第127話・光輝神ソルの計画
白い石で積まれた大聖堂。
サンクトゥス神聖国の中心にあるそこに、複数の加護者が集まっていた。
誰もが音ひとつ立てぬように身を固くし、大理石の床に膝をついている。
その視線の先――祭壇の手前、最も神に近い位置に立つのは、教皇オプティムス。
白銀の髪。整った中性的な美貌。白磁のような肌。
神聖国が誇る神の御子。
だが今、その顔には明らかな苛立ちと怒りが浮かんでいた。
「まこと……まこと申し訳ありません! よもや、誰一人生還しないとは……!」
報告役を務める加護者の代表格が、額を床へ擦り付けんばかりの勢いで頭を下げる。
声は震えていた。
信仰と忠誠に厚い者ほど、この失態がどれほど大きいかを理解している。
それを受けて返したオプティムスの声は――静かだった。
「……先遣隊は、全員が加護者。皆が強者であったはずです。誉れある先陣を任せられた彼らが……全員失敗に終わったと?」
「は、はい……!」
代表者の返答は、ほとんど悲鳴に近い。
それほど教皇猊下の声に秘められていた怒りが強かった。
オプティムスは、自らの白銀の髪を掻きむしりたくなる衝動を、どうにか理性で押し留めている。
あり得ない。
そう、本当に、あり得ないのだ。
先遣隊とは、ただの斥候ではない。
神聖国が誇る加護者だけで編成された、神の刃の一番槍。
魔国と帝国、それぞれに向けて放たれた栄誉ある先遣であり、彼らは必ずや朗報を持ち帰るものと信じられていた。
情報を掴み、敵の反応を測り、次なる侵攻に向けた礎を築く――そのための先鋒。
それがまさかの、全員未帰還。
簡単に呑み込める事態ではない。
「……侵攻の準備は、進んでいます。先遣隊の持ち帰る情報を基に、より精度の高い策を。より適した編成を組むつもりでいたのですよ。それを……!」
オプティムスは唇を引き結んだまま言葉を紡ぐ。
拳が震える。
白く細い指先が、硬く握り締められる。
「申し訳……申し訳ございません!!」
代表格の加護者は、もはや床へ額を叩きつけるような勢いで謝罪していた。
それでも、オプティムスの怒りは静まらない。
「――いいですかっ!」
大聖堂に、教皇の声が鋭く反響する。
「今度の侵攻は、私たちが神を世界に知らしめるための聖戦なのですよ!? 手抜かりも失敗も許されない! 成功以外の結果は、私たちには許されない!!」
その怒りは、火山の噴火に似ていた。
単なる未帰還ならば、ここまで激しく叱責しなかっただろう。
だが先遣隊は加護者だけで構成された神の刃――つまり彼らは、光の神の看板を背負っていた。
そんな彼らが未帰還ということは、討ち取られたと考えていい。
魔国に行った者も、帝国に行った者も、加護を授かったにも関わらず――異教徒相手に、無様に負けたということになる。
そんなこと、許されて良い筈がない。
「ああ……このような不敬、どのように神に報告すればいいのか……っ」
オプティムスは胸元を掻き抱くように手を当てた。
きっと落胆される。
きっと悲しまれる。
気高き光の神の期待に応えられなかった。その事実が、刃のように胸を引き裂く。
神の御心に応えねばならないのに。
神の教えを広めねばならないのに。
なぜ、それが結果として現れないのか。
「……光の神の加護を得た者が負けるはずがないのです」
怒りに燃えた目が、跪く加護者たちを射抜いた。
そして有無を言わせぬ声音で続ける。
「けれど負けた。ならばそれは、貴方達に驕りがあったということ。加護を得たことで慢心した――そうとしか思えません」
「――そ、それはっ」
「調練を増やしなさい。訓練の密度を高めなさい。私たちに敗北は許されていないのです。外界の異教徒に負けることなど、ありえない――あってはならない!」
聖戦は近い。世界を変える日は間近に迫っている。
ここで退くことはできない。退く気もない。この閉ざされた北の大地から飛び出して、世界中に光の教えを広める事は、すでに決定事項。先遣隊が失敗したからといって後戻りはできないのだ。
オプティムスは叱責を繰り返す。
「侵攻部隊の編制を見直しなさい。光の神の加護を無為にする輩は許されません。必要とあらば、魔境の森に赴き、レベルの底上げも行いなさい。万全を尽くすのです」
「で、ですが森は……あの黒竜めが……」
代表格の声に、僅かな怯えが混じった。
それは当然のこと。
神聖国の信徒ならば、ほとんどの者が北の森に棲む黒竜を知っている。
あの暴威の塊を。咆哮ひとつで結界を砕き、ただ在るだけで魂を震え上がらせる怪物を。
脅威を知るが故の恐怖。
それは自然な感情だったが、オプティムスはそれすら許容しなかった。
教皇の目が、冷たく細まる。
「……なんですか? まさか黒竜を恐れているのですか? 神の加護を得ておきながら? ……嘆かわしい。そのような体たらくだから、先遣隊は失敗したのですよ。逃げ腰の戦士に、何が掴めましょうか」
「……申し訳ありません」
「分かったのなら準備に取り掛かりなさい。計画実行の時まで、それほど猶予はありません。すぐにでも戦力の増強を図って――」
切り捨てるようなオプティムスの命令。
その言葉が最後まで紡がれることはなかった。
――背後から、足音がしたのだ。
こつり。こつり、と。
静かな、それでいて妙によく通る足音。
同時に、暖かな光と、空気そのものを塗り替えるような神威が広がる。
「――そんなに声を荒げるものじゃないよ、オプティムス」
鈴を鳴らすような声。
澄んでいて。
高く麗しく。
耳に触れただけで、胸の奥が安堵してしまうような声音。
「みんな怖がってるじゃないか」
その一声で、空気が変わる。
オプティムスは一瞬だけ呆然とした。
だが次の瞬間には、反射のように振り返り、その場へ深く膝をつく。
視線は上げない。
顔も伏せる。
赦しもなく神の御姿を直視するなど、あまりに無礼だからだ。
それは訓練されきった信徒の動きであり、同時に、神を前にした時の本能でもあった。
加護者たちも同様だった。
大理石の床に、より深く膝を沈める。
中には震えを堪えきれぬ者もいる。
恐怖ではない。
畏怖であり、歓喜であり、崇拝だ。
こつり。
こつり。
足音が近づくたび、光が濃くなる。
暖かい。
目を伏せていても分かる。
太陽そのものが聖堂の中へ降りてきたかのような、柔らかな光熱。
やがて、その気配が彼らの前で止まった。
光輝神ソル・サンクトゥス。
上位神の一柱。
神聖国の頂点に座す、唯一絶対の神。
永遠の少年神は、にこやかな微笑を携えて、信徒たちの前に姿を現した。
「――魔国と帝国に出た二部隊が還って来ないのかい?」
膝をつく加護者たちの前で、光輝神ソル・サンクトゥスは小首を傾げる。
きょとん、とした顔。
その仕草はあまりに無垢で、あまりに愛らしい。
その瞳の奥には怒りはない。
オプティムスが危惧していたように悲観もしていない。
まるでそれは、玩具を眺める子供の視線。
だが、膝まづいて顔を伏せている者達は、その視線に気付かない。
ただただ、畏れ多い光の神の威光に震えるのみ。
「はっ。申し訳ありません……御身の加護を得たというのに、朗報を持ち帰れず。この償いは我が身に代えましても……!」
「ああ、いいよいいよ。そんな思い詰めなくても。まだ慌てるような状態じゃないしね」
身を切るような思いで謝罪するオプティムスに対して、ソルはくすくすと笑う。
その声音はあまりにも優しかった。
その口調に、その声に、怒りの色は乗っていない。
本当に――不出来な玩具を見つめる、小さな落胆だけ。
怒りがないというよりも、向ける感情の幅が小さい。
前提として、怒りを抱く程の執着が、ない。
ソルは指先を顎に当てて、困ったような声を漏らす。
「それにしても……そうか微加護じゃ足りないのかな。うーん、でもこれ以上の加護は与えたくても中々難しいしなぁ」
「……神よ」
オプティムスは、震える声で言葉を差し挟む。
「我らは、貴方様の加護を得られただけで十分なのです。御身の光の一部でも、この身に宿った……それ以上の栄光はありませぬ。失敗は、加護の大小などではなく、我らの不明――」
「それはそうだろうけど、さ。でもこのままって訳にはいかないじゃん? 何か手を考えないと」
傍から見れば、民の敗北を憂慮し、打開策を練る慈悲深い神の姿だろう。
だが実際には違う。
不良品の玩具をどうやって上手く動かそうか、という子供じみた情緒でしかない。
いや、子供じみているのではなく……本当に子供なのだ。
千年前、天から地上へ降りたその時から。
光輝神ソル・サンクトゥスは、何一つ成長していない。
美しさも、気まぐれも、残酷さも、そのままに。
永遠の少年の姿で、永遠の幼さを抱え続けている。
だが、そんなことは信徒達には解らない。顔を伏せてソルの表情を見ていない所為でもあるが……そもそも疑っていない。あまりに盲目的な信仰。
彼等にとっては偉大なる光の神なのだ。幼子の稚気など想定の外。
ゆえに、当然のように打開策の案を口にする。
オプティムスが、顔を上げぬまま進言した。
「……魔境の森に赴き、レベルを向上させようと思っています。貴方様の力に頼り切らぬ、真の戦士へと鍛え上げれば必ず――」
「あ、駄目駄目」
ソルは、出鼻を挫くように即座に言った。
「今は森に行くの禁止ね。僕の命令があるまで、行っちゃいけないよ?」
「……!」
顔を伏せたままでも、加護者たちの緊張が強まるのが分かった。
森へ行くな。簡単にソルは言うが、それでは地力を上げられない。レベルを向上させるには訓練では限界がある。死地を乗り越えなければ、レベルは上昇しないのだから。
だがこれにはそれなりに理由があった。
「あの黒竜だけど……眠りが浅くなってるから。遠目でも気付かれるかも」
「……!」
「ちょっと外界で騒ぎがあったみたいでね。その余波が竜まで届いたんだと思う。たぶんだけど」
軽い口調。
だが、その内容は一切軽くない。
神聖国の者なら誰もが知っている。
黒竜大魔。森の北に座す暴虐の番人。
あれが再び目を覚まし、四年前のように暴れ出したなら――今進めている侵攻計画など、根本から覆される。
先ほどまで怒りに震えていたオプティムスでさえ、その名には本能的な冷たさを覚える。
だが。
「それで……さぁ?」
にこりと、ソルが笑う。
「その起きかけの竜を使って、四年前の続きをやろうと思うんだ」
「四年前の……続き」
思わず、オプティムスの声が掠れた。
四年前。
黒竜が暴走し、森そのものを壊しかねぬほどの激戦が起きた、あの時。
他の番人たちが竜とぶつかり、世界が裂けるような力が乱れ飛んだ、あの悪夢のような時間。
結果として竜は止まり、番人たちは生き残った。
神聖国にとっては、願ったはずの「共倒れ」が果たされなかった失敗の記憶。
「おお、それでは私たちに……!」
オプティムスの声が、わずかに上ずる。
「かつての失敗を覆す機会が! 汚名を雪ぐ機会があるというのですね!?」
「うん、そうだよ。今度は上手くやろう。大丈夫。もう竜の動きは解ってるし、四年前みたいな失敗は起こらないさ」
ソルは無邪気に語った。
そのまま、少年神は膝をつく信徒たちを見回す。
慈しむように。
玩具箱の中のお気に入りたちを眺めながら。
「そうだろう? 僕の大切な信徒たち?」
その一言で、オプティムスは思わず顔を上げてしまった。
本来なら赦しなく神と目を合わせるなど、あり得ぬ不敬だ。
けれど、そんな規律を吹き飛ばすほどに、その言葉は甘美だった。
大切な信徒。
そう呼ばれた。
恍惚。
それ以外に表現しようのない熱が、オプティムスの顔に浮かぶ。
ソルはその顔を見て、実に満足そうに微笑んだ。
「あの竜の力は強大だ。でも弱点は分かってる。あの竜は森から出られない」
「……!」
四年前の戦いで判明した事実。
黒竜は恐ろしく強い。
だが、その在り方は他の番人たちと同じく、森の内に縛られている。
外へ出る機能が、最初から存在しない。
「しかし、力は振るえる。四年前、僕が障壁を張らなかったら、この国まであいつの吐息が届いていたかもしれない」
けれど手が届かなかったとして、その力は別だ。
暴虐の吐息。破滅の波動。黒く染まった大竜が振るうその力は、上位神の領域に届く。
いや、単純な出力でいえば上位神であるソルをも上回る。だからこそソルは四年前守勢に回るしかなかった。
どんなに屈辱でも、守りを固めるので精一杯だった。
「森から出られない。でも、力は森の外まで届く。そして黒竜にまともな思考は皆無」
故に――考えた。
黒竜の特性と、その力の強さ。そして暴走した竜の思考形態。
もうあの竜に、マトモな考えは働かない。ただ暴れまわるだけの災厄だ。
ならば……ならば。
「あの破滅的な力を「誘導」することができる」
餌で獲物を釣るように。
囮で行動を縛るように。
獣の本能を逆手に取るように。
使いようによっては、盤面を切り開くための「道具」になる。
「――邪魔な山を壊しちゃおうか? あの化け物の力で」
輝かしい笑顔で、ソルは言った。
その瞬間、大聖堂の空気が凍りつく。
東西の山脈。
北の民を閉ざし続けた天然の壁。
何百年も越えられず、信仰の閉塞を生み、神聖国という淀みを育てた障害。
それを黒竜の力で破壊する。
あまりにも大胆で、あまりにも歪んだ計画。
しかし上位神級の力ならば……決して夢物語ではない。山のひとつやふたつ、粘土細工のように弄るだけの力を上位神は持っている。
だがソルには出来ない。力の有無ではなく、ソルが直接力を振るい山を破壊すれば、天界の覇皇神が動き出す。
盤面の安定を優先させるヴェルミクルムは、ソルの直接行動を見過ごさないだろう。
けれど森ならば。
天界からも見通せない魔境の森からならば。
ソルとは無関係な黒竜が、外界に向かって力を振るうのならば。
おそらく、ヴェルミクルムは黙認する。
これは考えがあってのこと。
もしも森の内部にまで覇皇神が介入するのなら――そもそも四年前に動いている。
あの、世界を壊しかねなかった番人同士の戦いを、見過ごす筈がない。
ならば結論は――見えていないのだ。覇皇神ヴェルミクルムの視座を持ってしても、魔境の森の全貌は覗けない。つまり天界が動き出す可能性は非常に低い。
仮に動いたとしても、覇皇神の裁きは、実際に力を振るう黒竜に行くだろう。
そんな計画をソルは、まるで新しい遊びを思いついた子供のような無邪気さで語る。
光輝神ソル・サンクトゥス。
その輝きとは裏腹に、心の深奥は澱みきっていた。
白い大聖堂の中心で、少年神だけが明るく笑う。
その足元に信徒たちは膝をつき、未来の破壊を祝福として受け取る。
神聖国は、もう後戻りできないところまで来ていた。
第八章はこれで終了です。
次からは第九章。神々も動いて、てんやわんやです。
……突然ランキング上位に載って、作者は現在右往左往してます。
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