第十七話 勝算は、なかった。
新型通信機の試作機は、思っていた以上に戦況を変えた。
各部隊への指示が、これまでの伝令より遥かに速く届く。数秒の差が、戦場では致命的な差になる。
――はずだった。
「――お嬢様、正面、数を確認できません! これまでとは、桁が違います」
ヴァンスの声に、私は戦域マップから顔を上げた。
平野を埋め尽くす軍勢。ポテンティオール家の本領から動員された、正規の大隊がいくつも展開している。
先日の比ではない。
「――全軍を、投入してきたということね」
私は、努めて冷静な声を出した。
「あちらも、後がないということでしょう」
「向こうも、同じ穴の狢というわけね」
でも、規模が違いすぎる。
いくら情報伝達の速度で優位に立っても、絶対的な戦力差は覆せない。
これは、初めから勝算のない戦いだった。
✶
「先陣に、リディア様のお姿が確認されました」
斥候の報告に、私は双眼鏡を構えた。
白銀の甲冑に身を包み、自ら先頭に立つ姿があった。
あの令嬢が、自ら戦場に立つとは思っていなかった。
(――本気、ということね)
交渉の場での余裕ある態度とは、明らかに違う。あれは、後がない者の顔だった。
私と、同じだ。
そう思った瞬間、なぜか、喉の奥に苦いものが込み上げた。
✶
開戦から一刻も経たず、状況は急速に悪化していった。
「第一防衛線、突破されました!」
「第二、持ちこたえられません、後退を!」
通信機越しに届く報告は、悪い知らせばかりだった。
新しい通信技術も、戦力の絶対的な差の前では、時間を稼ぐ程度の効果しかない。
私は、次々と指示を出しながら、頭の中で計算を続けた。
このまま防衛戦を続ければ、いずれ全滅する。
撤退か、それとも――
「お嬢様、後方への撤退を進言いたします」
「まだよ」
「お嬢様!」
「まだ、と言ったわ」
私は、地図の上に指を突き立てた。
「敵の指揮系統を、リディア一人に集約させている。あの女さえ落とせば、烏合の衆に戻る」
賭けだった。でも、他に勝ち筋はない。
「英雄分隊、私の護衛に。これより、私自身が前線に出るわ」
「お待ちください、それは危険すぎます!」
「危険を承知で、勝算のない戦いを、少しでもマシな形に持ち込む方法が、他にあるなら教えて」
ヴァンスは、何も言い返せなかった。
✶
前線は、地獄だった。
砲声、悲鳴、爆炎。
守るべき兵たちが、次々と倒れていく光景を、私は目に焼き付けながら進んだ。
「――ビレイ!」
リディアの声が、戦場の喧騒を切り裂いて聞こえた。
「ここまで来るとは、褒めてあげるわ! でも、もう終わりよ!」
彼女の周囲には、選りすぐりの聖騎士たちが控えている。
私は、護衛の英雄分隊を率いて、その包囲に飛び込んだ。
武器を構える。冷静さを、意識的に保つ。
でも――数の差は、覆しようがなかった。
一人、また一人と、護衛の兵が倒れていく。
「お嬢様、これ以上は!」
英雄分隊の生き残りが、私を庇って盾になった、次の瞬間。
彼の胸を、一閃の光が貫いた。
「――っ!」
私は、崩れ落ちる彼を、受け止めることさえできなかった。
視界が、赤く染まる。
周りを見渡せば、味方はもう、数えるほどしか残っていなかった。
✶
「――終わりね、ビレイ」
リディアが、ゆっくりと近づいてくる。
「あなたの合理主義も、結局はここまで。数の暴力の前には、無力だったということよ」
私は、剣を構え直したが、腕に力が入らなかった。
肩の傷が開いている。全身が、鉛のように重い。
(――もう一度、遺物を使えば)
その選択肢が、頭をよぎった。
でも、あと何回使えるか分からない、あの言葉が、脳裏で警告を鳴らしている。
これを使えば、本当に、後がなくなるかもしれない。
(――それでも、ここで終わるよりは)
「ビレイ様――!」
その時、遠くから聞こえた声に、私は思わず目を見開いた。
あの声は、聞き間違えようがなかった。
なぜ、ここに。
守られているはずの、あの子の声。
迫るリディアの剣先を前に、私の思考は、初めて完全に停止した。
――計算が、間に合わなかった。
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