第十六話 譲れない、理由がある。
私、リディア・ポテンティオールは、生まれた時から「完璧」であることを求められてきた。
純血の魔法、正しい所作、揺るがぬ誇り。
その全てを体現することが、ポテンティオール家の娘としての、唯一の存在意義だった。
「――結果は、聞いたぞ」
父の書斎に呼び出された私を待っていたのは、静かな、でも刃のような声だった。
「聖騎士隊長を退けられたばかりか、要撃分隊にも損害を出した。……エルトラルの小娘一人に、我が家の誇りが傷つけられたということだ」
「申し訳ございません。次こそは」
「次、次と、いつまで言い続けるつもりだ」
父が、机を軽く叩いた。
「お前が生まれてから、この家がどれほど傾いたか、分かっているのか」
分かっている。
嫌というほど、分かっている。
✶
書斎を出て、自室へ戻る廊下を歩きながら、私は屋敷の様子を見回した。
かつては何十人といた使用人は、今は数えるほどしか残っていない。壁に飾られていた絵画も、いくつかは静かに姿を消していた。
誰も口には出さない。でも、皆、分かっている。
ポテンティオール家は、確実に沈みかけている船だ。
純血の魔法を守るという「誇り」だけが、この家の唯一の資産になってしまった。
そして、その「誇り」すら、エルトラル家の――あの成り上がりの合理主義者の存在によって、日々擦り減らされていく。
(――許せない)
その感情は、本物だった。
血統への信仰は、決して演技じゃない。私は本気で、それを美しいと信じている。
でも――同時に、心のどこかで、もう一つの声がする。
(あの女の経営は、恐ろしいほど正確だわ)
交渉の場で見た、ビレイの即答の速さ。数字の把握の細かさ。
あれは、憎むべき対象であると同時に、この沈みゆく家を救うために、本当は学ぶべき手本なのかもしれない。
その考えを、私はいつも、すぐに頭の奥へ押し込めてきた。
✶
自室に戻ると、侍女が一人、静かに控えていた。
「――お嬢様。旦那様が、また新たなご指示を」
「何」
「次の交渉、いえ……戦の準備を、より本格的に進めるようにと」
私は、窓の外に目をやった。
もう後がない。負ければ、この家は本当に終わる。
勝てば――それでも、この家の傾きが根本から治るわけじゃない。
ただ、少しだけ延命できるだけだ。
「あの家に、新しい侍女がいたわね」
ふと、思い出した顔があった。
交渉の日、紅茶を注ぐ手を震わせていた、あの娘。
「夢丘、とか言ったかしら」
「お調べいたしましょうか」
「――いいえ」
私は、少し考えてから、首を横に振った。
「あの子は、脅威じゃないわ。ただの……」
言葉を選びながら、続ける。
「あの子は、ビレイに、随分と大事にされているように見えた」
あの合理主義者が、感情論を排して行動するはずのビレイが、あの侍女を庇うような発言をしていたのを、私は見逃していなかった。
(――弱点、なのかしら)
打算として、その考えが頭をよぎった自分に、少しだけ嫌悪を覚えた。
でも、この家を救うためなら、私は――
✶
「――お嬢様、いかがなさいますか」
侍女の声で、我に返る。
「戦の準備を進めるわ。私が、直接指揮を執る」
「お嬢様自らが、ですか」
「他に、誰がやるというの」
私は、鏡の前に立って、自分の姿を確認した。
完璧な令嬢の姿。誰よりも純血で、誰よりも誇り高く。
その仮面の下に、どれほどの焦りが隠れているか、誰も知らない。
知られてはいけない。
「エルトラルとの対立は、これで終わりにするわ」
その言葉に、どちらの意味を込めたのか、私自身にも、正確には分からなかった。
勝利で終わらせるのか、それとも――もっと別の何かで終わらせるのか。
ただ一つ、確かなことがあった。
私には、譲れない理由がある。
この家を、これ以上沈ませるわけにはいかない。
たとえ、それが、あの合理主義者の女の言う「非効率な意地」であったとしても。
窓の外、夕暮れの光が、傾いた屋敷の影を、いつもより長く伸ばしていた。
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