第十八話 届け、この声。
私が前線に近い中継所へ配置されたのは、新型通信機の運用に、私だけが直感的に慣れていたからだった。
「操作は、他の誰よりも夢丘様が正確です」
ヴァンスさんにそう言われて、断れなかった。
役に立てるなら、と思った。避難区画で震えているだけの自分より、ずっとましだと思った。
でも、まさか、こんな場所だとは思っていなかった。
中継所は、本陣から少し離れた小高い丘の上にあった。前線そのものではない。でも、戦場の音が、生々しく聞こえてくる距離だった。
「――第一防衛線、突破されました!」
通信機から響く声に、私は震える手で応答の操作を続けた。
悪い報告ばかりが、次々と流れてくる。
そして、ある瞬間から――ビレイ様の位置を示す信号が、前線の、それも敵陣近くまで移動していることに気づいた。
(――噓でしょ)
自ら前線に出た。その事実だけで、血の気が引いた。
✶
「夢丘様、こちらでお待ちを。持ち場を離れることは」
護衛の兵士が、私を止めようとした。
「離れます」
「危険です、規律違反にも」
「知ってます! それでも!」
自分でも、驚くくらい大きな声が出た。
規律とか、立場とか、そんなことを考えている場合じゃなかった。
私は、止める声を振り切って、丘を駆け下りた。
✶
戦場は、これまで見てきたどんな景色とも違っていた。
倒れた兵士、燃える大地、煙の匂い。
乙女ゲームの知識も、攻略サイトの型も、ここには何一つ通用しなかった。
ただの、現実だった。
息が切れる。足がもつれる。それでも、私は走り続けた。
(――お願い、間に合って)
人だかりの向こうに、見覚えのある金の髪が見えた。
ビレイ様が、崩れるように片膝をついている。
その前に、白銀の甲冑を纏った女性――リディア様が、剣を振り上げていた。
「――ビレイ様!」
自分でも、何を叫んでいるのか分からなかった。
ただ、声が出ていた。
「死なないで! お願い、死なないでください!」
✶
その瞬間だった。
喉の奥から、これまで感じたことのない熱が、一気に込み上げてきた。
声が、自分のものじゃないみたいに、大きく響いた。
「諦めないで! ビレイ様は、絶対に、こんなところで終わる人じゃない!」
叫んだ瞬間、周囲の空気が、微かに震えた。
気のせいじゃなかった。
倒れかけていた兵士たちが、はっと顔を上げた。
力尽きかけていた腕に、もう一度力が戻る。膝をついていた者が、立ち上がる。
リディア様の剣が、振り下ろされる、その一瞬前。
「――なに、これ」
リディア様自身が、明らかに動揺した様子で、剣筋をわずかに逸らした。
振り下ろされた刃は、ビレイ様の肩をかすめるだけに留まった。
「――夢丘?」
ビレイ様が、信じられないものを見るような目で、私を見た。
私は、それに答える余裕もないまま、ただ必死に叫び続けていた。
「英雄分隊のみなさんも! まだ、立てますよね! ビレイ様のために、もう一度だけ!」
周囲の兵士たちの目に、明らかに違う光が宿った。
力尽きたはずの体に、もう一度立ち上がるだけの何かが、確かに戻っていた。
✶
「――なぜ」
リディア様が、後ずさりながら、私を睨みつけた。
「なぜ、たかが一人の叫び声で、崩れかけた戦列が持ち直すの」
私にも、分からなかった。
ただ、届いてほしいと、心の底から思っただけだった。
諦めないでほしいと、ただ、それだけを願っただけだった。
(――もしかして、これが)
いつか、ドレイクさんが言っていた言葉が、頭の中で蘇る。
――真剣に聞いてくれたのを見て、諦めずに向き合う価値があると思った。
迷宮で、崩れる岩からビレイ様を庇った、あの反射的な動き。
もしかして、私には――
その考えを、最後まで纏める前に、私は膝から崩れ落ちた。
急激な脱力感。まるで、自分の中の何かを、ごっそり使い果たしたような感覚だった。
「――夢丘!」
ビレイ様の声が、遠くから聞こえた。
その声に、これまでずっと感じていた「悪役令嬢が怖い」という感情の正体が、ようやく分かった気がした。
私は、型を恐れていたわけじゃなかった。
この人を、失うことを、ずっと恐れていたんだ。
その恐れは、的外れなんかじゃなかった。
最初から、ずっと、本物だった。
視界が霞んでいく中、それでも私は、ビレイ様が無事に立っている姿を、確かに見た気がした。
――――――――
面白かったら、下記のリンクから評価やレビューをいただけると嬉しいです。




