目を瞬かせる。

 だが、すぐにその意味も分かった。

 ただ美味しいから広めたい、というだけではないのだ。

 アウローラの頭の中では、もう米という食材の可能性が、カレーライスという完成形を通して、一気に展開している。


「カレーライスは、恐ろしく単純だ。炊いた米の上にカレーをかけるだけ。なのに、破壊力が凄い」


 アウローラは、手振りを交えて語る。

 まるでカレーライス啓蒙派の演説。


「作り置きができる。量も出せる。しかも腹持ちが良い。カレー単体でも鍋料理のように扱えるし、そこへ米が加わることで料理の格がひとつ上がる。炊き出しにも向いているし、遠征帰りの兵たちにも喜ばれるだろう」


 侍女隊の何人かが、深く頷いた。

 護衛隊もまた、うんうんと真顔で同意している。彼らにとっても、この満足感はかなり明確な実感として、腹に残っている。


「それに、米だ」


 アウローラはそこで少しだけ得意げに、有羽を見る。


「米そのものは味が薄い。だが、味の濃いものと合わせると……いや、受け止めると言った方が正しいか。これは新しい主食になり得るぞ」

「へえ」


 有羽が、少し感心したように声を漏らした。

 食べてすぐそこに至るのは、やはりこの王女の嗅覚の鋭さだろう。

 美味しいで終わらない。美味しさの先にある「使い道」まで即座に見ている。


「これ、備蓄にも使えるのだろう?」


 アウローラが更に言葉を継ぐ。

 そこまで見るか、と有羽は内心で驚いた。

 だが、確かにその通り。長期保存可能な主食というのは、それだけで強い。麦が強いのは収穫量や加工のしやすさだけではない。備蓄に耐え、飢饉や戦時に命綱になり得るから強いのだ。

 有羽は満足げに頷く。


「すごく使える。ただし、保管はちゃんとね。虫が湧いたり、湿気で駄目になったりするから」

「その辺りは安心していい!」


 アウローラが、ぐっと胸を張る。


「食料の管理には魔導師の力も借りている! 少なくとも王都の備蓄倉庫に関しては、そこそこ入念に対策をしているつもりだ!」


 水系魔導師による氷室の作成。

 王都規模でなら、それは既に珍しい技術ではない。無論、貴重な魔導師を継続的に確保運用する必要があるため、国中どこでも使えるわけではないが……少なくとも王都周辺では、穀物や肉類の保管にかなり気を使っている。

 とはいえ。


「……まあ、有羽の家のほどじゃないんだけどな」


 アウローラは、恨めしげにログハウスの方を見やった。

 庭先から直接その内部は見えない。だが彼女の脳裏には、しっかりと有羽作成の「魔導冷蔵庫」の姿が刻み込まれている。

 凍らせるのではなく、一定温度で安定して冷やし続ける箱。しかもサイズが小さい。せいぜい本棚一つ分ほどの容積に、意味の分からない高性能さが詰め込まれている。

 今の王国の技術では、到底再現できない代物だ。


「本当に詳しい技術、教えて欲しい……」


 その声音には、純粋な羨望と、少しばかりの恨みが混ざっている。

 しかし有羽は苦笑するばかり。

 教えないのではなく――教えたところで、たぶん意味が薄いのだ。今必要なのは答えではなく、そこへ至る道筋だと、有羽はずっと思っている。


「トライ&エラーだよ。完成形は見せた。なら、いつか必ずそこに辿り着く。そうすれば――」


 ――そうすれば、たとえ自分がいなくなって大丈夫。

 そんな言葉が喉元まで浮かびかけて、咄嗟に呑み込む。

 なぜかは分からない。けれど、今それを口にしたら、まるで未来を決めてしまうような気がして。


「……有羽?」


 アウローラが、心配そうに顔を覗き込んでくる。


「どうした? 米の味が、有羽の知っているものと違ったのか?」


 相手を労わる感情が、そのまま顔に出ていた。

 有羽は慌てていつもの笑みを浮かべ、視線を返す。


「いや、そういう訳じゃないよ。そりゃあ、完全に同じかって言われると違うけどさ」


 そう言って、改めて先ほどの味を思い返す。

 記憶の中の米と、寸分違わぬ同一かと問われれば、それは違う。

 地球の、それも日本で長い年月をかけて品種改良されてきた米とは、やはり異なる。粒の印象も、香りも、甘みの出方も微妙に違う。

 けれど。


「そもそも、米って色んな種類があるから。用途によって使い方も全然変わるし」


 有羽はそこで、少しだけ表情を和らげた。


「そういう意味じゃ……うん。この魔国産の米は、実に俺好みだ。凄いね、リザードマン」


 素直な感嘆。

 誰も主食にしなかった米を、彼らは細々と守り続けた。

 魔国へ亡命してからも諦めず、湿地で試行錯誤を重ねて、ようやく形にした稲作文化。

 その血と汗の結晶が、今こうして自分の前にある。


 脱帽するしかない。

 異世界の米は、有羽にとってただ懐かしいだけの材料ではなかった。

 きちんと、この世界の誰かが育ててきた命の味。

 アウローラはそんな有羽の表情を見て、ほっとしたように微笑む。


「なら、よかった」

「うん。すごく良かったよ」


 短いやり取り。

 だがそこには、柔らかな安心がある。


 庭には、食後の穏やかな空気が満ちていた。

 侍女たちは余韻に浸り、護衛たちは腹をさすりながらも幸せそう。スキエンティアはまだ味に浸ってふわふわしているし、ニクスでさえ静かな顔で満足げに皿を眺めている。


 有羽はそんな皆の顔を見渡して、ほんの少しだけ肩の力を抜いた。



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