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異世界転移したけど森の奥で引きこもってます。スカウト? いやぁ、森から出る気はないので遠慮します  作者: 初音の歌
第七章

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第114話・動き出す世界


 帝国軍が国境線から離れ、大河の水音がようやく遠のき始めた頃。

 ウィルトスの背中で、アギトはゆっくりと目を覚ました。


 最初に感じたのは痛みだった。

 全身が焼けるように痛い。肌の表面だけではない。身体の奥、骨の奥、もっと深いところまで、あの熱線の名残が居座っている。

 力が入らない。手を握ろうとしても指先が言うことを聞かず、呼吸をしようとすれば胸の内側が軋んだ。


 視界は酷く揺れていた。

 上下左右に小刻みに揺れている。最初は自分がまだ墜落を続けているのかと思ったが、違う。揺れているのは、背負う誰かの歩みの所為。


 その誰かは、自分より遥かに小さな力の持ち主。

 遥かに小さく、遥かに脆く見える人間の背中。

 だがその背は、妙に大きかった。


「……あ」


 喉から漏れた声は、自分でも驚くほど掠れていた。

 すぐに、その声に反応した笑い声が落ちてくる。


「お? 目を覚ましたかアギト。うわっはっはっは! 余たちは見事に負けてしまったなぁ!」


 豪快で、遠慮のない笑い。

 帝王ウィルトスの声。

 アギトはうっすらと目を開ける。

 見えるのは、ウィルトスの首筋。汗に濡れた後ろ髪。負けた男からは遠くかけ離れた声。

 周囲を歩く帝国兵たちも、緊張しきった顔ではなかった。


「いやぁ、ありゃ反則だろ!」

「反則っていうか、あの黒髪はもう人の形した災害だろ?」

「同意だ。あんなのが王国に味方してるとか、ちょっと反則すぎる!」

「笑い事じゃねぇが、笑うしかねぇな!!」

「生きて帰れてる時点で儲けもんだろうよ!!」


 口々にそんなことを言い合っている。

 強がりもあるだろう。空元気もあるだろう。

 だが、それだけではない。

 まるで――「誰か」の失敗を、敢えて軽口で吹き飛ばしているようだった。

 先走った誰かを、暴走した誰かを、責めるより先に笑い飛ばしてやろうというように。

 アギトは、その空気に居心地の悪さを覚えた。


「…………何も言わないの?」


 ぽつりと問う。

 ウィルトスは歩みを止めないまま、少しだけ首を傾けた。


「何をだ? 何か言ってもらいたいのか?」

「…………」


 問い返されて、アギトは押し黙る。

 自覚は、ある。

 あるどころか、嫌というほど自分で分かっていた。

 感情を抑えられなかった。

 三年前、帝国兵を焼き払ったという王国の第二王女。その本人を目の前にして、胸の内側がぐちゃぐちゃになった。

 酒宴で聞いた話。死んだ兵の話。悼む声。悔しそうに笑う老兵たちの顔。

 それら全部が、目の前のあの王女と結びついて――幼い情緒の我慢が効かなかった。


 そして、爪を振るった。

 帝王の制止も振り切って、境界を越えた。

 その結果が、これだ。


 南の隠者に惨敗し、焼かれ、叩き落とされ、ボロ雑巾にされて、それでもなお見逃された。


 アギトだって馬鹿ではない。

 勝って引き上げたならまだしも、こうして拾われ、背負われ、命だけ繋いで返された以上、帝国の立場が悪いことくらい分かる。


「……アタシ、おじさんの言葉無視したじゃん」

「おうよ。余の制止を無視して突っ走りおって。困った奴だ」


 妙にあっさりした返答だった。


「……立場、悪くなっちゃったじゃん」

「そりゃあなあ。領域侵犯、条約無視、武力衝突……うーむ、賠償のことを考えると頭痛が止まらんわ」


 ウィルトスは本当に困ったように笑った。

 笑っているが、額にはちゃんと皺が寄っている。冗談ではなく、本気で頭が痛いのだろう。

 それなのに――アギトを責める色は一切ない。

 その反応が、逆にアギトには分からなかった。


「……なんで、見捨てなかったの?」


 ぽつりと落ちた問いに、周囲の笑い声が僅かに静まる。

 それが、アギトには本当に分からなかった。

 あの場で自分を見捨てるのが、国としての最良の答えだったはずだ。

 責任をアギトに押しつける。

 実際、それがもっとも自然な流れでもある。


 レベル八十五の怪物。

 帝国の命令など聞かず、制御もできず、森で偶然拾っただけの天災まがいの存在。

 そう前面に出せば、完全に責任を免れることは不可能でも、帝国の立場は確実に軽くなる。

 それなのに――帝国の者たちは、誰一人、自分を切り捨てなかった。

 ウィルトスは少しだけ肩を揺らし、当たり前のことでも言うみたいに答えた。


「そりゃお前。余とお主は友ではないか。ならば見捨てれぬよ」

「……それは、朧気だけど聴こえてた。でも、それが意味わかんない。アタシがなんで、友なの……?」


 掠れた声で問うアギト。

 その問いに、ウィルトスは笑うことをやめた。

 笑みは残したまま、しかし声音だけは少し深くなる。


「なんでもクソもあるか」


 ウィルトスは、今度は笑わずに言った。

 その声だけ、少しだけ低かった。


「怒ったのだろう? 許せなかったのだろう? 理屈ではなく感情で、かつて余の国の兵を焼いたあの王女が――お主は許せなかったのだろう?」

「…………」


 アギトは答えない。

 答えないが、否定もしない。


「それが理由よ」


 歩きながら、ウィルトスは淡々と続ける。


「酒を酌み交わし、同じ戦場に立ち、そして「友の死を悼む」。ここまで揃えば、そりゃ友だ」


 そこでウィルトスは、少しだけ首を横に向けた。

 背中のアギトに表情は見えない。

 だが、その声音だけで、笑っているのが分かる。


「お主は余たちの朋友だ」


 兵の何人かが、小さく笑った。

 肯定の笑い。


「陛下の友認定、相変わらず早ぇな」

「だがまあ、間違っちゃいねぇ」

「同じ酒飲んで、同じ戦場に立ったんだ。友以外にねぇだろ」

「しかも嬢ちゃんは、酒も強ぇしな」

「大事なのはそこなのかよ」


 くつくつと笑いが漏れる。

 先程まで死地に立っていた男たちとは思えない、くだけた笑い。

 誰も「アギトの所為」とは言わない。

 ハガネですら、少し離れた位置を歩きながら、困ったように息を吐いた。


「……まったく。どいつもこいつも困ったものだ」


 そう言いながらも、その口元はほんの僅かに緩んでいる。

 アギトの胸の奥に、潰れるような痛みを覚える。

 痛いのは、焼けた身体の方ではない。

 もっと別の場所。


「助けた理由はそれだけだ」


 ウィルトスは、あっけらかんと言い切った。


「それだけで十分だ。それに比べれば賠償問題なぞ些事よ、些事! 結果はどうあれ、こうして全員生きて還れたのだ――十二分に大儲けよ!!」


 がはは、とまた帝王が笑う。

 兵たちも「違いねぇ」と笑う。

 誰一人、アギトを責めない。

 誰一人、「お前の所為で」とは言わない。


 それが、アギトにはきつかった。

 胸の奥で何かが溢れそうになる。

 何百年も生きてきて、こんな種類の苦しさを味わうとは思わなかった。

 隠すために、アギトはウィルトスの背中に顔を押しつけた。


「……ごめん」


 喉の奥で引っかかる。


「ごめんなさい……」


 何かが零れそうだった。

 いや、実際に零れていたのかもしれない。

 だがウィルトスも、兵たちも、それを指摘したりはしなかった。

 帝国の兵は、血と鉄と戦争で彩られた国の男たちだ。

 乱暴で、野蛮で、口も悪い粗野な男共ばかりだ。


 それでも――少女が背中で泣いている時に、見て見ぬふりをしてやるくらいの心意気はある。


 しばらくして。

 目元の熱が少し引いた頃、アギトはようやく顔を離した。

 頬が濡れている気がしたが、誰も何も言わない。ただ、いつも通りの顔で歩いている。

 その何も言わない漢気が、有り難かった。

 アギトは小さく息を吸う。

 そして、まだウィルトスに背負われたまま口を開いた。


「……これから、結構面倒くさい事になるかも。ううん、きっとなる」

「安心せい。国と国が絡むことは、基本的に全て面倒事よ。お主のやらかしがあろうとなかろうと――」

「いや、そうじゃなくて」


 アギトは少しだけ顔を上げる。

 その声音には、先ほどまでとは違う種類の重さがあった。


「……あの戦いの「余波」の話」

「む?」


 ウィルトスの足が、ほんの僅かに緩む。

 ハガネの目が細くなる。

 兵たちの笑いも、少しずつ止んでいった。


「隠者の奴は、空間を跳躍してきた」


 淡々と、アギトは言葉を紡ぐ。


「そして森の外で、あれだけ力を行使した」


 熱線。

 炎槍。

 暴風。

 海の召喚。

 空間のずらし。

 どれも一つで国が震える規模の術。

 あの「森の主格」が、本来の縄張りの外で本気に近い力を振るった。


「なら――その気配は、神々にだって届いたはずなんだ」


 ウィルトスの表情が変わる。

 豪快な帝王の顔から、戦の匂いを嗅ぎ分ける獣の顔へ。


「……それはつまり」

「うん」


 アギトは小さく頷く。


「北の神聖国……光輝神ソルも、絶対に感付いたはず」


 風が冷たくなる。

 周囲の兵たちが、無意識に山脈のある北の方角へ目を向けた。

 神聖国。

 唯一絶対の光を掲げる国。

 閉ざされた箱庭のような国家。

 加護持ちの兵を平然と他国へ送り込んだ、あの厄介極まりない北の国。


「何か動き出すかもしれない」


 アギトの声は低かった。

 国境線での衝突は、ひとまず収まった。

 だが今、別のところで、もっと大きな何かが軋み始めている。

 彼女は本気で言っている。

 さっきまで自分がやらかした問題とは別種の、もっと大きい厄介事が、もしかしたら始まってしまうかもしれないと。

 ウィルトスは少しだけ目を閉じ、深く息を吐いた。


「……まったく。せっかく生き延びたというのに、休む暇も無しか」


 苦笑のような、呻きのような声。

 だが、足は止めない。

 帝王も、兵も、剣聖も、みな歩き続ける。

 国境から離れ、帝国の砦へ。


 ひとまず戦いは止まった。

 王国との衝突も、今は遠ざかりつつある。

 だが、別の厄介事は、確実に動き始めていた。


 ――いや、むしろ。

 ここからが始まり。





 ◇◇◇





 そして――アギトの言うように、世界を揺らした「波」は、確かに届いていた。


 それは音ではない。

 光でもない。

 風ですらない。


 世界の表面を流れる何か。

 水面に落ちた石の波紋のようでいて、水とはまるで違う。

 存在の格を持つ者だけが知覚できる、「世界の帳尻合わせ」そのものの揺らぎ。


 森の外へ、有羽が出た。

 そして力を振るった。

 更にもう一度、空間を跳躍し、森へと帰還した。

 その二度の跳躍と、一度の戦闘。

 それら全てが、波として広がっていく。


 森の中に留まっていたのなら、あるいは気付かれなかったかもしれない。

 魔境の大森林という巨大な異常地帯は、もともと世界の観測からずれている。

 その深奥で起こる揺らぎは、普通ならば森に呑まれ、外には漏れ出にくい。


 だが、有羽は森の外で力を振るった。

 しかも中途半端ではない。

 世界天蛇の分身を圧倒し、空間を弄り、熱を歪め、距離と位相を無視した戦闘を行った。

 神々の領域に片足どころか両足を突っ込んだ術理を、何の躊躇いもなく現実へ叩きつけた。

 その余波は、森の外へと溢れた。

 外側に。

 そして、帰還の跳躍によって内側にも。


 つまり――有羽が発した「波」は、外にも内にも届いたことになる。


 大陸だけではない。

 山脈を越え、海を越え、世界各地へ。

 強い者だけが、それを知った。

 神代の名残を宿す従属神たちが、ふと動きを止める。


 何かがあった。

 何か、あってはならない規模の揺れがあった。

 だが彼らでは、そこまでだ。

 発生源を「視よう」として、ただ息を呑む。

 視線を向けることしかできない。


 問題は――その程度では済まぬ者たちがいることだった。

 この「波」は、上位神にも届く。


 天界の、静かな夜の海のような領域。

 月の輝きだけが満ちる場所で、月麗神ノクタヴィアが、長い睫毛をそっと上げた。


 さらに別の場所。

 幾何学的な光と影だけで構成されたような、無機質な神域。

 盤面の神、覇皇神ヴェルミクルムは、ほとんど動かぬまま変数に気付いた。


 そして、自由の神は笑う。

 どこでもない場所。

 風の吹く屋根の上か、酒場の片隅か、路地裏の影か。

 そんな、定義しにくい場所に座っていた放浪神ノングラータは、腹を抱えるようにして笑い出した。


 そして――北。

 サンクトゥス神聖国。

 純白の神殿。

 磨き抜かれた大理石の回廊。

 金の燭台。

 神を讃えるためだけに造られた、無駄に美しい広間。

 その最奥で、光輝神ソル・サンクトゥスが、不快げに舌打ちした。


「……苛つくなぁ」


 永遠の少年神。

 美しい顔立ちをした、神々しさと幼さが歪な比率で同居する存在。

 その顔が、露骨に歪んでいる。


「どこのどいつだ? 僕と同等? まさか森の番人が外に出たのか?」


 純白の床に寝転がるように座っていたソルは、爪を噛みながら、苛立たしげに顔をしかめる。

 感じ取った力の大きさは上位神級。

 それだけでも気に入らない。


 何故なら、今の神聖国は「準備」の最中。

 長い長い時間をかけて整えた箱庭。

 手を入れ、選別し、加護を与え、壊しやすい形に整えてきた盤面。

 その外で、自分の計算にない上位存在が暴れるなど、不愉快極まりない。


「場所的に……帝国? 王国?」


 ソルは面倒くさそうに天井を見上げる。

 その瞳は笑っていない。


「僕の計算外の力が、僕の領域の外で暴れるんじゃないよ」


 神聖国は今、侵攻の準備の最中だ。

 しかも小規模ではない。

 大陸そのものを揺るがす程の、大規模な「侵攻」だ。

 それを成すために、ソルは長年、信仰という名の種を北にばら撒いてきた。

 少しずつ。

 気付かれぬように。

 だが確実に。


「もっと力がいるのかな……微加護だけじゃ足りない。もっと大規模に、もっともっと派手に掻き乱すような手を……」


 そこまで呟いて、少年神の表情が変わる。

 何かを思いついた顔。

 今の「波」は、神聖国にまで届いた。

 ならば当然――森の北部にも届いているはず。

 ソルの口元が、ゆっくりと吊り上がる。


「……あの「竜」にも届いてる筈だよね……」


 目が細まる。

 愉快そうに、悪戯を思いついた子供のように。


「そうだ。そうだそうだ。なら目を覚ましたか……!」


 嬉しそうに、心底楽しそうに顔を歪ませる。

 あまりに無邪気で、あまりに幼い笑みだった。


「……四年前の続きといこうか。前は失敗しちゃったけど……次はそうはいかない」


 純白の神殿に、笑い声が滲み出す。

 にたり、と。

 少年神の顔が、玩具を前にした子供のように歪む。

 その笑いは続く。

 静謐であるはずの神殿内部に、稚気に溢れた声が何度も反響する。




 そして――森の北部。




 光の届きにくい、深く昏い森の果て。

 大地そのものが病んだような場所。

 木々は捻じれ、根は地表に這い出し、瘴気とも違う、もっと不快な気配が染み付いている領域。


 そこに、黒い竜がいた。

 全身が腐食したような悍ましい造形。

 漆黒という言葉では足りない、悪意を煮詰めたような色。

 肉体というより呪いの塊。

 存在しているだけで、周囲の大気が澱み、地面が嫌がるように軋む。


 黒竜大魔デモン・ヴェルドゥーム

 森の北の番人。

 かつて、隠者と女帝と天蛇の三者によって暴走を止められ、眠りへ落とされた黒竜。


 その巨体が、脈動していた。

 心臓か。

 あるいは竜そのものが、呼吸と共に瘴気を吐いているのか。

 大地がゆっくり上下し、周囲の木々がびりびりと震える。


 そこに、「波」が届く。

 森の外で起きた異常。

 上位存在級の力が、世界の整合を無理矢理捻じ曲げた痕跡。

 それが、深く深く、北部まで到達する。


 黒竜のまぶたが、僅かに動いた。

 ぴくり、と。

 本当にほんの少し。


 まだ動かない。

 まだ動く段階ではない。

 寝返りを打つほどの反応ですらない。

 ただ、眠りが一段浅くなっただけ。

 それだけだ。


 だが確かに――目覚めまでの時間は短縮された。


 脈動が、少しだけ強くなる。

 大地の震えが深くなる。

 周囲の木々が、一斉に葉を散らした。


 近い。

 黒竜が本格的に目を開く日。

 黒竜が咆哮をあげる日。

 森の北が、再び――四年前の続きを始める日。


 それは、もう決して遠い未来ではなかった。




第七章はこれで終了です。

次からは第八章。終わりが少しずつ見えてきました。

更新頻度がかなり不定期になってしまって申し訳ないです。


それと、もし面白いなと思っていただけたら、ブクマや評価で応援していただけたら幸いです。よろしくお願いいたします。

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