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異世界転移したけど森の奥で引きこもってます。スカウト? いやぁ、森から出る気はないので遠慮します  作者: 初音の歌
第八章

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第121話・昔話①


 それは、今より遥か昔の話。


 まだ世界の輪郭が、生まれたばかりの頃。

 国境もなく、地図もなく、街道もなく――人の言葉すらなかった時代。


 その世界の中央に、最初に置かれたものがあった。

 蛇である。


 巨大な蛇。

 あまりにも巨大で、その全てを見た者は誰もいない。

 天を貫くほどの長躯を持ち、身じろぎひとつで空気を震わせ、ただそこに在るだけで境界を定めるもの。

 それが最初の番人――世界天蛇(イオルムンガンドル)


 蛇は、世界の中央に配置された。

 理由を知る者はない。

 けれど古い者たちは言う。

 あれは、ほころびを噛み止めるための楔であったのだと。

 世界がまだ柔らかく、形を保つことすら難しかった時代に、まず最初に必要だったのは果てを定めることだったのだと。


 蛇は、ただそこにいた。

 眠るように、だが決して死なず。

 何万年と目を閉じたまま、それでも確かに世界を支えていた。

 いつしか、その蛇の周りに森が茂るまで。




 次に、生えたものがある。

 樹だ。


 一本の樹。

 されど、ただの樹ではない。

 枝は風を呼び、葉は光を受け、根は大地の奥底まで食い入り、土と水と命の巡りを抱き込んで離さぬ樹木。

 豊穣と繁栄。

 芽吹きと成長。

 育ち、増え、満ちるという理そのものを宿した存在。


 その樹は森の西に生えた。

 やがて人は、その樹の意志を女帝と呼んだ。

 西の番人――樹神女帝ドライアド・エンプレス

 最古にして最大。森そのものを身体とする、気高く恐ろしい女帝。


 西に樹が生えたことで、森は息づいた。

 土は肥え、水は巡り、命は芽吹き、草木は生まれる。

 生きること、増えること、満ちること――その理が、西に根を下ろした。





 そうして長い長い時が流れた。


 森の外では、人が少しずつ増える。

 最初は火を囲むだけの群れ。

 次に、川辺へ杭を打ち、小さな囲いを作った。

 やがて囲いは村になり、村は集落になり、集落は他と争い、奪い合い、守り合いながら、少しずつ「大きなまとまり」を生んでいく。


 国家。

 その名が生まれるより先に、既にそう呼ぶしかない形が出来始めていた。


 集落ではなく、国。

 人が人を束ね、王を頂に置き、その下に貴き者と、さらにその下に多くの民を置く形。

 今とは違うかもしれない。どの時代も、その在り方は少しずつ変わるのだから。

 だが最初は確かに、そういう形だった。


 人の世が、そうして重く複雑になり始めた頃。

 森の北に、もう一つの楔が置かれた。





 竜である。

 黒い竜。

 夜そのものを鱗に変えたような、巨大で古い、凶威の化身。

 その咆哮は理を揺らし、その羽ばたきは災厄を呼び、その瞳は生きとし生けるものの欲と憎しみと闘争を映して歪まずに見つめる。

 それが、北の番人――黒竜大魔デモン・ヴェルドゥーム


 なぜ北に竜が置かれたのか。

 それもまた、誰にも分からない。

 だが古い伝承は囁く。

 人の国が生まれたからだ、と。

 小さな群れではなく、大きな意志と、大きな欲と、大きな秩序を持つものが世界に現れたからこそ、それに釣り合うだけの楔が必要になったのだと。


 蛇が世界の外縁を定め。

 樹が命の豊かさを支え。

 竜が国と争いと力の均衡を睨む。

 そうして森は、いつしかただの森ではなくなっていった。


 長く。

 本当に長く。

 気の遠くなるほど長い時間が経った。


 森の外では世界が変わった。

 集落は街になり、街は城壁を持ち、王は冠を戴いた。

 物々交換は終わり、通貨が生まれた。

 金属は価値を与えられ、刻印は信用を生み、人は数字の上でも争い、結びつき、騙し合い、支え合うようになった。


 戦争も起きた。

 奪い合いも、交流も、裏切りも、婚姻も、同盟も、全てが幾度となく積み重なった。


 世界は続いた。

 長く、長く続いた。




 そして、ある時。

 北の空に、光が降りた。


 北の大地は、厳しい。

 雪が深く、風は鋭く、土は痩せる。

 暖炉の火が絶えれば、そのまま朝を迎えられぬことさえある。

 人が生きるには、あまりにも冷たく、あまりにも苦しい土地。


 その空に。

 まるで凍えた手を包み込むように、ひとつの光が降りた。

 だからこそ、人々はその光に縋った。


 暖かかったのだ。

 救われたように思えたのだ。

 凍える大地で、確かに自分たちを見つけ、照らし、肯定してくれる何かがあると信じられたのだ。


 北の民は感謝した。

 信仰した。

 崇拝した。

 己が命も、労働も、祈りも、未来も、捧げることを厭わなかった。


 この神こそが、世界を救うのだと。

 この光こそが、凍てつく時代を終わらせるのだと。

 その思いは、やがて確信となり、確信は教義となり、教義は国の骨になった。


 光の神は留まった。

 天へ帰らず。

 北の大地を去らず。

 人々の祈りを受け、その地に座し続けた。


 何か理由があったのかもしれない。

 あるいは、本当に人を見捨てられなかったのかもしれない。

 その真意を知る者は、今もいない。


 だが事実として、光の神は北に留まり、

 その下に、人々は国を築いた。


 聖なる国。

 光輝神を頂き、教えを礎とし、祈りを法とする国。


 それが、神聖国。

 そうして世界はまた、新しい形を得た。





 ◇◇◇





「――と、それが神聖国に伝わっている昔話の一部です。中々、興味深いでしょう?」


 揺れる馬車の中で、例の胡散臭い商人は実に満足げにそう締めくくった。


 車輪が街道の石を踏むたび、僅かな振動が足元から伝わってくる。

 窓の外では、リュムノワールを離れた街道沿いの風景がゆっくりと流れていた。鍛冶の街の煙はもう遠く、今は穏やかな丘陵と畑、ところどころに点在する林が、夕暮れの光に斜めに照らされている。


 馬車の内装は豪奢だった。

 王族用に整えられた車体は、揺れを抑える工夫が施され、座席の張地ひとつとっても庶民の目に触れれば卒倒しかねない品だ。壁には控えめながら細工が施され、窓枠には魔導的な防音と遮熱の処置が行われている。机代わりの折り畳み棚まで備え付けられており、長距離移動の最中に書類仕事まで想定されていた。


 そこに今、レジーナ、ラディウス、ニクス、そして商人の四人が向かい合って座っている。

 あまりにも不似合いな組み合わせだった。


「ところで王女殿下。本当にこんな豪華な馬車に、私達が乗っていてよろしいのですか?」


 商人が、いかにも遠慮しているような顔で言う。

 口調だけは殊勝だが、顔には欠片も恐縮が浮かんでいない。


「よろしいわけがないでしょう」


 レジーナは即答した。

 ぴしゃり、と扉でも閉まるような返答。

 商人は「ですよねぇ」とでも言いたげに肩をすくめるが、少しも堪えた様子はない。


「この馬車は平民を乗せる前提で作られていないの。王都で素性の知れない男二人を乗せていたと知れたら、一大事どころでは済まないわ」

「しかし、こうして実際に乗せてくださっている」

「ええ」


 レジーナは窓の外へ目を向けたまま、さらりと言った。


「――まあ、バレなければいいのよ。王都が見えたら降りる。それでいいわ」

「うーん、その気前のいい発言! 流石は王国が誇る社交の華! 実務に寄った効率優先のその考え! 本当に素敵だと思います!」

「お前は少し黙っとけ」


 商人の横で、ニクスが頭の痛そうな顔をして突っ込む。

 白い髪に手をやりこめかみを押さえる仕草が、心底うんざりしていることを物語っていた。


 王女に対してまるで物怖じせず、好き勝手喋り続けるこの商人に、ニクスですら辟易としているらしい。

 だがレジーナは、もはやその手の反応を期待していないのか、気にした様子も見せなかった。


「構わないわ。その男の性質は大体分かったし」


 組んでいた足を少しずらし、レジーナは静かに言う。


「相手にしないのが一番いいのよ。ただ必要な情報だけ吐き出させて、それを私が聞くだけ。読みにくい本を眺めていると思えば、大して腹も立たないわ」

「ええ? 私は喋るだけ喋れば用済みってことですか? そんなぁ」

「捨てられたくなければ、早く話しなさい」


 穏やかに微笑みながら、レジーナの冷えた声音が響く。


「神聖国のこと。森の番人のこと。あなたが「迂闊に外へ漏らせない」と言ったから、特別に乗せてあげているのだけど?」

「いやぁ、これは重い期待ですねぇ」

「期待ではなく命令よ」


 向かいに座る商人を、レジーナは細い眼差しで見据える。

 王族としての圧が、その視線に乗る。だが商人は、それを受けても笑みを崩さない。

 穏やかで、柔らかくて、どこまでも底の見えない笑みだった。


 その横で、ラディウスが静かに座している。

 交渉は完全にレジーナへ任せている。自分が口を挟むより、この場では彼女が全ての流れを握った方が良いと分かっているのだろう。ただし、いつでも動けるように姿勢は崩さない。武人の待機であり、夫としての備えでもあった。


 馬車の外、少し後方には別の車両が続いている。

 そこには、リュムノワールで捕縛された老商人――正体を現した神聖国系工作員が、厳重に拘束された状態で移送されていた。焼身自殺を図った傷は深い。だが死なれては困る。今は治療を施され、喉と手足を封じられたまま、王都へ運ばれている最中だ。


 彼の屋敷から押収された証拠品も、別の護送で運ばせている。

 焼け残った帳簿、符丁の入った書簡、金の流れを示す記録、偽装された取引台帳。全てが、王都へ戻ってから本格的に洗われることになるだろう。


 この馬車に乗っている二人――ニクスと商人も、本来なら別の馬車で括って運びたいところだった。

 だが、商人が言ったのだ。

 帰還の途上で話す、と。

 神聖国のことも、森の番人のことも。

 それらは、とてもではないが安易に言い触らせていい類の話ではない、と。

 だから今、王族用の馬車の内部というある意味で最も盗み聞きされにくい空間で、奇妙な同乗が成立している。


「それで?」


 レジーナが促す。


「今語った昔話が、あなたの言いたかった情報なの?」

「と、申しますと?」

「確かに気になる伝承ではあったわ。世界天蛇、樹神女帝、黒竜大魔、そして北へ降りた光の神――初めて聞いた話だし、興味深いのも本当」


 レジーナは、商人を真っ直ぐ見た。


「でも、今回の件にも賢者様にも、あまり関係があるようには聞こえなかったわ」

「なるほど」

「あなた、言ったわよね。神聖国のことと森の賢者は、決して無関係ではないと」

「ええ、言いました」

「だったら、本題に入りなさい」


 王族の圧が、言葉と視線の両方に乗った。

 柔らかい口調ではある。だがこれ以上、迂遠な話を許す気はないという意志は明白だった。


 普通の貴族なら、それだけで萎縮しただろう。

 少なくとも、多少は言葉を選び直したはずだ。

 だが商人は、正面からその視線を受けてなお、笑みを崩さなかった。


「――今の話は前提ですよ」


 どこまでも穏やかな口調でそう返す。


「これから話す内容の土台です。そこを理解していただかないと、何を言っているのか分からなくなるでしょうから」

「もったいぶるわね」

「商人は話の順番が命ですので」


 レジーナは、姿勢をほんの少しだけ正した。

 視線を逸らさず、商人を見る。


「続けなさい」

「はい、喜んで」


 その返答がまた軽い。

 王族用の馬車は、規則正しく揺れながら街道を進んでいく。

 中には、王女と聖騎士と、白い青年と、胡散臭い商人。

 本来なら同席するはずのない四人が、今は狭い箱の中で向かい合っていた。


 そして商人の話は、まだ序盤にすぎない。

 そのことだけは、レジーナにも痛いほどよく分かっていた。



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