表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界転移したけど森の奥で引きこもってます。スカウト? いやぁ、森から出る気はないので遠慮します  作者: 初音の歌
第八章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

124/135

第122話・昔話②


 北の大地に光の神が降りてから、その国は目に見えて変わっていった。


 寒さに閉ざされ、痩せた土に喘ぎ、白い息ばかりを吐いていた民の暮らしに、少しずつ余裕が生まれたのだ。

 作物が育つようになった。

 凍てついた風に枯れるばかりだった草木に、緑が増えた。

 獣の毛皮を重ねるしかなかった衣は、布へと変わり、さらに工夫が加えられた。

 家の壁は厚くなり、炉は長く燃え、子供たちが寒さに震えながら夜を越える日も減っていった。


 暖かな太陽の日差し。

 それは、まぎれもなく人々の生活に潤いを与えた。

 光の神の恩寵は、奇跡というより、日々の暮らしの中へ静かに染み込むものだった。

 朝に凍えず起きられること。

 畑に芽が出ること。

 冬を越えた先に、春が来ると信じられること。

 そうした一つ一つが、北の民にとっては十分すぎるほどの救いだった。


 だが、光があるからこそ見える影もあった。


 まずひとつは、山脈である。

 北の大地を囲うようにして、険しい山々が連なっていた。

 東も西も、石と雪の天然の壁が行く手を塞いでいる。

 人が越えるにはあまりに過酷で、あまりに遠い。

 人の足で辿り着ける場所など限られており、多くの民はその一生を、山のこちら側だけで終えた。


 それが、悔しかった。

 光の神の教えは正しい。

 この暖かさは真実だ。

 この救いは本物だ。

 ならば、何故それを北の地だけに留めておかねばならないのか。


 いずれ、その思いを抱いた者達が現れる。

 少数だった。

 けれど、確かにいた。


 必ず神の教えを広げてくる。

 必ず我らの正義を外へ示してくる。

 そう言って、山を越えようとした者達がいた。


 彼らは祈りを受けて送り出された。

 残る民は、火を囲み、膝をつき、白い息を吐きながら願った。

 どうか彼らに神の御加護があるように、と。

 どうか神の光が、険しい山の向こうにまで届くように、と。



 そして人々は、次に南へ目を向ける。

 そこには、山脈に塞がれぬ道がひとつだけあった。

 広大な森。

 大陸中央へと繋がる、深く果てしない森。

 あの森を越えれば、外界へ行ける。

 そう考える者が現れるのは、自然な流れだった。


 だが、それもまた上手くいかなかった。

 何故なら、森には黒竜がいたからだ。


 巨大で黒く、空を覆うような翼を持ち、咆哮ひとつで人の心胆を凍らせる竜。

 恐ろしいのは、その見た目だけではない。

 北の大地で最も強いと謳われた戦士でさえ、その爪の一振り、一踏みで終わる。

 勇気も、鍛錬も、信仰も、あの竜の前では何の意味も持たなかった。


 勝てない。

 太刀打ちできない。

 それは、認めたくなくとも認めざるを得ない現実だった。


 民は神に祈った。

 あの竜をどうにかできないものかと。

 どうか、あの黒き邪悪を退けてほしいと。


 光の神は困った。

 助けてやりたい。

 救ってやりたい。

 その思いは本物だった。


 だが、黒竜は強すぎた。

 あまりにも古く、あまりにも大きい。

 光の神でさえ、その力は及ばない。

 神は民を護ることはできる。北の大地の中に留まる限り、暖かさと祝福を与えることはできる。

 けれど森へ踏み込み、あの竜を屈服させるには届かない。


 だから神は言った。

 森へ行ってはならない、と。

 この国に留まるなら、自分が護ってやれる。

 だが森に出たなら、護れないのだと。


 その言葉に、民は悲しみながら従った。

 光の神に逆らうことはなかった。

 神は暖かさをくれた。

 神は救いをくれた。

 神に返せるものなど、信仰と服従以外に何があるというのか。


 民は祈った。

 神の教えに従った。

 神が喜ぶとされることを、何でもした。



 そうして、また長い歳月が流れる。



 ある時だった。

 森で異変が起きた。


 あの忌々しい黒竜が、苦しんでいる。

 理由は分からない。

 何故なのか、理屈は誰にも分からない。

 だが確かに、黒竜が苦しんでいるのだ。


 北の民はざわめいた。

 最初は恐れた。

 何か別の災厄の前触れではないかと。


 だがやがて、その変化にひとつの意味を見出す者が現れる。

 自分達が神の教えに従い、善行を積めば積むほど――竜は苦しむ。

 そう見えたのだ。


 祈りが届いたのだ、と人々は思った。

 光の神への百を超える年月の信仰が、ついにあの邪悪な竜を焼き始めたのだと。

 神の正しさが、森の奥に届いたのだと。


 竜は森から出てこない。

 それはこれまで忌々しい事実でしかなかった。

 だがその時、人々は初めてそこに感謝した。

 森に留まり続けるのなら、そのまま焼き続ければいい。

 祈りで、善行で、信仰で。

 北の地に留まり、神の教えを積み重ねることで、いつかあの黒竜を滅ぼせるのだと。


 ますます民たちは光の神に祈った。

 ますます教えに従った。

 神が喜ぶというなら何でもやった。

 祈りは熱を帯び、熱は信仰となり、信仰は国そのものの形を変えていった。



 そうして、また月日が流れた。



 ある日。

 森の南部に、新たな気配が生まれる。


 それは獣でもなければ、竜でもなかった。

 まして北の民の知る人間とも少し違う。

 異界より訪れた異邦人。

 この世界の理から僅かに外れた、どこか異質な何か。


 光の神は、その気配を掴んだ。

 遠い森の奥で。

 長く閉じていた盤の上に、新たな駒が置かれたことを知ったのだ。


 それが何を意味するのか、その時点ではまだ誰にも分からない。

 だが、北の神は見逃さなかった。


 森に、新たな番人が生まれた。





 ◇◇◇





「――待ちなさい」


 レジーナの声は静かで――けれど断ち切るように鋭かった。

 向かいに座る商人が、ちょうど次の言葉を口にしかけていたところ。にこやかな笑みもそのまま、目だけを少し丸くして首を傾げる。


「はい? どうしました? ここからが本題なのですけれど?」

「……今のは、何?」


 言葉の途中で切り込まれた商人は、相変わらず穏やかな顔をしている。

 だがレジーナの方はそうではない。王族の優雅さを保ちながらも、視線の鋭さだけは隠していない。

 先程まで商人が語っていたのは、神聖国に伝わる昔話――あるいは神話の一節。

 気になる話ではある。むしろ先が聞きたい。

 だがそれ以上に、無視できない単語が幾つか混ざっていた。

 商人は小さく肩をすくめる。


「何、とは? 私は王女殿下ではありませんので、正確に言っていただかないと」

「……っ……まずひとつ」


 レジーナは息を整え、言葉を選ぶ。


「少数の者が山を越え始めた、と言ったわね? それはまさか――」

「はい。その通りかと」


 商人はあっさり頷く。


「これが、おそらく外界で「闇ギルド」を創設した者たちなのでしょう」

「――――」


 馬車の中の空気が一瞬止まる。

 レジーナは、目の前の男をじっと見据えた。

 声音は軽い。態度も軽い。

 だが、口にした内容はまるで軽くない。


「詳しくは解りませんが、最低でも数百年前から――山を越えて外の大地を見た者が、情熱をもって闇ギルドを創り上げた」

「情熱ですって……?」


 レジーナの声に、はっきりと棘が宿る。

 王女の威厳ではなく、王族として国家を背負う者の怒りに近い。


「あなた、闇ギルドの活動を知っていて、そのような言い方をするの?」

「だからこそですよ」


 商人は笑った。

 そこだけ見れば、むしろ穏やかですらある笑みだった。


「苦しく厳しい大地から、ようやく山を越え、初めて外の世界を見た彼ら――その胸に湧いた感情が、歓喜だとは到底思えないのです」

「…………」

「おや?」


 商人は、レジーナの顔色を見て目を細めた。


「王女殿下も思い至りましたか?」

「……」

「ええ、きっとその通りです。山を越えて、初めて「他国」を認識した彼らは――きっと、憎悪したことでしょう」


 その言葉は、静かだった。

 静かなのに、重かった。


 北の大地は寒い。

 ただ寒いのではなく、生きることそのものが削られていく種類の寒さだ。

 神の加護が降りた後ですら、なお厳しい。

 ならばその前はどうだったのか。

 それはきっと……子が冬を越すかどうかが運任せで、春になった頃には、泣きすぎて声も枯れた親たちだけが残るような土地。


 そんな地獄から山を越えた先に、違う世界がある。

 寒さはあるが、致死ではない。

 作物は育つ。

 交易が成り立つ。

 飢えと凍死が前提の世界ではない。


 その光景を、初めて見た北の民がどう思うか。


 国同士の争いがある?

 だから何だ。


 魔物の被害がある?

 それがどうした。


 話し合いで済むことではないのか?

 力を合わせれば退けられることではないのか?

 これだけ恵まれた土地と食と人の数と文明を持ちながら、お前たちは何を、そんな「くだらないこと」で揉めているのだと。


 その理不尽。

 そのやるせなさ。

 その怒り。

 それは確かに――歓喜では済まないかもしれない。


「私もニクスさんも神聖国の土地は見ました。肌で感じました」


 商人の声は続く。


「確かに――確かに、その点に関してだけは、神聖国の言い分に多少の理はあります。神の加護あってなお、あの土地は寒い。光の神が降りる以前は、一体どれほどの地獄だったのか」

「……」


 レジーナは口を開かなかった……開けなかった。

 その土地を見たことがない。

 その寒さを、肌で知ってはいない。

 知らぬことを、知った風に語るのは彼女自身が嫌うところ。


「もっとも、最初この昔話を聞いた時、山越えが闇ギルドの創立に繋がっているとは、私も夢にも思いませんでしたがね」


 商人は肩をすくめた。


「精々、外で布教活動でもしていたのだろうと」

「そうね……」


 レジーナはゆっくりと息を吐く。


「私も、先の事件で闇ギルドの影が見えなければ、線では結ばなかった」

「でしょう? 本当に北の国は根が深い」


 商人は、どこか遠いものを見るように馬車の天井を見上げた。


「どこまでも太く、奥底まで張っている。神が降りた年月から考えれば、千年分の根深さです」

「……」


 その言葉に、ニクスは何も言わなかった。

 けれど窓の外へ向けていた視線が、ほんの僅かだけ冷えた気がした。

 レジーナは、その変化を見逃さなかったが、今は追及しない。

 商人の話を遮った理由は、もう一つある。


「次、ふたつめよ。森の南部に、新たな番人が生まれた――と言ったわね?」

「ええ。言いましたよ?」

「……それはつまり、遥か昔から賢者様は森にいた、ということ?」


 一瞬だけ。

 レジーナの声に、王女としてではない別の感情が混じった。

 もしそうなら、話が変わる。

 国と国の問題ではなく――アウローラの問題として、ひどくまずい。


 有羽の見た目は二十そこそこ。

 アウローラと大きく離れた年には見えない。

 だがもし、長命種だったり、あるいは姿だけを若く保つ類の存在であったなら――それは姉として、笑って見過ごせる類の話ではなかった。

 商人は、そんなレジーナの内心に気づいたのかどうか。

 小さく手を振って笑った。


「――ああ。いえいえ、違いますよ。すみません、誤解させてしまいましたかね」

「……」


 アウローラの想いを、レジーナは知っている。

 真っ直ぐに有羽を見つめる妹を見てしまった以上、相手の年齢が「実は何百歳です」「寿命が違います」みたいな悲劇は、姉としていただけない。

 そういう意味で、ひとまず安堵した。

 だが同時に、新しい違和感が生まれる。


「では、どういうこと?」


 今の昔話は、神聖国の伝承で語られているという。

 ならば、今しがた出た「森の南の新たな番人」という記述は、どの時点の話なのか。


「はい、それは簡単です」


 商人はあっさり答えた。


「神聖国の伝承は、現在進行形で書き足されているからです」

「……え?」

「お忘れですか?」


 笑みを深める。


「あの国は唯一、神が実在している国なのですよ。後世に伝えるための昔話は、常に執筆中なんです」

「……」


 レジーナは、一瞬言葉を失った。

 けれど納得できる部分も、確かにある。


 確かにそうだ。

 実際に神が地上へ降りており、その信仰が国の骨格を成している。

 ならば神の偉業を讃える物語は、過去形だけでは済まない。

 新たな出来事が起これば、それはそのまま「神話」へ編み込まれる。


 王国にも歴史はある。

 名君も、忠臣も、英雄も、記録され、語り継がれてきた。

 それと同じことを、神聖国では「神の名」で続けているだけ。

 ただ、そこに実在の神がいるというだけで。


「なので正確には、昔話ではなく「今話」とでも言いましょうか。いやぁ、おかしな言葉ですねぇ」

「……今話でも昔話でも、どちらでも構わないわ」


 レジーナはぴしゃりと言い切る。


「それよりも」

「はい、何でしょう?」

「……異界より訪れた異邦人。それは、どういうこと?」


 そこが、一番引っ掛かった。


 異邦人。

 異界より訪れた異邦人。


 歴史書を読んできた。

 王国の書庫も、他国から取り寄せた記録も、禁書庫に近い分類まで、レジーナは王女として、外交のために目を通してきた。

 だが、それでも「異界」という言葉の意味が、今ひとつ噛み砕けない。


 単純に考えれば、神々の住まう天界。

 あるいは悪魔の棲む魔界。

 しかし――。


「いいえ――天界でも魔界でもありません」

「……」

「文字通りの、異なる世界です」


 その言葉が、静かに落ちる。

 誰もすぐには言葉を発せなかった。

 車輪の音だけが、遠く、規則正しく続いている。

 商人だけが、相変わらず落ち着いた笑みを保っていた。



「異世界から――かの賢者様はいらっしゃったのですよ」

「――――」



 言葉は紡がれる。

 事実は語られる。


 世渡有羽。

 森の賢者。

 森奥に住まう、あの黒髪の青年。


 それが、ただの森の変人ではなく。

 ただの賢者でもなく。


 もっと大きな何かの一部なのだということを。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ