第五話 技術班の巣窟へ。
「本日、例のご相談の件で、技術班へご案内いたします」
朝の身支度を終えたところで、ヴァンスさんにそう告げられた。
「例の……あ」
スマホのことだ。
数日中には預けることになる、とビレイ様から聞かされていたのを思い出す。忘れていたわけじゃない。忘れようとしていた、が正しい。
私は部屋に戻り、充電の切れかけたスマホを両手で握りしめた。
(禁断の技術を狙われてる。絶対そう)
乙女ゲームだろうと現代異能バトルだろうと、こういう展開には決まった型がある。異世界の技術水準を凌駕する道具は、必ず誰かに狙われる。そして、それを渡した瞬間、力関係が完全に向こう側へ傾く。
念のため、と思って写真フォルダを確認する。修学旅行の集合写真。友達とのくだらないやり取り。誰かに見られて困るものは、正直そんなにない。
でも、なんとなく、鞄の中に隠すことを検討してしまう自分がいた。
「夢丘様、お時間よろしいでしょうか」
扉の外からヴァンスさんの声。
「は、はい! 今行きます!」
結局、隠すこともできないまま、私はスマホを胸に抱えて部屋を出た。
✶
連れていかれたのは、屋敷の裏手にある別棟だった。
石造りの重厚な扉を想像していたのに、実際にあったのは木製の、ややきしむ扉だった。
中から、何かがぶつかる音と、くぐもった怒鳴り声が響いてくる。
「――だから、この配線をこっちに寄せろって言ってるだろ!」
「寄せると熱がこもるんですって! 何回言えば分かるんですか主任!」
(想像と違う)
私が思い描いていたのは、薄暗い研究室で怪しく笑う技術者たちの姿だった。実際にあったのは、書類と工具が足の踏み場もないほど散乱した、雑然とした作業場だった。
壁際の作業台では、白髪交じりの中年男性と、若い男が向かい合って、何やら小さな箱の中身を睨みつけている。
「――お連れしました。夢丘陽花里様です」
ヴァンスさんの声に、二人がようやくこちらを振り向いた。
「おお! これはこれは」
中年の男性――主任と呼ばれていた人が、慌てて手を拭きながら近づいてくる。
「儂はドレイク。技術班の主任をやっとる。こっちは助手のフィンだ」
「よ、よろしくお願いします……」
「早速で悪いが、例の端末、見せてもらえるか」
差し出された手に、私はおずおずとスマホを渡した。
瞬間、二人の目の色が変わった。
「――これが、スマートフォン」
ドレイクさんが、その名を口の中で確かめるように呟いた。
「知ってたんですか、この名前」
「文献で読んだことがある程度だ。異界からの漂着品の記録の中に、名前だけは何度か出てきた。だが、実物を見るのは、儂も初めてだ」
「――これは」
「主任、見てください、この薄さ! それにこの、ボタンが一つもない!」
「儂にも見えとる! 落ち着け!」
興奮した様子で、二人はスマホをあらゆる角度から観察し始めた。
拡大鏡のようなものを取り出し、画面に顔を近づける。
「電源が入る、ということは、内部に何らかの動力源があるはずだ」
「分解してみますか?」
「馬鹿を言うな。壊したら二度と元に戻せんぞ。まずは外観の記録からだ」
二人の会話は、私の予想していたどんな展開とも違っていた。
脅すでもなく、奪うでもなく、ただひたすら困惑しながら、目の前の物体と格闘している。
(――これ、悪だくみっていうより……)
単純に、知らないものへの興味だ。
「あの……何か、お手伝いできることは」
思わず聞いてしまった私に、フィンさんが目を輝かせて振り向いた。
「あ、それなら! これ、どうやって光らせるんですか? さっきから触ってるのに反応がなくて」
「充電が切れかけてるので、たぶん……あ、待ってください、それ電源ボタン長押しです」
私が画面の端を指差すと、フィンさんが恐る恐るその通りにする。
画面が、ふっと光った。
「おお!! 光った!!」
「主任! 光りました!!」
「見えとる! 落ち着けと言っとるだろう!」
興奮するフィンさんに反して、ドレイクさんも、口ではそう言いながら目を輝かせていた。
その様子を見ているうちに、私の中の警戒心が、少しずつ空気の抜けた風船みたいにしぼんでいくのが分かった。
✶
結局、その日は一時間近く、二人の質問攻めに付き合うことになった。
画面の触り方、文字の入力方法、電源が切れる理由。
私にとっては当たり前すぎて、逆に説明の言葉に詰まることの方が多かった。
「――それにしても」
一通り質問が落ち着いたところで、ドレイクさんがぽつりと言った。
「これほどの技術を、当たり前のように使いこなしていた世界、か」
「あ、いや、私は別にそんな、技術者とかじゃないので……使ってただけで」
「それでいいんだ」
ドレイクさんは、スマホを丁寧な手つきで作業台に置きながら続けた。
「使う人間が、仕組みを全部理解している必要はない。それだけ、当たり前になっていたということだからな」
その言葉が、なぜか胸の奥に少しだけ残った。
「あの、無理な分解とか、しないでもらえると……」
「もちろんだ。壊して原因不明になったら、儂の首が飛ぶ」
冗談めかして言ったドレイクさんの目は、でも本気だった。
「大切に預かる。約束しよう」
その一言に、なぜか少し、肩の力が抜けた。
「……よろしくお願いします」
私は深く頭を下げた。
✶
別棟を出て、ヴァンスさんと屋敷への道を戻る途中、私はぽつりと呟いた。
「悪だくみとか、何も、ありませんでしたね」
「ええ」
「拍子抜けです、正直」
「悪いことでしょうか」
その問いに、私はしばらく考えてから、首を横に振った。
「……いえ。良いことだと思います」
でも、と心の中で付け加える。
あの技術班の熱心さも、ビレイ様の見せる時々の不思議な言い回しも、この屋敷には、私の知っている「型」に当てはまらないものが、まだたくさんありそうだった。
それが不安なのか、楽しみなのか、自分でもまだよく分からなかった。
ただ一つだけ確かなのは――充電の切れたスマホが、今はもう私の手元にないということだけだった。
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