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第十三話 誰にも、言わないでおくわ。

「――失礼します」


ヴァンスが、新しい包帯の束を手に部屋へ入ってきた。


「肩を、失礼いたします」


私は椅子に座ったまま、上着を肩から少しだけ落とした。


包帯の下、傷そのものはもう塞がりかけている。問題は、そこじゃない。


ヴァンスの指が、私の鎖骨の下、心臓に近い場所に触れた。


薄い皮膚の下に、ぼんやりと紫色に滲んで見える痣のようなもの。


外傷ではない。もっと別の、内側から来るものだった。


「――今回の使用で、進行が早まりましたね」


ヴァンスの声は、いつもと変わらず静かだった。でも、その静けさの下に、微かな懸念が滲んでいるのを、私は知っている。


「分かっているわ」


私は、天井を見上げながら答えた。


「あと何回、使えると思う?」


「正確な回数は、算出できません。ですが」


ヴァンスが、包帯を巻く手を止めずに続けた。


「先代……お母上が、最初にその遺物を手にされてから、お亡くなりになるまでの期間を鑑みれば」


「もう、あまり残っていない。そういうことね」


私は、自嘲するように笑った。


✶


この遺物――『彼方の未来、死者への冒涜』は、母の形見だった。


正確には、母が命を賭して遺した「先送りされた時間」の残りだ。


母は、私が幼い頃に病で倒れた。医者はさじを投げた。


その時、母がどこからか手に入れたのが、この遺物だった。


死の運命を強引に先送りする呪い。ただし、無限に引き延ばせるわけではない。


母は、その借りた時間を使って、私が一人で立てるようになるまでの数年間を生き延びた。そして、私が十五になった年に、静かに逝った。


あの遺物は、母の死後、当然のように私の手に渡った。


説明書きなんてなかった。ただ、母がヴァンスに遺した言葉だけが残された。


――「これは、貸し時間よ。使うたびに、いつか支払う分が増えていく。だから、本当に必要な時にしか使ってはだめ」


私はこれまで、その言葉通りに、ぎりぎりまで温存してきたつもりだった。


でも、今回。


崩れかけた城壁の下で、聖騎士の一撃を受けた、あの瞬間。


考えるより先に、遺物を発動させていた。


自分の意思というより、ほとんど反射だった。


(――なぜ、あんなに躊躇なく)


答えは、分かっている気がした。分かっているのに、認めたくなかった。


✶


「――お嬢様」


ヴァンスが、包帯を巻き終えて、私の前に膝をついた。


「今回のこと、夢丘様には」


「言わないわ」


即答だった。


「当然でしょう。知る必要のないことよ」


「必要がない、というより」


ヴァンスが、珍しく言葉を選ぶような間を置いた。


「知れば、あの方は、きっとご自分を責めるでしょう。あの日、あなたを庇わせるようなことをしてしまった、と」


その指摘に、私は何も言い返せなかった。


実際、その通りだ。


あの子は、きっとそう考える。自分のせいで、私が「代償」を払わされたのだと。


それは違う。あれは、私が自分の意思で選んだことだ。


でも、それを説明するには、遺物の真実を全部明かさなければならない。


「――だから、誰にも言わないでおくわ」


私は、上着の襟を整えながら、そう繰り返した。


「あの子には、特に」


✶


「――お嬢様、失礼します」


扉の外から、聞き慣れた声がした。


「夢丘様です。お加減はどうかと」


私は、素早く上着の前を閉じた。


「入っていいわ」


扉が開いて、陽花里が顔を覗かせた。


「ビレイ様、お加減は……あ、ヴァンスさんも」


「今、治療は終わったところよ。問題ないわ」


私は、努めていつも通りの声を出した。


「本当ですか? その、顔色があまり」


「そう見えるなら、それは単に、この部屋の照明のコストを削減しているせいね。もう少し明るい照明にする予算を、今度検討するべきかしら」


我ながら、苦しい誤魔化しだった。


陽花里は、しばらく私の顔を見つめていた。


何か言いたげな、でも言葉にできない、そんな表情だった。


「――そう、ですか」


結局、それだけ言って、小さく頷いた。


「無理はなさらないでくださいね。私にできることがあれば、何でも言ってください」


「覚えておくわ」


陽花里は、一礼して部屋を出ていった。


扉が閉まる音を聞きながら、私は詰めていた息を、静かに吐き出した。


✶


「――お嬢様」


ヴァンスが、静かに私を見ていた。


「今のような誤魔化しは、いつまで続けられるでしょうか」


「必要な限り、続けるわ」


私は、窓の外を見た。復興作業に追われる屋敷の様子が見える。


母は、私のために、自分の残りの時間を差し出した。


その意味を、私は長い間、ただ「合理的な選択」として処理してきたつもりだった。母は、私という「資産」に投資しただけだ、と。


でも今、あの子の顔を思い浮かべると、その説明では、何かが足りない気がした。


(――私も、同じことをしようとしているんじゃないの)


その考えを、私はすぐに頭の隅へ押しやった。


まだ、認める理由がない。


少なくとも、今はまだ。


「――誰にも、言わないでおくわ」


私は、もう一度、自分に言い聞かせるようにそう呟いた。


――――――――

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