↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

10/20

第十話 本当に、ただの交渉?

迷宮での一件から、ちょうど一週間が過ぎた頃だった。


「――お嬢様」


執務室に入ってきたヴァンスの顔色が、いつもと違った。


「ポテンティオール家より、正式な使者が参りました」


「また採掘権の話? 先に断ったはずよ」


「いいえ。今回は、交渉ではありません」


ヴァンスが差し出した書状に、私は目を通した。


格式張った文面の中に、たった一つ、これまでとは違う単語が混じっている。


――最後通牒。


「……本気なの、あの家は」


自分の声が、思ったより低く響いた。


「表向きの理由は、迷宮利権を巡る長年の不当な独占とのことです。ですが」


「本当の理由は違う、と言いたいのね」


「はい。おそらく、我が家の返済期限が近いことを、向こうも掴んでいます」


崖の縁に立っているのを、向こうも知っている。だから今、押せば折れると踏んだ。


合理的な判断だ。忌々しいけれど、あの家にも、それくらいの計算はできるらしい。


「――迷宮の一件も、無関係じゃないでしょうね」


未調査区画で見つけたあの欠片。噂だけでも、あちらの耳に入っていておかしくない。


新しい資源を見つけられる前に、叩き潰す。それも、狙いの一つのはずだった。


「リディア様が、あの日、あなたに何かおっしゃっていたわね」


ヴァンスが、静かに頷いた。


「『せいぜい、長く仕えられるといいわね』、とのことでした」


あれは、ただの嫌味じゃなかったのかもしれない。


もっと具体的な、時間の期限についての皮肉だった可能性がある。


「――笑えないわね」


私は書状を机に置いた。


✶


「夢丘様を、お呼びしましょうか」


「いいえ。まだ呼ばなくていいわ」


言いかけて、少し考え直す。


「――いえ、呼んで」


しばらくして、陽花里が執務室に現れた。何かを察しているのか、表情が硬い。


「あの、ヴァンスさんに呼ばれて……何かあったんですか?」


「ポテンティオール家が、正式に戦争を仕掛けてきたわ」


できるだけ、いつも通りの声で言った。動揺を見せる必要はない。


「せ……戦争……?」


陽花里の顔から、みるみる血の気が引いていくのが分かった。


「詳しい経緯は今は必要ないわ。あなたには、今夜のうちに避難してもらう」


「避難って、その、私だけ?」


「非戦闘員は全員よ。屋敷の地下に、防護用の避難区画がある。しばらくはそこで待機してもらうことになるわ」


「あの、私、何かお手伝いできることは」


「ないわ」


即答した。


陽花里が、傷ついたような顔をした。


「あなたに求めているのは、生きて、そこにいてくれることだけよ」


それ以上の説明をするつもりはなかった。


でも、自分の口から出た言葉が、思っていたよりも柔らかい響きを持っていたことに、少し戸惑った。


「……分かりました」


陽花里は、それだけ言って、深く頭を下げた。


「でも、心配は、させてください。それくらいは、させてもらえますか」


その一言に、何と答えればいいのか分からなかった。


「――好きにすればいいわ」


素っ気なく返すのが、精一杯だった。


✶


陽花里が地下へ向かうのを見送った後、私は執務室の窓から、遠く霞む平野を見た。


まだ何も見えない。でも、明日にはあの地平線の向こうから、軍勢が姿を現す。


「――ヴァンス」


「はい」


「防衛計画を最終確認するわ。それと」


私は、机の引き出しから一冊の資料を取り出した。表紙には、走り書きでこう記されている。


――プロジェクト:不純物処理の工程表。


迷宮利権を巡る紛争が長引いた場合に備えて、以前から密かに練っていた防衛戦略の名だった。まさか、こんなに早く使うことになるとは思っていなかった。


「これで進めるわ。感傷に浸っている暇はない」


「かしこまりました」


ヴァンスが一礼して、部屋を出ていく。


一人になった執務室で、私はもう一度、地平線に目をやった。


資産価値、リスク管理、投資判断――そういう言葉で、この状況を片付けられたら、どれほど楽だっただろう。


でも今は、その言葉の中に、片付けきれない何かが確かに混ざっていた。


地下で震えているだろう陽花里の顔を思い浮かべながら、私は静かに拳を握った。


――これは、いつも通りの交渉のはずだった。


そのはずが、いつの間にか、守るべきものが増えている。


それに気づいた自分に、私はまだ、うまく説明をつけられずにいた。


私は戦域マップを広げ、冷ややかな目でそれを見下ろした。


次に届く報告が、この戦いの本当の始まりになる。


――――――――

面白かったら、下記のリンクから評価やレビューをいただけると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。