第126話・魔境の大森林
有羽の部屋から、スキエンティアが静かに退室した。
扉を閉める手つきは驚くほど丁寧。
乱暴に閉めれば、たったそれだけの音でさえ、中にいる青年を傷つけてしまうのではないかと恐れているように。
かちゃん、と小さな音を立てて扉が閉まる。
その瞬間、部屋の外に出たスキエンティアは壁に手をついて、ほんの僅かに俯いた。
「…………」
目が熱い。
鼻の奥がつんと痛む。
眼鏡の奥の視界が、わずかに滲んでいた。
探求神スキエンティア。
長い時を生き、数えきれぬ悲劇も戦乱も、人の愚かしさも美しさも見てきた神。
人の死も、国の滅びも、英雄の転落も、賢人の狂気も、彼女は知っている。
それでも――今、胸の奥で疼いている痛みは、容易く飲み下せる類のものではなかった。
どんな悪人も。
どんな善人も。
どんな戦いに巻き込まれようと、どんな犯罪に巻き込まれようと。
死んだ後の先は、ない。
肉体は朽ちる。
魂は輪廻の輪に乗る。
命は巡り、形を変え、再びどこかへ芽吹く。
大罪人ですら、死んだ後まで延々と苦しみ続けることはない。
それが、この世界の大きな理。
例外があるとすれば、アンデッドだ。
ゾンビやゴースト。死体や魂が、魔力や瘴気によって歪められた魔物たち。
だがあれは、人格や意思がない。
瘴気によって在り方が捻れ、生者を襲う亡者へ変じただけのもの。
けれど、有羽は違った。
「……あんなの……」
声が漏れる。
あまりにも小さく、あまりにも掠れて、自分でも驚くほど――怒りに満ちた声。
あんなものは、アンデッドですらない。
死体と魂を、パッチワークのように縫い合わせた継ぎ接ぎの人型。
死とともに消えたはずの記憶と意識までも、どこかから複写して貼り付けて、そうして「人のようなもの」として成立させている。
命そのものに対する冒涜。そうとしか思えない。
魔界に棲む悪魔ですら、あそこまでのことはしない。
いや、そもそもの話として、できない。
知識の探求を是とするスキエンティアですら不可解な創成術の極みであり――同時に、あまりに悍ましくて吐き気のする外法。
誰にぶつければいいのか分からない怒りがある。
何に向ければいいのか分からない激情がある。
けれどそのどれもが、今の有羽の前ではあまりに無意味で、あまりに遅すぎる。
だから彼女はただ、拳を握りしめることしかできなかった。
その時――居間の方から、淡い緑の光が漏れる。
スキエンティアは顔を上げた。
ログハウスの居間に置かれている緑色の宝玉――樹神女帝が有羽へ渡した、あの通信のための宝玉が、静かに明滅していた。
スキエンティアは足を動かす。
まだ熱の残る目元を乱暴に拭ってから、居間へと歩み寄った。
テーブルの上に置かれた宝玉へ、そっと神力を流し込む。
次の瞬間、ふわりと空間が揺らぎ、薄い光の幕が広がる。
その向こうに映し出されたのは、樹人形の姿だった。
枝葉を髪のように揺らし、無機質な木の顔をこちらへ向ける、西の主。
樹神女帝。
『――隠者の様子はどうだ?』
いつもより幾分低い声だった。
平静を装ってはいる。
だが、その奥にある張り詰めたものを、今のスキエンティアは容易く感じ取れた。
「……うん」
スキエンティアは頷く。
「今、意識を取り戻したよ。大丈夫。有羽君は……何も損なわれてなかった」
『そうか――そうか』
女帝は、心底ほっとしたように息をついた。
普段の彼女なら、こんな反応はそう簡単に見せない。
ましてや、どこか人を見下ろしたような超越者然とした彼女が、ここまで露骨に安堵を滲ませるなど珍しい。
けれどマネキンじみた無機質な樹人形の顔には、確かに安堵が宿っている。
女帝もまた、有羽の容態を気にしていたのだ。
倒れてから、すでに数日が経っている。
有羽が消えかけたあの瞬間から、西の主もまた落ち着くことなどできなかったのだろう。
『最初はどうなることかと思ったがな。だが無事で何よりだ。隠者が死ぬなど、笑えぬ冗談だからな。……お主が居てくれて助かったぞ、探求神』
「……うん」
『……どうした?』
女帝が首を傾げる。
スキエンティアの顔色が明らかに悪い。
『隠者は無事なのだろう? 何をそんな浮かない顔をしている?』
スキエンティアは、すぐには答えられなかった。
喉の奥が詰まる。
言葉にしてしまえば、もう後戻りができない気がした。
けれど黙っていても、女帝は察するだろう。
この落ち込みの理由を。
この、胸を掻き毟りたくなるようなやるせなさの正体を。
「有羽君は……」
そこで一度、唇を噛む。
ようやく絞り出した声は、ひどく弱かった。
「自分が「何」なのか、気付いてたよ」
『…………そう、か』
女帝もまた、その一言で悟ったのだろう。
長い沈黙が降りる。
死体から作り上げられたゴーレム。
記憶と意識を複写させられた人形。
実年齢七歳の、あまりにも惨い被害者。
女帝は、樹の身体の奥で、古く鈍い痛みを思い出す。
『……我もな』
ゆっくりと、女帝は言った。
『隠者が傷ついていたことは知っていた。だがそれは、異世界へ転移したゆえの心の痛みだと思っていた』
「……」
『ボロボロになりながらも懸命に生きる、一個の命だと思っていたのだ』
思い返す。
初めて森の南に、小さな灯が落ちてきた時のことを。
八年前。
異世界から転移した、小さな灯。
ひどく危うく、ひどく脆く、それでも懸命に消えまいとしていた命。
その灯が七年前、一度完全に折れた。
あの時、女帝はそれを「心の挫折」だと思った。
異世界から叩き込まれた少年が、ついに限界を迎えたのだと。
だが、違った。
命そのものが、そこで一度断絶していたのだ。
『我でさえ気付かぬとはな』
女帝の声に、悔しさのような色が混じる。
『つまり七年前、隠者は死んだと同時に作り替えられたのか……どうなっておる。そのような術、我でも不可能だぞ』
「わたしだってそうだよ」
スキエンティアも、ぽつりと同意する。
声がまだ震えていた。
胸の痛みを押し込めながら、どうにか平静を保とうとする声音。
「有羽君の基幹構造に触れて、ようやく気付けた。それくらい綿密で精巧だった。外側から見るだけじゃ絶対に気付けないよ……せいぜい、海の中に傷だらけの有羽君がいる、そんな輪郭が見えるくらい」
『……』
女帝は黙った。
それは、女帝やスキエンティアが有羽に抱いていた印象でもある。
膨大な知識の海の中で、傷だらけになりながら浮かんでいる青年。
何か途方もないものに晒されながら、それでも懸命に立っているひとりの存在。
まさか、その海に殺されていたなどと――あの傷が、心の傷ではなく死んで作り替えられた痕だなど。誰が想像できるというのだ。
「……何なの」
ぽつりと、スキエンティアの口から零れた。
問いかけなのか、呪詛なのか、彼女自身分からない声。
「ねぇ、何なの女帝さん。この森って……この魔境の森は、一体何なの?」
『探求神』
「何の権利があって、あんな惨いこと……っ!」
感情のまま、手が動きそうになる。
目の前のテーブルを叩き壊しそうになって――ぎりぎりで止めた。
指先が震える。
木の表面に、ほんの少しだけ爪が食い込む。
理性が告げていた。
ここで怒りに任せて壊してはいけないと。
今の有羽が、懸命に生きたこの場所を。
七年かけて、自分の居場所として積み上げたこの家を。
たとえ森そのものに怒りが向いても、ここだけは壊してはならないと。
女帝もまた、すぐには答えなかった。
樹人形の顔は変わらない。
だが、その沈黙の深さが、彼女もまた答えを持たぬことを示していた。
あるいは答えがあったとしても、それを今言葉にできないのだろう。
『……我にも分からぬ』
ようやく、女帝はそう言った。
『この森が何なのか。我らが何として置かれているのか。どこまでが意志で、何を役目としているのか……分からぬのだ』
「そんなの、あんまりだよ……」
スキエンティアの目から、また涙が零れた。
「死んだあとまで奪われるなんて……そんなの、あんまりじゃないか」
『……ああ』
女帝の返答は短い。
だがそこには、重い同意があった。
神の視座から見ても、あまりに酷い。
命を何だと思っている。
死を何だと思っている。
記憶を、魂を、存在を、どこまで玩具のように扱えば、こんなものが生まれるのか。
その怒りをどこへ向ければいいのかすら分からない。
森か。
世界か。
誰かの意志か。
息をひとつ吐いて、スキエンティアは自身を落ち着かせた。
煮えたぎるような胸の奥の感情に、身を任せたりはしない。
少なくとも今は――今この場所では、絶対にしない。
知性の神として。
探求を司る者として。
スキエンティアは激情を押し込めた上で、冷静に事態を見据え直す。
「……有羽君のあの強さ。あのレベル。ようやく合点がいったよ」
静かな声で、彼女は言った。
「上位神の領域に届くように、作り替えられたんだ」
理屈が、少しずつ骨格を持ち始める。
最初の有羽――この世界に転移してきたばかりの、一番最初の世渡有羽では届かなかったはずの領域。
仮にどれほど素質があろうと、時間が足りない。
この世界で剣一筋に生き、老境に達するまで自らを研ぎ澄ませた剣聖でさえ、ようやくレベル七十。そこですら、人間としては奇跡の領域。
ならば、たかだか八年で九十を超えるなど絶対にあり得ない。
だが――最初から「器」が違えば話は別だ。
奇しくも、その証拠は既に存在していた。
世界天蛇の分身体、星髪のアギト。
女帝と有羽が共同で造り上げた、芽姫クロエ。
あの二つは、どちらも生まれたその時点でレベル八十五。
従属神の域に達している存在格。
鍛えたから辿り着いたのではない。最初から、そこにあるべきものとして組み上げられていた。
今の有羽も同じだ。
死んで、繋ぎ合わされ、作り直されたその時点で――おそらく九十の域に届いていた。
問題は、その先。
「……何のために、そんなことをしたのか」
スキエンティアは、自分の掌を見下ろした。
その手で触れた、有羽の基幹構造。
あの継ぎ接ぎの、奇跡じみた外法。
「何のために、有羽君を作り替えたのか。ううん、それ以前に――」
『何故、隠者がこの世界にいるのか、じゃな?』
宝玉の向こう、女帝が静かに言葉を継いだ。
スキエンティアは頷く。
そう。根本はそこだ。
有羽が異世界に転移してきた、その最初の状況を考えるに――異世界へ降り立った時点で、既に何らかの「干渉」があったのは確実。
そうでなければ、異世界から来たばかりの少年が、あれほど多種多様な魔法を扱えるはずがない。転移した時点で、世渡有羽の身には何らかの「調整」が施されている。
だがその時点ではまだ、「強い人間」の範疇だった。
今のような超越者ではなかった――七年前の作り替えを経て、超越者の域に立った。
誰が。
何の目的で。
有羽に力を与えたのか。
誰が。
何の目的で。
有羽をこの世界に呼んだのか。
「……有羽君がこの森に転移したのは、偶然って可能性は低いよね?」
『まず、ありえんじゃろ』
女帝は迷いなく答えた。
『ゼロではない、と言いたいところだが……我は、この世界そのものに呼ばれたと考えている』
「世界、そのものに?」
『うむ。あるいは――この森、か』
森。
魔境の大森林。
遥かな昔から在り続ける巨大樹海。
女帝ですら、「気が付いたら」番人に「させられていた」この森。
神々ですら詳細を把握していない、この世界の謎のひとつ。
本当に、気が付いた時には「在った」のだ。
誰が作ったのかも分からず。
何を目的にあるのかも知らぬまま。
『東に蛇。西に我。北に竜。そして南に隠者』
女帝は言う。ひとつひとつ確認するように。
『順番に、四方へ配置された。何かしらの意図があるのだろう。この森に意思があるのかどうかまでは、我にも解らぬがな』
「……そういえば女帝さん。有羽君が言ってたんだけど」
『なんじゃ?』
「『少し考えるべきことがある』って言ったきり、しばらく音信不通だったみたいだけど……何か、森に関係あるの?」
その問いに、女帝は沈黙した。
樹人形のもともと無表情な顔から、さらに色が失われる。
黙秘しているというより、女帝自身どう言葉にしていいのか掴めていないような沈黙。
やがて少しずつ、言葉を選ぶように女帝は口を開いた。
『……蛇の奴と話をしてな。少し、記憶を辿っていたのよ』
「記憶?」
『お主なら分かると思うが、我らは昔のことを思い出すのが一苦労じゃろ?』
「……ああ、なるほど」
スキエンティアは、しみじみと頷いた。
「うん。凄くよく分かる。思い出せって言われても、万年単位の事なんてホイホイ出てこないよねぇ……」
長命種特有の、あまりにも世知辛い現実だった。
数万年前のことなんだけど、などと言われて即座に記憶の棚が開くようなら、誰も苦労しない。
時間を掛けて、記憶の奥底へ旅に出る必要がある。
人間には到底理解できない、上位存在だけの悩み。
「わたしの場合は図書館あるから、その辺はショートカットできるけど……女帝さんは大変でしょ?」
『大変で済む話ではないわ』
女帝の声には、本気の疲労があった。
『何せ、この森の番人になった頃の記憶――我が樹神女帝と呼ばれる前まで想起していたのだから』
「うわぁ」
スキエンティアは本気で顔を引き攣らせた。
それはつまり、生まれた頃に近い記憶まで遡ったということだ。
スキエンティアなら図書館を開いて索引から当たるが、女帝にはそれができない。
ただただ、自分の中の膨大な時間を掻き分けて辿り着くしかない。
音信不通にもなる。
「それで……何か分かったの?」
『うむ……ひとつ、仮説が思いついた程度だがな』
女帝が一度、言葉を切る。
その間が長い。
勿体ぶりではない。明らかに、言うことそのものを躊躇している間。
『……我の種族。それが何であるか、当然お主は知っていよう?』
「? そりゃ解るよ。樹精霊でしょ? 昔からいる精霊種のひとつ」
樹精霊。
森に、ごく稀に存在が確認される精霊種。
この精霊が現れる森は、例外なく恵み豊かで、資源の宝庫になる――そんな言い伝えすらある存在だ。
これは神々だけでなく、人間たちにも知られている事実。
『そう。我は数多の精霊のひとつ。……そこで我は考えたのだ』
女帝の声が低く沈む。
『何故我が、この森の番人になったのか。何故、他の樹精霊ではなく我なのか。この森が番人に役目を持たせるのなら、それは何なのか』
「……」
『この思考の先に、森の真実があるのではないかと思ってな』
「……んー……」
スキエンティアは考えながら、一番単純で、一番理屈のつく答えを口にした。
「森の詳細はともかく。女帝さんが選ばれた理由って、たぶん単純なものじゃない? 女帝さんが一番力を持っていた。それが理由だと思う」
『……』
「だって、女帝さんレベル九十五だよ? 従属神を超えて、上位神の領域。そんな精霊種、わたしの記憶を辿っても数えるほどしかいない」
あまりに明快な答えだった。
神々同士が争っていた遥かな太古ならば、近い領域へ届いた精霊は確かにいた。
だが、それでも稀だ。
そして森が番人を置くというなら、強い個体を据える。
それはあまりに当然の流れ。
弱者に門は守れない。
人間社会の防衛線に置き換えても同じこと。
番人に強者を置くのは、合理の極みですらある。
「魔境の森に同意なんてしたくもないけど……女帝さんが番人になるのは、むしろ当然」
『我も、そう思っていた』
女帝は、ぽつりと答えた。
『だから以前までは、それほど深く考えていなかった。単純に、長く生き、結果として最強最古の個体になったから、番人に据えられたのだと』
「充分無茶苦茶で腹立つ流れだけど……まあ、そうだよね。わたしもそう思う」
『うむ。勝手に我をこの森へ縛ったのは腹が立つが……本題はそこではない』
「え?」
そこで、女帝がまた黙った。
今度の沈黙は、先程よりも重い。
あの女帝が。
上位神と同じ領域に立つ超越者が。
言葉にすることそのものを恐れている。
それでも――やがて女帝は口を開いた。
『おそらくは、だがな……前提が違う』
慎重に。
一言ずつ。
まるで、踏み外せば奈落へ落ちる細道を歩くように。
『数多の精霊の中で、森と相性のいい樹精霊の我が、強さや力を考慮して選ばれた――それは事実だが、おそらくその前提が違うのだ』
「……前提?」
『うむ』
女帝の樹人形が、ゆっくりと探求神を見た。
『樹精霊は全て――森の番人の候補者だ』
「――――は?」
スキエンティアは、間の抜けた声を漏らした。
理解が、ほんの一瞬だけ追いつかなかったのだ。
だが女帝は続ける。
『我を含めた樹精霊は、おそらく「魔境の森」の維持管理を目的に組み上げられた精霊種。先に数多の候補者がいて、我が候補者の中で一番適格だった……そう考えた方が、辻褄が合う』
「待って――待って待って待って待って!? そんな無茶苦茶な話――」
『森の中だけで生きること。森に豊穣を齎すこと。……それだけに特化し過ぎている。我も含めて、全ての樹精霊がな』
「…………」
『なあ、探求神。あまりに歪な存在だとは思わないか?』
スキエンティアは絶句する。
考えたこともなかった。
樹精霊の存在理由。
ただ、稀に森に生まれる精霊種だと思っていた。
森と相性がいいのも当然だと。
豊穣をもたらすのも、それが種の特性だと。
だが――。
有羽のあの成り立ちを知った今では。
あの惨状を見てしまった今では。
むしろ、そちらの方が納得できてしまう。
合理だけを求めて作られた、今の有羽。
命への慈しみも、痛みへの憐れみも、個としての尊厳も、何もかもを無視した、目的だけのための構造。
もし、この森に意図があるのなら。
もし、この森に意思に似た何かがあるのなら。
樹精霊という種そのものが、番人候補として「設計」されていたというその発想は、あまりにも自然にその延長線上へ並んでしまう。
目的のためだけに組み上げられた存在。
盤面を整えるためだけに作られた駒。
感情を、個を、余計な揺らぎを省いた、ただの合理。
まるで――。
「……え?」
そこで、スキエンティアは気付いた。
自分が今、仮定として組み上げた「森の意図」。
もしも魔境の森に人格めいたものがあるのなら、という考え方。
それは、あまりにも似ていた。
天界に座する、あの神に。
感情の起伏が薄く。
情緒の揺らぎが皆無で。
世界を個の集積としてではなく、物事の殆どを変数としてしか見ない、あの神の王に。
覇皇神ヴェルミクルム。
その在り方に、あまりにも似すぎていた。
『……気づいたか』
「……女帝さん」
『うむ』
宝玉越しの樹人形もまた、冷たい瞳でこちらを見返している。
『我も、そこに至ってしまった。だから口にするのを躊躇っていたのだ』
「でも、似てるだけかもしれない」
『そうだ。似ているだけかもしれぬ』
「森がそういう「盤面を整える何か」だからって、即座に覇皇神に結び付けるのは早計だよ」
『その通り。早計だ』
「そもそも、アイツはずっと天界にいる。天から地上を見下ろして、余程の事がないと干渉しない。太古の昔からそう。アイツはただ粛々と盤面を整理するだけの神」
『我も知っている。あやつは地上に降りぬ。言うなれば世界の管理装置よ』
「なら」
『だが――あまりに似すぎている』
二人の会話が止まる。
その脳裏に思い浮かんでいるのは、天上の上位神。
世界の形を安定させることこそが第一。秩序を維持して、崩れないように調整する存在。
情緒などなく。感情など希薄で。盤面の形を保つことだけを目的に動く神。
問題はそこ。
無機質な覇皇神が関係しているかどうかではない。
そんな無機質な神に似ているという部分こそが問題なのだ。
「もし仮に、もし本当に、この森の設計思想が覇皇神のそれに近いとしたら……」
『隠者も、我も、蛇も、竜も……全て「盤面の維持装置」ということになる』
気づいてしまった。
考えてはいけない方向へ、思考が届いてしまった。
魔境の森に意思があるのか。
そこに人格めいたものがあるのか。
答えはまだない。
だが、そこに「設計思想」のようなものがあるなら――それは、感情ではなく構造を優先している。
有羽は偶然ここにいるのではない。
女帝もまた偶然選ばれたのではない。
森はただ古いだけの樹海ではない。
そこに何らかの設計があり、配置があり、目的がある。
その気配を、ふたつの上位存在はようやく掴み始めていた。




